団塊世代とビートルズ・6

アメリカにおいて、ロックミュージックのムーブメントが社会現象といわれるかたちで最初に起きたのは、プレスリーの登場だった。
そのときアメリカの大人たちはビートルズ上陸のとき以上にうろたえ眉をしかめたものだったが、この場合は世代間の対立というよりもじつは、突然社会の表舞台に登場してきた黒人文化にたいして既得権益である白人文化を守ろうとする反応であった。
そして白人の若者たちもまた、ロックンロールという黒人音楽に惹かれながらも、大人たちやそういう白人優先の社会構造を拒否するほどの意識はなかった。あくまで白人のプレスリーが、黒人に負けないくらい魅力的にそれを演じてみせたから熱狂したわけで、もしかしたらそういう白人の出現を待望していたのかもしれない。
だからそのあと白人ロッカーが次から次に登場してきて、当時の日本人のほとんどは、ロックンロールは白人の音楽だろうと思っていたくらいです。
プレスリーはむしろ、白人の若者のなかにあった黒人音楽コンプレックスを払拭する役割を果たした。そうしてそれ以後アメリカのヒットチャートは以前にも増して白人主導になり、けっきょく白人文化のヨーロッパへのあこがれを満たすための薄味で口当たりのいい音楽がもてはやされるようになっていった。
で、そのころロックンロールを生み出した当の黒人たちはといえば、そうした白人主導のポップシーンの陰で、ロックンロールをさらに洗練させたリズム&ブルースのムーブメントをつくり出していったのだった。
当時の、生粋のブリティッシュ・ロックの旗手であった「ザ・フー」や「モッズ」と呼ばれたストリートの若者たちは、ジェームス・ブラウンをはじめとする黒人のこの音楽を夢中になって聞いていた。
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すくなくとも、そのとき経済成長著しいアメリカ社会における白人の若者に、社会や大人を拒否する理由はなかった。乗用車に乗ってデートやダンスパーティーに出かける楽しい週末とアメリカンドリームの未来を、大人たちはちゃんと与えてくれた。ただそこからやがてキューバ危機が起こり、ケネディが暗殺され、黒人の公民権運動が盛り上がるなどして幸せな白人社会の矛盾があらわれてくるようになり、その不安を突いてビートルズが上陸していったのだった。
そういう要素は、日本の社会にもありました。
戦後市民権を得た社会主義運動が、部落差別反対運動などと合流しながら、もっとも成長してきた時期だった。また、つねに新しいものが生まれ歓迎される社会であれば、若者は、古い存在である親や大人たちを、何かにつけて否定的な目で見るようになってくる。戦後生まれの子供たちが、大人がかんたんに手なずけられるような存在ではなくなってきた。だから大人たちは、「青春」を賛美する状況をつくって彼らの反感をしずめようとした。
アメリカと同じように、日本国民だって、もはや戦争直後のような一枚岩の連帯感はなくなってきていたのです。
つまり、繁栄を謳歌することの「たたり」が露出してきた。
たたりをしずめるためには、祭りが必要です。
たとえばクマ祭りなど、けものに憑依した踊り手が神へとメタモルフォーゼしてゆくように、そういう存在としてビートルズが登場してきたのです。
ビートルズは、けっして共同体を否定する存在ではなかった。共同体の存続のために、けものに憑依した祭りの踊り手だったのです。古来から芸能は、そうやって発祥してきた。
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そのときビートルズが幸運だったのは、彼らが外国人であり、しかもアメリカの宗主国たるイギリスからやってきたということで、大人たちもそうそうむやみに眉を逆立てるわけにいかなかったということもある。なんといってもプレスリーは自国の若者だったから尻を叩いて叱ることもできたが、ビートルズは悪がきとはいえ、いわば本家のお坊ちゃんである。しかも少々反抗的だとしても、既成のアメリカの価値観や嘘っぽいヒューマニズムを否定してくるほど手におえない相手ではなかったのだ。
サウンド的に言えば、ビートルズは、いったんは白人が占領してしまったロックンロール志向であり、いずれ白人音楽を凌駕するようになるかもしれない黒人のリズム&ブルース的な色合いは希薄だった。あくまで白人文化を活性化する存在としてアメリカに受け入れられていったのだ。
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何のかのといってもビートルズは、日米両国の若者の、女(男)の子デートする日々を盛り上げてくれた。
若者たちがそうやってのんきに浮かれていてくれたら、大人たちも安泰です。
団塊世代全共闘運動が挫折していった一つの原因に、同世代の若者のほとんどを引き込んでゆくことができなかった、ということがあります。本気で運動に熱中していたのは、団塊世代全体の一割弱だった。
多数の団塊世代は、ビートルズが盛り上げていったムーブメントとして、つぎつぎに新しく生まれてくる車やファッションの情報を取り入れながら、女(男)の子とデートする「青春」を謳歌しようとしていった。
ビートルズのせいで全共闘運動が挫折していったのだ、とまでは言わないが、世を挙げての青春礼賛やら、ビートルズやら、共同体を維持する「祭り」が盛り上がっていましたからね。団塊世代がまるごと全共闘運動に傾いてゆくということにはならなかった。