「御霊信仰」の原像 ―怨霊と祟り―・8

日本列島における支配者と民衆の「身体意識」について、もう少し考えてみたいと思います。
「意識」は、空腹であるとか暑い寒いとか痛いとか苦しいとか、身体の苦痛として発生する。そうやって「意識」は、身体の存在と出会っている。
われわれは、自分の背中や頭の後ろを見ることはできない。自分の身体の輪郭は、「画像」としてではなく、ひとつの「空間感覚」として認識している。生きていれば、背中が痒いとか、頭の後ろが痛いとか、身体のあらゆる部分で何かしらの「苦痛」を体験する。その体験の集積が統合されて、「身体の輪郭」のイメージができている。
もし、背中が痒いという体験をしたことのない人がいたとしたら、その人は背中の輪郭のイメージを持っていない。極端にいえば、そういうことになります。
われわれは、「身体の輪郭」のイメージを持っているから、ものをよけることができるし、ちゃんとした身体の動きをすることができる。
電車の中で、隣に座っている人と接触しているわけでもないのに、体温まで伝わってくるような気がして皮膚がざわざわしたりすることがある。これは、「身体の輪郭」が感じている。それが、皮膚に伝わる。
魚の目の位置のことを考えれば、たぶん魚は、自分の身体のほとんどの部分や全体像を見たことがないはずです。それでも、狭い岩のあいだを、ぎりぎり擦り抜けられるかどうかの判断を正確にしている。それは、空間感覚としての「身体の輪郭」を持っているからでしょう。
「幻影肢」という現象があります。怪我や病気で手足の一部を失った人が、あるとき失った部分が痛みや痒みをともなってよみがえっているように体験することがよくあるそうです。
意識にとって「身体の輪郭」は、「苦痛の体験の綜合」としての抽象的非実在のイメージであって、「実在」のものではない。実際の手足の部分がなくなっても、苦痛の体験を記憶として持っているかぎり、それを感じることができる。またこのことは、実在感は「苦痛」とともにしか体験できない、ということを物語っている。
われわれは「苦痛の体験の綜合」として意識の内部に「身体の輪郭」をイメージし、それによって世界との関係を結んでゆく。
ドゥルーズ=ガタリが「器官なき身体」といい、ヴァレリーが「第四の身体」というのも、この身体感覚のことだろうと思えます。
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この「身体の輪郭」を正確に把握し、明瞭に意識することができれば、体がうまく動く。運動神経が発達しているとは、そういう能力のことです。たぶん原始人は、われわれ現代人よりも「身体の輪郭」を正確かつ明瞭に把握していた。
現代人は、たとえばエアコンによって暑さ寒さを感じないでもすむようにしたり、文明によって身体の苦痛を遠ざけながら暮らしている。したがって「苦痛の体験の綜合」としての「身体の輪郭」があいまいになってしまっている。
人間が衣装を着るようになったのは、道具を使ってらくな暮らしができるようになり、身体の輪郭が曖昧になってきたため、それを補完しようとしたのかもしれない。だから、現代人ほど衣装を着ることにこだわる。それだけ現代人は、「身体の輪郭」があいまいになってしまっている。
苦痛がないとは、苦痛が消えてゆく快感(カタルシス)を知らない、ということです。このカタルシスがなければ、「身体の輪郭」という身体感覚を持つことはできない。
なぜなら「身体の輪郭」は、苦痛によって知らされるのではなく、苦痛が消えていったあとに残るものだからです。「身体の輪郭」は、苦痛としての肉や骨や内臓や皮膚のことではない。そのような苦痛が起こる空間(スペース)の輪郭のことです。それは、苦痛が消えたあとにしか、あらわれてこない。苦痛が消えてゆくときに把握されるものです。
身体が消えてゆくということは、身体がある、ということです。あるから、消えてゆくことができる。コップの水を流してしまって、はじめてコップの中が空間であったことがわかる。「身体の輪郭」を認識するとは、そんなようなことです。
水が入ってなければ、それを流して空間であったことを知る体験もない。
分裂病者は苦痛がない(水が入っていない)から、苦痛が消えて(水を流して)みずからの身体がどれほどの空間であるかを把握する体験を喪失している。空間=身体であるという観念だけがあって、そのかたちを把握していない。だから、「身体の輪郭」が一定していない。どんなふうにも変わる。ときに、自分のいる部屋そのものが「身体の輪郭」であるかのような妄想に浸されたりする。
