閑話休題・団塊世代が犯したエラー・Ⅱ

戦争が終われば、時代は変わる。
とくに太平洋戦争後のこの国のように、あれほど無残な負け方をすれば、もう、元に戻るというようなかたちの変わり方はできなかった。もしかしたら、明治維新よりももっとラディカルな変わり方をしたのかもしれない。
明治維新の場合、神道天皇の権力の復活ということがあったが、太平洋戦争後に復活したものなど何もなかった、といえるのかもしれない。
何もかもが壊れ、何もかもを壊して、すべてを新しくつくってゆくしかなかった。
とはいえ、新しければいい、というものでもない。川端康成ではないが、「美しい日本」の復活を願う声は、最近あちこちで聞かれる。
僕は「美しい日本」がどんなものであるのかよくわからないが、復活するまでもなく、いやおうなくわれわれの中に残っている太古以来の日本的な心性というのはあるに違いない。
そのとき、戦争に負けた、という体験をした人たちにとっては、何もかもが新しくなってゆくことは、大きな希望であったらしい。
しかしそのとき、戦争に負けたという記憶を持たないわれわれ団塊世代以降の子供は、その事態をどう見ればよかったのか。どう見ていたのか。
戦後がはじまった時代において、戦後に生まれた子供たちだけが、戦争に負けたという記憶を持たないで生きていたのです。いまや団塊世代は多数派の代表のようにいわれているが、そのときだけは、孤立したもっとも少数の世代として存在していたのです。
われわれ団塊世代以降の子供たちこそ、戦後の日本が生み出した「新しいもの」の象徴だったのでしょう。われわれこそ、戦後日本の希望を体現する存在だったのです。
そしてわれわれだけが、その希望の何たるかを知らなかったし、その希望とは無縁に生きていたのです。
・・・・・・・・・・・・
団塊世代を総括する」という本の著者をはじめとする、団塊世代を批判する人たちはいう。団塊世代は群れたがる多数派意識の持ち主だ、と。冗談じゃない。おめえらに、われわれの孤立感の何がわかるものか。
俗物根性を丸出しにして「団塊世代を総括する」なんて、安っぽいこと言ってんじゃねえよ。おまえのほうが、われわれよりはるかに尻軽な群れたがる人種じゃないか。
僕は、この本の著者のように、大学を卒業してすぐに広告会社にもぐりこんでゆくような能力もメンタリティも持てなかった。世の中や大人たちが怖くて気味悪くて、大学もやめて町の底をさまよっていた。
あのころの僕は、生首少年と同じように、人の言うことにうつろな反応しかできなかったし、昨日のことすらよく思い出せないような日々だった。寝るところもないままひと月くらいすぎたあと、やさしい言葉をかけてくれたある人の家に泊めてもらったとき、寝小便をしてしまった。だからそこも一晩で逃げ出した。
自衛隊の人や保護観察士の紳士とラブホテルに泊まったこともあった。
あるとき、街なかで立ち話をしている見知らぬ人の「あいつ、まだ生きていやがる」という声が聞こえた気がして、思わず振り返った。彼らは、僕なんか見ていなかったが、消えてしまいたい気分になった。それが、たぶん、僕の旅の終わりだった。
といっても、あのころちょっと記憶喪失気味だったから、そう鮮明に覚えているわけではない。
もし、あのとき警察に保護されていたら、きっとその場で精神病院に送られていたことだろう。しかし、それでもあれは、間違いなく僕の人生の黄金時代だった。
また、「団塊ひとりぼっち」という本を書いた著者のように、少数派どうしで群れながら生きてきたくせに「ひとりぼっち」なんてしゃらくさいことを自慢げにいう団塊世代じしんの態度も、なんだか虫が好かない。「ひとりぼっち」じゃいられなくなるのが、「ひとりぼっち」なのだ。そこのところ、おまえに何がわかる。
団塊世代のことを考えると僕はもう、内にたいしても外に対しても、無性に腹が立ってくる。
・・・・・・・・・・・・・・・
いずれにせよ、戦後生まれのわれわれ団塊世代には、少数民族意識というか、あるいは川端康成いうところの孤児根性みたいなものが、どこかにある。
少数民族意識は、へたをすると、鼻持ちならないエリート意識や、安っぽい「おらが国自慢」になる。「懐かしい昭和の風景」とか「ビートルズ世代」とかいう団塊世代の自画像は、ようするにそういう意識なのだろうと思えます。
われわれには、戦争はもう二度とごめんだ、というような認識=希望はなかった。われわれは、戦争を知っている人たちばかりの世の中で、ほんの少しの戦争を知らない世代として生まれ育ってきた。だから、仲間どうしで群れようとする。それは、まさしく少数民族意識であり、横浜や神戸に中華街があるようなものです。
