「いじめ」と公共心

僕は、「まれびと信仰」を過去の習俗だとは思っていない。今なおわれわれの中に息づいている、普遍的な他者にたいする意識の、あるかたちだと思っている。
民俗社会の心性の根底に「異人にたいする恐怖心と排除の思想」がはたらいているとする小松氏の分析のほうが、僕にとってはよほど空々しく聞こえる。こんな愚劣な分析は、できることなら屠り去ってしまいたい。こんな愚劣な分析が民俗学のテキストとして大手を振ってまかり通っているのは、そんなの変だと思う。
異人とは、他者のことでしょう。地を這うような歴史を歩んだ農民をはじめとする民俗社会の人びとが、異人という他者にたいするそんな傲慢な意識で生きていけたでしょうか。
弱いものが生き延びるすべは、他者を好きになるしかないのです。子供が親を慕うのは、慕わないと生きていけないからです。いい親だから、慕うのではない。子供に慕われているから自分がいい親だと勘違いしている大人たちはたくさんいる。
弱者として生きた民俗社会の人々は、他者を怖がっているのではない。支配される暴力を怖がっているだけです。「恐怖心と排除の思想」で他者を拒否できるなら、支配なんかされない。すくなくとも、あんなにも支配に従順ではなかったはずです。
日本人は、なぜ支配に従順であるのか。支配者すらも、祝福する「まれびと」としてひとまず受け入れてしまうからでしょう。それは、子供の親にたいする気持に似ている。そういう日本列島的心性の伝統が、支配に従順な民衆を生んだ。
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氷河期が空けて海に閉じ込められた日本列島の住民は、もうどこにも行けないと悟った。それは、自分がどこにも逃げることができないし、誰も排除できないと悟ることだった。人々は、海を眺めて暮らしながら、しだいにそういう気持になっていった。
また、日本列島で暮らすかぎり、どこからも侵略されなかった。
もともと日本列島には、他者を排除する文化はなかった。なぜなら、海に囲まれて、排除する場所がないからです。排除しようとする衝動は、地平線の向こうから人がやって来たり、地平線の向こうに出かけて行ったりしているところで生まれてくる。
中国やヨーロッパ大陸ではすでに五千年くらい前から共同体間の戦争を繰り返していたといわれるが、日本列島では、それからなお三千年近く共同体も戦争も知らない縄文時代が続いた。つまりその間も、他者を排除する戦争ではなく、ひたすら他者を「まれびと」として迎える文化を育んでいた。
日本列島の伝統において、「排除」しようとする衝動は希薄です。
たとえばヨーロッパの城塞都市のようにはっきりと境界が区切られていれば、その外に追い払うという行為が成り立つが、日本列島の村落は境界があいまいで、周縁部がすでに外部に溶けてしまっている。だから、追い払うというイメージが明確なかたちにならない。
「まれびと=異人」を迎え入れることの醍醐味は、心が外部にいざなわれることにあります。すなわち人々の心は、すでにはんぶん外部に溶けてしまっている。外部に向かって開かれている、と言い換えてもよい。その心でまれびとを迎え入れる。はんぶん外部に溶けてしまっている心であれば、「排除」の衝動は起きようがない。
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日本人には公共心がない。民俗社会の人々の心は、はんぶん共同体の秩序から離れ、漂泊してしまっている。人々は、どこかしらで秩序から逃れたがっている。そういう心によって「民俗社会」が成り立っているのであって、赤坂憲雄氏や小松和彦氏のいうように「秩序を維持する」ことを第一義として成り立っているのではない。
自分の心が、すでにはんぶん漂泊してしまっているのだから、他者を「排除」しようとなんか思いようがない。はんぶん逃げ出したいと思っている者が、他者を追い払って自分だけ居座ろうなんて、そんな矛盾したことを思えるはずがない。
日本列島の民俗社会を成り立たせていたのは、秩序を維持しようとする「公共心」ではない。秩序を受け入れつつ「秩序を嘆く」心を共有しているところにあった。そのような「秩序を嘆く」心で「まれびと」を歓待していたのだ。
公共心がないことをばかにしちゃあいけない。公共心があることを自慢されても、僕はえらいとも思わない。
公共心とは、「いじめ」の思想でもある。ホームレスを襲撃する若者は、「汚いものは排除しなければならないのだ」という公共心に突き動かされている。だから、犯人が中学生くらいである場合には、ほとんど反省や後悔の弁がない。学校内の「いじめ」だって、「いじめてもいいのだ」という公共心でやっているのだろうと思います。そういうお墨付きを、知らず知らずのうちに親や学校や社会が与えている。