「御霊信仰」の原像 ―怨霊と祟り―・7

先を読む能力は、ひとつの強迫観念です。「怨霊」のイメージは、そこで培養される。
そろそろ空腹の苦痛がやってきそうだから、その前に食っておかねばならない、と思う。そんなこと、空腹になったら食えばいいだけなのだが、先を読む能力に長けて強迫観念の強い人は、そうはいかない。しかし空腹の苦痛を体験しないのなら、苦痛=身体が消えてゆくというカタルシスもない。腹が減ってりゃなんでも美味い、そういうカタルシスがない。
身体が消えていかないということは、つねに身体を意識している、ということです。意識が身体との関係にとらわれていれば、世界や他者との関係を喪失し、世界や他者は排除するべき対象になる。彼は、「排除の論理」で世界や他者と関わってゆく。
しかもその身体は苦痛をともなっていないのだから、たしかな実感でとらえることができない。気分によって、その「輪郭」は大きくなったり小さくなったり、あるいは他者の身体と自分の身体の区別がつかなくなったりということも起きてくる。これは、分裂病の兆候のひとつです。そういう心的な傾向のバリエーションとしてリーダーは、群れをみずからの身体のようにとらえている。
みずからの身体が意識されているということは、他者の身体が意識から消えているということです。意識は、みずからの身体と身体の外の世界を同時に知覚することはできない。だから、分裂病者は、なんでもかんでもみずからの身体のように知覚してしまう。
ささくれのできた指で机の表面をなぞれば、ささくれの痛さばかり気になって、見えているはずの机の表面のことを何も感じない。そのとき、机の表面のせいで痛さを感じないといけないという恨みばかりが募って、机の表面は「敵」だ、という強迫観念に浸される。
リーダーは、みずからの支配する群れを、ささくれのできたみずからの身体のように感じている。そうしてヒットラーのように分裂病的な傾向が肥大化したリーダーは、ユダヤ人を「ささくれ」とし、みずからの群れのまわりがすべて「敵」として感じられて、戦争ばかりしていないといけなくなる。
分裂病者は、みずからの身体が消えて他者の身体(あるいは世界)を祝福している、というカタルシスがない。腹が減ってりゃなんでも美味い、という祝福の体験がない。彼らは、時間的にも空間的にも「先を読む」能力とともに、「敵=災厄」のことばかり気になっている。ささくれができた指で触っているときの机の表面は、ささくれの痛さを感じさせる「敵=災厄」としてはっきりあらわれているのに、祝福できる感触(実在感)がまるでない。すなわち、そのとき机の表面は、身体が滅びた「怨霊」として立ちあらわれている、ということです。
古代のリーダー(支配者)は「先を読む」能力を持った預言者であり呪術者であり分裂病者であり、民衆よりもはるかに「怨霊」の存在に敏感な人種だった。
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世界(他者)を祝福するとは、みずからの身体に対する意識が消えて、世界(他者)の「今ここ」に「反応している」ということです。それに対して、世界(他者)を敵として見るということは、意識がみずからの身体にとらわれていて、とらわれている原因が世界(他者にあると認識することです。そうやって、「今ここ」の向こうがわを、吟味・分析している。それが、「敵として見る」ということです。
そのとき彼は、「今ここ」の身体からも、今ここの「向こうがわ」の世界(他者)からも強迫されている。したがって彼にとっての身体世界は、この両者の中間に認識される。つまり、「他界」との境界として認識される。それが「共同体」です。共同体の輪郭は、他界との境界であると同時に、支配者(リーダー)の「身体」の輪郭でもある。
「異人論序説」の赤坂憲雄氏は、次のように言っています。
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近代市民社会以前には、世界=宇宙を基底から構成するものは、ゆいいつ共同体であった。そこでは、共同体を生存の基盤とすることなしにはほとんど生存自体が許されなかった。それゆえ共同体社会においては、共同体とその規範からの逸脱・疎外としてあらわれる「異人」は、社会的な空隙、つまり「無縁」の境域を漂泊する異形異類の者、あるいは、悪・罪・穢れなどの具現者として表象された。中世社会の狭間を遍歴した一所不在の職人・芸能民・遊行聖などが「遊手浮食の徒」と賤しまれ、また忌み畏れられたのはそのためである。
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何いってるんだか。いつの時代も、誰にとっても、人間の観念における「世界=宇宙を基底から構成するもの」は「身体」でしょう。われわれは、「身体の輪郭」をとらえる方法論を援用して、世界や共同体の輪郭を規定している。すべての世界の輪郭は、身体の輪郭を捉える方法論のバリエーションとして決定されている。
そして、みずからの身体の輪郭をたしかに持ち、そこから世界と向き合っている者は、けっして共同体を「生存の基盤」にしない。つまり、より身体的であった前近代の人々のほうが、近代市民よりずっと「生命の基盤を共同体に依拠する」という生き方も観念のはたらきもしていなかったのだ。
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歴史をさかのぼればさかのぼるほど、人々にとっての「共同体」は不完全なものでしかない。現代人のほとんどすべてが共同体に登録されているが、前近代には、登録されていない人がいくらでもいた。「幸せ」になりたければ、共同体の一員になるしかないが、幸せにならなくてもいいのなら、共同体を当てにする必要もない。幸せにならなくても、生きることの充実はある。むしろ、そうした「秩序」の外で、嘆きながら身悶えして生きてゆくことのほうがカタルシスを得る場合もある。そういうカタルシスを見つけてしまった者は、共同体の外で生きてゆこうとする。あるいは、共同体の外に追い出されて、そういうカタルシスを発見する。すなわち、そういう生き方のできる余地を残していたのが前近代であり、サンカも非人も遊行の宗教者も旅芸人も、そういう存在として生きていたのだ。