団塊世代を総括する」の著者のようにけちな市民意識を振りかざして正義づらされるのもいやだが、「団塊ひとりぼっち」の著者のような油断のならない少数民族意識も、それはそれでうさんくさい。
団塊世代はなぜ、仲間どうし群れながら社会の真ん中に居座ってゆくことができたか。それは、つねに「家族」という関係を生きてきたからでしょう。彼らは、戦争を知っている両親と、「家族」という、社会=マジョリティにたいする少数民族の集団(バンド)をつくって育ってきたのです。つまり、そのようにして家族の一員であると自覚することは、戦争を知らない世代としての少数民族意識から解放されることだったのです。家族という少数民族意識によって、小数民族であるほかない世代としての自覚から解放され、社会の真ん中に居座っていった。
「ニューファミリー」ブームの担い手であった団塊世代にとって、家族というアイデンティを得ることは、そのまま社会に居座る基盤を持つことでもあったのです。
戦争直後の時代における団塊世代にとっての家族は、彼らの、戦争を知らない孤立した世代であるという自覚から解放される装置として機能していた。
たとえばですよ、戦争に青春も家族も奪われた団塊世代の親にとって、異性と出会って「家族」をいとなみ子をつくるという体験は、どんなにか待ち望んだ貴重なものであったことか。そりゃあ、しみじみ大事にするでしょう。日本列島の歴史がはじまっていらい、もっとも家族を大事に思った人たちだったのです。そういう親たちならびにそういう時代に育てられたのであれば、団塊世代の家族に対する愛着もまた、なみなみならぬものに育っていったのは当然の帰結でしょう。
・・・・・・・・・・・・・・
しかし僕の父親は、もともと孤児だから、戦争から帰ってきた直後は、家族なんかくそくらえの気分で生きていた。で、好き勝手に女遊びをしていたのだが、あるとき人妻とののっぴきならない過ちを犯してしまい、もう別の誰かと結婚せざるをえない羽目におちいり、まわりからなかばむりやり結婚させられた。
だから、家庭なんか、ちっとも大事にしなかった。でも、子供にたいして、親としてではなく、ひとりの人間として向き合うことには誠実だったのかもしれない。
僕は、家族の存在は否定するが、父(母)親の存在は肯定して受け入れる。
しかし、僕が見たかぎり、まわりの団塊世代は、家族を肯定して、父(母)は否定しようとしていた。家族を否定することなんかできない時代だったし、無残な敗戦を体験した国として、古いものは否定するのがあたりまえの時代でもあった。つまり、親こそ、もっとも身近で厄介な古いものだった。
まあ、いまなら、あのころの僕の家と同じようなろくでもない家庭はいくらでもありますがね。
・・・・・・・・・・・・・
孤立する世代として戦後社会に出現した団塊世代は、古いものとしての親を否定しつつ、孤立から免れることのできる拠点としての家族を肯定し受け入れていった。
戦後の日本の新しい歴史は、かつてないほどのタイトで新しい「家族」を構築してゆくいとなみとして始まった。そして70年代中ごろからの「ニューファミリー」ブームは、古いものを否定し新しいものを求めようとしてきた戦後史の、ひとつの達成だったのだろうと思えます。
父(母)という存在は、家族における永久の上位者であり権力者であるのだから、家族を肯定してしまうかぎり、けっして子供が、ひとりの人間(他者)として肯定できる存在にはなりえない。というか、肯定できるようになるまでには、とても長い時間がかかる、ということでしょうか。17歳じゃ、ぜんぜん時間不足です。親と同じかそれ以上の給料をもらうとか新しい家族を持つとかして、いっちょまえの大人になってからの話でしょう。だから、17歳が、親に対してどんな不埒な考えを持とうと、誰も文句はいえないのです。
親が肯定されるためには、その家族はいったん否定(もしくは解体)されなければならない。いい家族関係を構築することは、あたりまえの人間関係を喪失することです。しみじみとして美しい家族関係の構築として始まった戦後の歴史は、あたりまえの人間関係を失ってゆく歴史でもあった。そこに、団塊世代の醜さと不幸と、戦後の未曾有の経済発展を遂げた栄光とがあった。
「懐かしい昭和の風景」なんて、べつに自慢することでも懐かしがることでもない。戦争を知っている大人たちに混じって、われわれ団塊世代の子供たちは、その断絶と孤立感にひりひりして生きていたのだ・・・・・・かどうかは、もう遠い昔のことだから、よく思い出せません。
でも、子供のころ、どうして夜の闇があんなにも親密だったのだろう、とこのごろよく思います。われわれの子供のころの夜の闇には、とろりと甘い気配があった。まあ、この先を話せば長くなってしまうのだけれど。