まれびとの原像・2

「人間は、神になろうとしなければ、人間にすらなれない」と言った西洋の哲学者がいます。
人間であることは、神になろうとすることらしい。
神(ゴッド)と人間をはっきり分けているキリスト教の国ですらそういう認識が生まれてくるのだから、神と人間の境があいまいな日本列島なら、なおそんなふうでしょう。
もしかしたらわれわれの暮らしのいろんな断片に、神であろうとする習俗を見つけることができるのかもしれない。
亭主関白、という。それは、男が女に対して神になろうとする態度であるのかもしれない。そのていどの神なんて何ほどのこともないが、ともあれ神になろうとする衝動があってこそのことでしょう。また、その関係が成り立つためには、女のほうにも、男を神として迎えようとする気分がはたらいていなければならない。
日本列島には、そういう関係の伝統がある。べつに、威張り散らすだけが神でもない。それ以前に、他者を神のように「遠い」存在と見たて、畏れ敬ったり、慕ったりする意識がある。そういう伝統的な他者意識があるから、ときに頭に乗って男が威張り散らす習俗も生まれてくる。男が威張り散らすことは普遍的でもなんでもないが、他者を遠い存在の神として迎える意識の伝統はあるように思えます。
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縄文時代、男たちは、山野をさすらいながら、女と子供だけの集落を訪ね歩いていた。それはまさに、遠いところから訪れ祝福する「まれびと」の姿だったはずです。その「まれびと」を、女たちは、神として迎えた。あるいは、男たちも、女を山の神として訪ねていった。
おおげさにいえば、縄文時代とは、人間が神であった時代だった。
旅をする神と、山の神。これが、日本列島における信仰の伝統として、その後の時代にも続いていった。
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日本人の「山の神」信仰が、いかに歴史的な深さを持っているかということは、いまさらいうまでもないでしょう。それに加えて折口信夫が、いまや地下水脈となっている「旅する神=まれびと」を発見した。その功績は、偉大だと思えます。これによって、日本人の他者意識のかたちが浮かび上がってきた。
小松和彦氏をはじめとする民俗学の研究者の多くは、神としての「まれびと」と人としての「まれびと」を分けて考えようとするが、おそらくもともとのイメージは、そうはっきりした区別などなかったのです。
日本列島においては、人が神であった時代がたしかにあったのだし、今なおわれわれも、どこかしらで他者を神のように見たり、みずから神になろうとするような態度を持ちながら暮らしているのだろうと思えます。
祭りで蓑笠をつける習俗は、「旅する神(まれびと)」の姿をあらわしている、と折口信夫はいっています。蓑笠をつけて「身をやつす」こと、それが神になる行為である、と。旅の疲れを身にまとうこと、それが、神の姿だ。であれば、現代の若者が擦り切れたジーパンを穿くのも、やっぱり身をやつして神になろうとしている行為だといえるはずです。そしてそれは、彼らに、そういう姿の他者を「かっこいい」と祝福する心性を持っているからでしょう。
他者を神として祝福する心性、それが「まれびと信仰」です。
たとえば、奈良時代に、家々を門付けして歩いた乞食姿の歌芸人である「ほかいびと」は、村人に神として迎えられたと同時に、彼らじしんが家の中の人を神として祝福してもいたのです。
古代人の気分に、神と人間の区別などなかった。
まれびと信仰の水源は、縄文時代にある。そしてその水脈は、現代に住むわれわれの足もとにも流れている。