団塊世代が見た「異人」の風景

僕は、伊勢の生まれです。
子供のころ、観光シーズンの駅や伊勢神宮の前の通りで、よく「傷痍軍人」を見かけました。戦争で手とか足を失い、白い服を着て乞食をしている人たちです。
東京や大阪の都会には、もっとたくさんいたのでしょうか。商売柄、都会の雑踏のほうが実入りはいいはずです。とすれば伊勢でする人は、何か宗教心とか国家にたいするルサンチマンのようなものがあったのだろうか。
ゴザの上に座ってハーモニカとかアコーデオンで軍歌を演奏をしている人もいれば、松葉杖をついて立ったまま首からお金を入れる箱を下げているだけの人もいた。
僕はあまり記憶力のいいたちではないので、細かいことはよく覚えていないのだけれど、なんだかとても怖かった記憶だけは残っています。
白い服は、死人の衣装ですからね。しかも手や足がないのだから、同じ人間という認識をどうしても持つことができなかった。はっきりいって、怖かったです。とくに、道ですれ違うときは、足がすくみ、息が止まりそうになったものです。人間ではない人間。死の世界からやってきている人間。つまり、あれが、僕の人生で最初の「異人」体験だったのかもしれない。
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では、大人たちは、どう思っていたか。もちろん、子供が抱くような恐ろしさはなかった。ただ、働くことができないかわいそうな人だと思っていただけでしょう。
いや、それだけじゃない。
あるとき僕を育ててくれていたおばあさんが、近所の主婦と、ある傷痍軍人の噂話をしていました。名古屋から来た人で、どこそこの旅館に泊まっていて、女の人と一緒に歩いていたのを見た。その女の人は伊勢のどこそこ住んでいるとか、まあそんなような世間話でした。
そのとき僕は、子供だから、ああ傷痍軍人も同じ世界の人かと、ちょっと不思議なようなほっとするような気持だったのですが、今にして思えば、あれは大人の世界の卑猥な話だったのかもしれない、という気がします。
二十代のころに知り合った年増のおかまの人から聞いたのですが、その人の故郷にむかし傷痍軍人を愛人にしている未亡人がいたそうです。ある種の女性にとって、そういう障害を持った男とのセックスは最高に燃えるもので、一部の娼婦はそういう男が客のときはけっして手抜きをしないのだとか。もちろん、終戦後の娼婦と今の娼婦では、ずいぶん気質は違うのだろうけど。
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「目病み女と風邪引き男」という俗言がある。近眼の女のぼんやりした目の表情や、風邪を引いた男のちょいと苦しげでけだるい風情は、それはそれでひとつのセックスアピールだという意味です。
足の悪い男はもてる。女の母性本能をくすぐる・・・・・・僕の二十代のころは、確かにそういう風潮がありました。
したがって小松和彦氏の、「民俗社会の人々における異人にたいする恐怖と排除の思想が異人殺しを生む」という分析は、けっして正確とはいえない。
昔ほど、「異人」は歓待されたのだ。乞食姿の旅の僧やめくらの琵琶法師には、セックスアピールがある。そしてそれは、欧米の白人が黒人の性的能力にコンプレックスを抱く、というのとはちょっとちがう。「異人」に性的能力があるわけではない。むしろ性的能力がなさそうに見えることこそ、セックスアピールになっている。そのとき人は、「異人」が身にまとう「死の世界=他界性」に引き寄せられているのであり、その気配こそセックスアピールなのだ。
マッチョで胸毛が生えていれば、セックスアピールがあるというものではない。やつれた姿の「異人」は、それじたいでセックスアピールを持っている。「異人」を「まれびと」として歓待する民俗社会の習俗は、セックスアピールの問題でもある。
むずかしい話じゃない。あの夕焼け雲の下にはどんな世界があるのだろうと思う。「異人」は、そこの世界に住んでいる。われわれの中に夕焼け雲に思いを馳せる心があるのなら、それが「異人」を歓待する心になる。
