団塊世代とビートルズ・7

ビートルズのデビュー曲「ラブ・ミー・ドゥ」は、ポール・マッカートニーのアイドル志向の自意識が見え隠れする、いかにも舌ざわりのいいポップチューンです。とくにその歌詞は、一見他愛なく空々しいだけのようでもあるが、
 
「ねえ、愛しておくれ/こんなに君が好きなんだ/ぜったいに裏切ったりしない/だから、どうか愛しておくれ?この僕を/  誰かを愛したい/新しい恋人が欲しいのさ/誰かを愛したい/君みたいな娘を/  ねえ、愛しておくれ/こんなに君が好きなんだ/ぜったいに裏切ったりしない/だから、どうか愛しておくれ/この僕を」

彼の才能を考えたとき、これを直ちに低レベルの作詞と片付けることはできない。できるだけ広い範囲からうけを狙おうとするなら、言葉はとうぜんシンプルでありきたりになる。おそらくそういう自意識が書かせている。そうやって思春期の若者の普遍的な気分をスケッチしつつ、もしかしたらこれは究極のラブソングたろうとする野心を隠し持っているのかもしれない。
もともとビートルズは、チャック・ベリーをはじめとするプリミティブなロックンロールのスタイルを目指していたのだが、穏やかなテンポのこの曲にはそうしたスピード感やシャウトする荒々しさはない。自分たちの音楽的な志向はいったん脇において、とりあえず誰もが口ずさめるバブルガム・ミュージックをつくってみよう、そういう意図はきっとあったに違いない。そのシンプルな曲調は、なんだか世界のどこにもあるわらべ歌のようでもある。一応ブルースのコード進行をベースにしたロックチューンであるのだろうが、いちど聞いただけで耳に残るその親しみやすさというか人なつっこい音の感触は、たとえばイギリスでの「ロンドン橋落ちた」とか日本の「あんたがたどこさ」のようでもある。
しかし、妙におしゃれで色気のあるサウンドである。この才能は、おそらく非凡だ。この曲はイギリス限定のいわば試験的な発売で、とくに表立った宣伝活動もしなかったらしいのだが、それでも全英二十位以内に入ったのだから、これによってポールはヒット曲をつくるためのある程度の感触はつかんだのかもしれない。
ビートルズ解散後の「ウイングス」の活動にせよ、まあ、彼は、毒にも薬にもならないバブルガム・ミュージックをつくる天才だった。
同僚のジョージ・ハリスンさえも「どうしてあんな歌ばかりつくるのだろう」と首をひねっていたが、良くも悪くもポール・マッカートニーのこの俗っぽさが、ビートルズが世界中を席巻してゆく原動力になっていたのでしょう。
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ビートルズが売れる歌をつくり続けたことは、彼らのヒットメーカーとしての非凡な才能とは別に、ロックバンドとしてのある限界を宿命づけられたものであったのかもしれない。彼らが、デビュー前にドイツで活動していたのは、自国では満足な活動の場を与えてもらえなかったからであり、その意味ではイギリスにたいして義理はなかった。
そしてその無国籍性こそがグローバルなヒットを生み出すための自由な発想の武器になり、世界中の若者の気分をとらえることに成功したが、けっきょくそのために具体的な若者のかたちをついに造形することができなかった。
「ラヴ・ミー・ドゥ」は、誰もが思い当たるような恋の気分をさりげなくおしゃれに切り取って見せてくれるが、具体的にどんな女の子とどんな男の子の恋なのかということはまるで見えてこない。こうしたメッセージはときに普遍的であるという称賛が与えられるが、別の面からみれば、若者の恋を均質化してしまっている表現であるともいえる。これはまさしく、そのころ成長の一途をたどっていた資本主義経済の戦略とまったく同じスタンスであろう。ダンスパーティーにはコカコーラがよく似合うというイメージを世界中に振りまけば、世界中の誰もがダンスパーティーでコカコーラを飲むようになる。これと同じことだ。
ビートルズのラブソングは、デビューから名曲「イエスタデイ」を経て最後のアルバムにいたるまで、終始この切り口です。「イエスタデイ」が教科書に載っているということは、それはすでにもう社会(共同体)の共有物であって若者だけのロックアンセムではない、ということだ。
もともとロック文化は、若者のなかにある社会とはけっして共有でできない部分に訴える音楽として発生してきた。「イエスタデイ」を通じて大人と若者が和解しあうことが、そんなに素敵なことだろうか。
60年代の生粋のブリティッシュ・ロックバンドであるザ・フーは、「マイ・ジェネレイション」のなかで、「俺たちのこと、理解しようとするなよ、年とるまえに死にたいぜ」と歌っている。若者のなかに、そのような社会と共有できない部分がないのなら、そのような嘆きがないのなら、ロックミュージックなどなくてもいいのだ。