そして共同体の一員である村びとにしても、共同体がが不完全でそうした外部の「異人」との交流ができたからこそ、過酷な支配に耐えることもできたのでしょう。
現代の市民社会に、「異人」などひとりもいない。みんな共同体に登録され、共同体のシステムに依拠して生きることを余儀なくされている。
近代市民社会こそ、「世界=宇宙を基底から構成するもの」としての「共同体」なのだ。
貨幣という共同体。お金さえあれば、いまや世界のどこでも生きてゆける。近代市民社会は、「貨幣という共同体」を「生存の基盤とする」ことによって成り立っているし、それなしには「ほとんど生存自体が許されていない」。
近代市民社会以前、とくに共同体のかたちが不完全であった古代や中世に、民衆が「共同体を生存の基盤にする」ことだけで生きてゆけるはずがないじゃないですか。そのころ、共同体を生存の基盤にしていたのは、支配者たちだった。もともと支配者(リーダー)とはそういう人種でもあるわけで、彼らは、観念的には、共同体をみずからの「身体」として生きているのだ。
中世の共同体なんか当てにならなかった。民衆が当てにしていたのは、「共同体」ではなく「支配者(リーダー)」です。彼らは、支配者(リーダー)の決定にしたがっていたのであって、共同体の決定ではない。ことに日本列島において、リーダーのいない民衆だけの共同体がどんなにいいかげんなものか、民衆じしんがいちばんよく知っていたでしょう。
日本列島の民衆は、「先を読む」能力が希薄です。彼らは、今日の米があるうちは、働こうとしない。なくなってからあわてて働き出すのが、日本列島の民衆という人種だった。
それに対してリーダーは、なくなることを読んで、その前から働こうとする。古代や中世の共同体は、そういう人間のいうことを聞いて、なんとかかんとか動いていたのだ。
中世以前の民衆にとっての「世界=宇宙を基底から構成するもの」は、正真正銘の「身体」そのものだったはずです。「やまとことば」は身体的な言葉である、ということはよく聞くが、それは、日本列島の住民が、身体そのものを「世界=宇宙を基底から構成するもの」として生きていたからでしょう。「やまとことば」に比べたら、欧米語や中国語は、ずっと共同体的です。
前近代の人びとが「共同体を生存の基盤にしていた」だなんて、考えることが安直すぎます。
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中世の芸能民や遊行聖を、「悪・罪・穢れの具現者である遊手浮食の徒」と見ていたのは、権力者たちです。
日本列島の民衆は、「今ここ」の「向こうがわ」を読む能力と習性がない。であれば、今ここの向こうがわからやって来る「異人」である芸能民や遊行聖に「悪・罪・穢れ」を自分たちからイメージしてゆく能力などなかったのです。「悪・罪・穢れ」のイメージは、まず権力者のもとで発生する。民衆は、そこから下りてくるイメージとしてそれを模倣していただけで、彼らの本性としては、つまり「世界=宇宙を基底から構成するもの」としてみずからの身体そのものを実感している部分においては、「向こうがわ」からやってくる者たちはあくまで「まれびと」として祝福・歓待する対象だったはずです。
芸能民や遊行聖は、権力者から排除されて(あるいはみずから逃れて)、民俗社会を訪ねてきた者たちです。彼らは祝福する対象を求めていたし、民衆もまた、根っからの祝福しようとする人種だった。彼らが、民衆から悪意を持たれたり民衆に悪意を持っていたりしたら、ひとりで村を訪ねてくることなんかできるはずないじゃないですか。祝福し祝福される関係だったからこそ、そういう行動が取れたのだ。
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そして権力者は、共同体をみずからの身体のようにイメージしながら、「敵=向こうがわ」を排除してゆくことをアイデンティティとしている人種です。彼らは、芸能民や遊行聖を「怨霊」だと見ていた。民衆という実際の「身体」を被支配のがわに排除して、「共同体」という「空間」をみずからの「身体」として自覚している人種です。そうして、芸能民や遊行聖を、「共同体という身体」を失い「他界」からやってくるひとつの「怨霊」である、という視線を持った。
それに対して民衆は、共同体をみずからの「身体」であるとは思っていない。身体は身体、「この身体」だ。共同体など当てにならない。当てになるのは、リーダーの判断だ、と思っていた。だからこそリーダーの判断を祝福・尊重して共同体の災厄を「怨霊の祟り」だとも受け取っていったが、彼らじしんに芸能民や遊行聖を「怨霊」であると判断する能力はなかった。彼らは共同体など当てにしていなかったから、共同体の外を「他界」と見る視線も希薄だった。「悪・罪・穢れ」は自分たちの村の「災厄」にあるのであって、芸能民や遊行聖にあるのではない。むしろそれらの漂泊者は、自分たちの負った「悪・罪・穢れ」から解放してくれる存在として見ていたはずです。
支配者(リーダー)と被支配者である民衆は、正反対の世界観・身体観を持っていた。これが、前近代の日本列島の構造であろうと思えます。
「近代市民社会以前には、世界=宇宙を基底から構成するものは、ゆいいつ共同体であった」、などという安直な分析で民俗社会を語られたら困ります。それは、あなたたち近代市民の自惚れであり、差別意識です。近代市民こそ、「貨幣という共同体」を、「ゆいいつ」ではないだろうが、もっとも「世界=宇宙を基底から構成するもの」として生きているのだ。