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そのとき子供の僕は、傷痍軍人を怖がることによって、「他界」というものを知らされた。それは、ひとつの通過儀礼のようなものであり、この世とあの世、すなわちみずからがこの世という共同体の一員であることに気づかされると同時に、あの世という夕焼け雲の下のもうひとつの世界に思いを馳せるようになってゆくきっかけになる体験でもあった。
そのような体験を繰り返しながら人は、生きてあることの「嘆き」を知り、遠いものや美しいものへの「憧れ」をみずから育んでゆく。
傷痍軍人は、生きてあることの「嘆き」をもっとも色濃く体現する存在であると同時に、もっとも「他界」を象徴する存在でもあった。
遠い世界(他界)から乞食姿に身をやつしてやってきた旅の僧やめくらの琵琶法師は、民俗社会の人々の心を夕焼け空の下の世界(他界=非日常)にいざなう。
彼らが、何のために乞食姿に身をやつしていたのか。日本列島の歴史と伝統において、旅の僧や琵琶法師は、いつだって「嘆き」を体現しつつ「他界」を知らせる存在として訪れてきたのであり、それは、ひとつのセックスアピールであっても、民俗社会の人々に「恐怖心や排除の思想」を抱かせるような姿ではなかったのだ。
「はかなし」、「あはれ」、「数奇(すき)」、「わび」、「さび」、「すさび」・・・・・・乞食姿とは、おおよそそのようなものであり、日本的なセックスアピールの伝統です。
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小松氏の「異人殺しのフォークロア」という論文は、次のように締めくくられる。
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「異人」とは民俗社会の人々から「しるしづけ」を賦与された者である。そして「異人」は、社会のシステムを運営してゆくために、具体的行動のレベルでもその“暴力“と“排除”の犠牲になり、また象徴的・思弁的レベルでもその“暴力”と“排除”の犠牲されていたわけである。つまり、民俗社会は外部の存在たる「異人」に対して門戸を閉ざして交通を拒絶しているのではなく、社会の生命を維持するために「異人」をいったん吸収したのちに、社会の外に吐き出すのである。
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そんなに「暴力と排除の犠牲」にされてばかりいたら、「異人」だって、来いと言われても行かなくなるでしょう。旅の僧や琵琶法師が村々を訪ねて歩くという習俗がいったい何百年続いたことか。何百年も続かせるような「歓待の心性=まれびと信仰」を掬い上げることができなくて、何が学問か。
異人を「暴力と排除の犠牲」にすることが「社会のシステムを運営してゆく」ことになっていたのか。なっていないですよ。異人を殺せば、その家や村に、つねに「祟り」が生まれて運営の障害になっていた。
まあ小松氏としては、ときどき異人を殺してそういうサディズムを放出していないと村は運営してゆけなかった、といいたいらしい。
しかしその「異人殺し」の説話は、どこの村でも、村の何百年の歴史でたった一回だけ起こった特異な事件として語っているだけじゃないですか。とすれば、民俗社会はなぜ「異人」を殺すのかではなく、なぜ民俗社会の心性から逸脱して「異人殺し」が起きるのか、と問うべきなのだ。
民俗社会に「異人殺し」の話があるということじたい、民俗社会の心性の根底に「異人にたいする恐怖心と排除の思想」がなかったことを意味しているのだ。
「社会の生命を維持するために異人をいったん吸収したのちに、社会の外に吐き出すのである」だなんて、村がそんなに都合よく異人を動かせるわけないじゃないですか。「異人」は、村が所有する道具なのか。村のおもちゃなのか。「異人」は、村のそういう悪意を見抜けないほどのあほばかりなのか。川でめだかを掬っているわけじゃないんだ。
どうして、こんなくだらないことばかりいうのだろう。検討すればするほど腹が立ってくる。