「異人論」とネアンデルタール・2

4万年前の北ヨーロッパで、アフリカからやってきたホモ・サピエンスが先住民であるネアンデルタールの生息域を侵食し、絶滅させてしまった・・・・・・こういう途方もない仮説がなぜあたりまえのように現在のこの国の研究者のあいだに流通しているのか、まったく理解に苦しむし、腹も立たないわけでもありません。
戦争のない先史時代の人と人の関係は、そういうものだったのか、それがほんとうにプリミティブな人間の生態なのか。
人間が、もともとほとんど同じ動物種だったはずのチンパンジーなどの猿よりもはるかに多くの個体数を増やし、はるかに広く地球上に分布していったのは、彼らと違ってむやみなテリトリー争いをして相手の群れを絶滅に追い込んでしまうということをしなかったからでしょう。原初の人類は、群れを訪ねてきた旅人を追い払うことをしなかったし、群れから出て行った者たちが集まって群れをつくった場合でも、他の群れのテリトリーを奪おうとするよりも、どんなに住みにくくても新天地に住み着こうとしていった。だから、地球の全域を覆うほどに拡散していったのでしょう。
人口が増えたからではない。最終氷期が終わる1万年前までの人類は、チンパンジーとそうたいして変わらない弱い生き物だったのです。人口など、ほとんど増えていない。極寒の氷河期に、そうかんたんに人口が増えるわけないじゃないですか。とくに北ヨーロッパのクロマニヨンをはじめとする高緯度の群れでは、人口を減らさないことが精一杯だったはずです。寒さに弱い乳幼児など、つぎつぎに死んでゆく環境だったのだ。
そりゃあ「置換説」を唱える研究者たちのように、ヨーロッパのネアンデルタールもアジアのホモ・エレクトスもぜんぶ死に絶えてホモ・サピエンスだけになったのだ、といっていられるのなら、たしかに人口が爆発的に増えた勘定になる。しかし、その当時もっとも熱帯的な形質の持ち主であったアフリカのホモ・サピエンスが、極寒の氷河期にもっとも人口を増やしたなんて、どうして信じられるのですか。しかもずっと前から北の地で暮らしていた者たちよりも、その地でもっとスムーズに極寒の気候に順応していったというのなら、それはもう、空想を通り越して妄想以外のなにものでもないでしょう。あるいは、横着なこじつけにすぎない。
アフリカのホモ・サピエンスじしんは、どこにも行っていない。そのころ、いったんやや気候が持ち直したことに加えて人類の生活レベルが向上したこともあり、長生きできるホモ・サピエンスの遺伝子が一挙に地球上に伝播していった、というだけのことでしょう。遺伝子がリレー式に広がっていっただけです。アフリカのホモ・サピエンスがいきなり北ヨーロッパに行っても、生き延びることができるわけがない。もともと北ヨーロッパに住み着いていたネアンデルタールだからこそ、熱帯種であるホモ・サピエンスの遺伝子を加えてもなんとか生き延びることができたのだ。
そりゃあ、成人すれば、アフリカのホモ・サピエンスでも生きてゆくことはできる。しかし、ゆっくりと成長するのが特徴であるホモ・サピエンスの遺伝子だけでは、乳幼児期を通過できない。そのあいだに、命が尽きてしまう。その点ネアンデルタールの子供は、極寒の季節を生き延びるために驚くほどの速さで成長する。だからまあ、早く老化して、彼らの寿命が30数年という短さだったわけだが。
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先史時代である4万年前の人類の群れが、他の群れのテリトリーに侵入して奪ってしまうなどということは、おそらくなかった。そういうことは、戦争を覚えた氷河期明けの7、8千年前以降の話だ。そういうことをしなかったから、人類は、地球の隅々まで住み着いていったのだ。地球の隅々まで住み着いて、それ以上拡散してゆけるところがなくなってから、そういうことが起きてきたのだ。
4万年前は、まだまだ拡散しつづけている時代だった。北ヨーロッパにだって、空いているスペースは、いくらでもあった。そういうところに新しい群れが住み着くということがほとんどなかったということは、ホモ・サピエンスの群れが移動していったわけではないことを意味している。ほとんどのクロマニヨンの遺跡の下には、ネアンデルタールの骨が埋まっている。それは、ネアンデルタールがクロマニヨンになったことの証拠であって、クロマニヨンが残虐な侵略者であることを意味しているのではない。すなわちそれは、クロマニヨンがネアンデルタールと同じような埋葬の仕方をしていた、ということを意味している。
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直立二足歩行は、胸、腹、性器等の急所を外に晒している、きわめて無防備な姿勢です。言い換えれば、とても攻撃しやすい姿勢だ、ということです。だから攻撃しようとする衝動を呼びやすいと同時に、攻撃されるかもしれないという不安も大きい。攻撃しようとする衝動を持つことは、攻撃されるかもしれないという不安に浸されることでもある。であれば、そういうダブルバインドの中に置かれて、攻撃しようとする衝動がしぼんでしまう姿勢でもある。それは、攻撃しないという合意が形成されていることの上に成り立っている、きわめて社会的な姿勢であり、人間が直立二足歩行をはじめたということは、「社会」を持ったということでもある。
人間は、人間を殺す。人間ほど残忍な生き物もいないと同時に、人間ほど他者を祝福しようとする生き物もいない。直立二足歩行は、もともと他者を祝福することの上に成り立った姿勢であるが、それが壊れたとき、人間が人間を殺すという残忍さが生まれてきた。
そして先史時代は、そういう残忍さが生まれてくる前の時代だったのだ。
チンパンジーだって、群れどうしの争いで殺し合ったりする。だから人間が人間を殺すこともプリミティブな人間性かといえば、おそらく違う。そういう争いの不可能性の中に身を置いてたがいに祝福し合うことを覚えたとき、人間は人間になったのであり、それが直立二足歩行によってもたらされたプリミティブな心のはたらきなのだ。
チンパンジーのようなことをするのを、「原始的」というのではない。原始人は、チンパンジーのようなテリトリー争いや殺し合いなどしなかったのだ。
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他者を攻撃しようとしたり排除しようとしたりする衝動を募らせてゆけば、そのぶん攻撃され排除されるかもしれないという不安もどんどん強くなってくる。それが、直立二足歩行する人間の心性に負わされた宿命であり、原始的=プリミティブなレベルにおいては、両者は相殺されて、どちらの心性も起きてこない。直立二足歩行する人間の心のはたらきは、もともとそういうふうになっている。そして最終的には、他者を「祝福する」というかたちでカタルシスにいたる。であれば、上記の攻撃性と不安の振幅は、この中間で起きている心性である、といえる。
誰の心の中にも攻撃性と不安の振幅はあるし、無邪気な祝福とカタルシスの往還運動もある。前者は共同性としてはたらき、後者は、個体として根源的な他者との関係の中に身を置いたときの心のはたらきになっている。そして現代人のように高度な共同体を持たず戦争もしなかった原始人は、おもに後者の心のはたらきで他者=異人と接していたにちがいない。したがって、アフリカのホモ・サピエンス北ヨーロッパに乗り込んでネアンデルタールを駆逐したなどということがあるはずないのであり、またそんなことがあったら、人類が地球の隅々まで拡散してゆくということも起きていないのだ。
「置換説」の研究者たちは、どうしてそんなげすなことを当然のことのように妄想していられるのだろう。