車の運転をして狭いスペースを擦り抜けるとき、肩がぴくぴく震えたりする。そのとき車の輪郭が、「身体の輪郭」になっている。現代生活は、身体が身体であることから逸脱してしまうことが多い。だから、スポーツやセックスのような原始的身体的体験が欲しくなる。
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「精神としての身体」という哲学書を書いた市川浩氏は、この身体意識を「錯綜体」という概念で説明し、身体の輪郭がどんなふうにでも変わってしまうことを普遍的な身体意識のように語っているのだが、ちょっと不用意すぎます。それは、病理的な身体意識であり、身体の苦痛を排除した現代の文明生活において、身体をそのまま掛け値なしの「身体の輪郭」として自覚することがどんなに困難であるかということを意味している。しかしかつての日本列島には、そうした「錯綜」が起きる前の根源的な生の自覚から生まれてくる文化や生き方があったのだ。
「やまとことば」が身体的であるということは、それだけプリミティブな「身体の輪郭」に沿って言葉が紡ぎ出されているということです。
「ぶす」と「美人」が並んで町を歩けるのは、人間なんてそれほどに「画像=物体としての身体」を自覚していないからであり、何かにぶつかりそうになったら考えるよりも先によけていたりするのは、それほど正確に「身体の輪郭」を把握しているからだ。この生の根源は、「画像=物体としての身体」ではなく、非存在の空間としての「身体の輪郭」を把握することの上にいとなまれている。
意識の根源において、われわれが自覚している「身体」とは、物体や画像としての身体ではなく、非実在の「身体の輪郭」なのだ。根源的な意識は、身体そのままの「身体の輪郭」を拠点にして他者(世界)に反応し、その存在を祝福している。
それにたいして、そこから「身体の輪郭」がふくらんだりしぼんだりして「錯綜」してゆくという現象は、ほんらいの「身体の輪郭」を喪失した危機的病理的な状態にほかならない。分裂病者は、目の前の机に手を置いて「この机は私の身体だ」と認識してしまう。そのようにして支配者の観念は、共同体をみずからの「身体の輪郭」のように取り扱っている。
「身体の輪郭」を無際限に「錯綜」させてしまうことばかりやっていると、その外部を肯定してゆく反応を喪失し、すべての外部が「他界=敵」になってしまう。「怨霊」になってしまう。そのとき観念は、その「身体の輪郭」が「この世界」であり、その外側はもう、排除するべき「他界」になってしまっている。それが分裂病であり、支配者の身体意識です。
「錯綜体」と言っただけで「意識」の本質を解き明かしたつもりになれるなんて、みずからの現代人としての錯綜した身体意識に居直っているだけじゃないですか。研究者は、本質的に支配者(権力者)ですからね。人間が「錯綜体」としての身体意識を持っていることは、社会的な「権力」の問題なのだ
身体の苦痛を排除して暮らしている現代人の「身体の輪郭」は、いつの時代も支配者の身体意識がそうであったように、ことのほか「錯綜」してしまっている。それでいいのだろうか。誰もが羊の顔をした支配者(権力者)になればそれで世界は平和かといえば、そんなものでもないでしょう。
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支配者の身体意識はいかようにも伸び縮みする「錯綜体」だから、共同体をみずからの「身体の輪郭」のように自覚することはありうることです。そしてそれは、「身体の輪郭」そのものが「世界」であるかのような意識であり、その外部はすべて「他界」になってしまっている。
外部を他界として排除し、内部(身体の輪郭)の秩序を整えてゆくこと、これが支配することです。支配者は、孤独です。彼にとっては、内部の存在である共同体の住民は、言うことを聞く「被支配者」のがわに排除するべき敵=他界であり、共同体の外部もまた、みずからの支配者たるアイデンティティが無効になってしまう他界でしかない。彼は、つねに「他界」と向き合い怖れている。
彼の観念は、世界の内側に描くべきみずからの身体そのままの「身体の輪郭」があいまいになっている。彼には、身体の苦痛も共同体の災厄も、ひたすら「排除」しようとする習性がしみついている。彼にとっては、共同体の秩序と同様、みずからの身体もまた、苦痛のない秩序であらねばならない。
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原始人は、身体そのままの「身体の輪郭」を現代人以上に明確に把握し、そこを拠点にして他者と向き合っていた。彼らにとって他者(の身体)は、みずからの身体の苦痛を忘れさせてくれる祝福する存在だった。他者の身体を抱きしめれば、他者の身体だけを感じて、みずからの身体のことは忘れている。そのとき、皮膚感覚として他者の身体を感じているのではない。皮膚に対する意識すら消えている。非存在の「身体の輪郭」が他者の身体と出会っているのだ。
しかし群れが大きくなってくると、個体間の距離が詰まりすぎて、摩擦が起きてくる。他者はもう、祝福するだけの存在ではない。この状況において、祝福するよりも摩擦を多く体験した者の中から、この状況をなんとかしようとする者が生まれてくる。摩擦のことが気になって、彼は、みずからの身体が消えてゆく体験を喪失してゆく。そうして他者の身体は、なおみずからの身体を意識させられる対象として、立ちはだかっている。そこで、他者の身体もまた、みずからの身体のように支配しコントロールしてゆこうとした。そしてそういう体験を繰り返しながら、彼は、群れ全体をみずからのの身体のように支配しコントロールしようとするようになってゆく。
リーダーは、群れの者たちによって選ばれるのではない。群れの者たちの意識から逸脱していった者が、リーダーになろうとするのだ。そしてそういう者を、みんなが祝福する。そのとき彼は、群れのみんなの祝福する関係を約束する存在としてあらわれる。
リーダーは、群れの秩序をつくらねばならないという強迫観念に浸されている。その強迫観念こそ、リーダーたる条件なのだ。
したがって、リーダーだけが、誰も祝福しない。その代わり、誰からも祝福される。
「身体の輪郭」が「錯綜体」になってしまっているリーダーは、いわば群れのスケープゴートであり、スケープゴートであることによって、群れのみんなから祝福されている。リーダーとは、群れの中の「他界」に存在する者であり、彼自身がひとつの「怨霊」にほかならない。
そしてみんなは、リーダーを祝福することによって、みずからの「身体の輪郭」が「錯綜体」になってしまうことから免れている。民衆は、支配されたがっている。支配者であることの恍惚があるなら、民衆もまた、支配されることによって、等身大の「身体の輪郭」を生きることができる。
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民衆にとって共同体は、「身体の輪郭」が向き合っている「世界」であり、支配者においては、共同体が「身体の輪郭」そのものになってしまっている。「怨霊を祝福し祀り上げる」という「御霊信仰」の習俗(思想)は、この関係から生まれてくる。そのとき民衆は、「怨霊」そのものではなく、「怨霊のたたりである」という支配者の決定を祝福している。藤原道長平清盛ほどに「怨霊」や「もののけ」を体験してしている民衆など、ひとりもいない。
支配者がまず「怨霊」と出会う。そのとき支配者は、この世界を「身体の輪郭」として、他界と向き合っている。
一方民衆は、みずからの身体そのままの「身体の輪郭」からこの世界を見ている。したがって彼らに、「世界の果て」という概念はあっても、その向こうの「他界」を実感する能力はない。
民衆は、支配者ほどには、他者を敵と見る恨みも、サディズムもない。支配者だからこそ「祟られている」という強迫観念を強く抱く。また民衆は、たとえ共同体に災厄が起こっても、「祟られている」と思えるほど、共同体が自分のものだという意識はない。支配者が抱いているその意識を祝福し模倣することができるだけだ。
民衆が抱く「怨霊」のイメージは、支配者のそれを模倣しているにすぎない。
日本列島の歴史において、「怨霊」との出会いは、まず支配者の観念において体験され、彼らが「御霊信仰」としてそれを祀り上げてゆくためには、民衆の「祝福」しようとする観念の協力が必要だった。
そのとき民衆は、「怨霊」と出会ったのではなく、支配者の、「怨霊」を祀り上げようとする態度を祝福していっただけだ。はじめのころの「御霊信仰」とは、支配者階級における「非業の死を遂げた政敵の怨霊」祀り上げようとする信仰だった。実際に権力闘争の現場にいるわけでもない民衆が、会ったこともなければ、もしかしたら名前も聞いたことのない支配者の政敵の「怨霊」を実感することなど、ほとんど不可能のはずです。