縄文時代の大陸との関係

たとえ丸木舟しか持っていない原始時代であっても、対岸が見えていれば、そこに渡ってゆくこともあったでしょう。
最初は偶然漂着しただけだろうが、やがて、どうしてもこんなところにいたくないという一心で渡ってゆくことが起きてきて、最終的にはあたりまえのように行ったり来たりするようになる。
好奇心、ではない。たとえ好奇心があったとしても、その意識には、向こうの土地には何があるかわからないという恐れや不安も混じっている。世界地図も日本地図も知っているわれわれが抱く好奇心と原始人が抱くそれとは、ずいぶん違うはずです。だいいち原始人は、そんな好奇心が起きてくるほど退屈してはいない。
好奇心で人間の歴史を語ろうなんて、愚劣な発想です。想像力の貧困だ、と言ってもいい。
どうしてもこんなところにいられないという事情か気分がないかぎり、知りもしない海の向こうに漕ぎ出そうという衝動なんか起きてこないでしょう。
たどり着けるという保証だってないのです。
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氷河期の日本列島は、九州と北海道で大陸とつながっていた。
そして氷河期が明けた縄文時代以降、日本列島は海に閉じ込められてしまった。
問題は、ここからです。
ほとんどの研究者は、縄文時代以降も断続的に大陸との関係は続いており、弥生時代にはあたりまえのようにおたがいが行き来していた、といっています。
だから、大陸にあって日本列島にもあるものは、すべて大陸から持ち込まれたものだという説明に終始している。
はたしてそうでしょうか。
漆の技術は、すでに縄文時代前期からはじまっている。これは、最初、中国から伝わったものだ、といわれていたが、今では、縄文人がみずから工夫して生み出したのだ、という解釈に変わってきている。
稲作だって、あたりまえのように弥生時代になって大陸人がやってきて教えたのだといわれていたが、だんだんあやしくなってきている。
それはまず九州に上陸し、そこから列島中に広がっていたのだ、と今でもいわれているが、縄文後期の水田跡が、全国から見つかっている。研究者は、なにがなんでも大陸に近い九州がいちばん先だということにしたいらしいのだが、もはやそうかんたんにはいえないはずです。
日本列島の稲の原種は、揚子江流域でつくられていたものらしい。しかし、だからといって、そこから人がやって来たかどうかということとはまた別の問題です。当時の揚子江流域と日本列島ではまるで生活習慣が違い、稲作だけ伝えられたというのでは説得力がなさすぎる。
人などやってこなくても、その稲の種が海流に乗って運ばれてきて西北九州から北陸にかけての海岸に漂着し、やがて鳥や風に運ばれて自生していった、ということはあり得るでしょう。
それが湿地に自生していたのなら、湿地で育てようとするでしょう。それくらいのことは、漆の技術をみずから工夫していった人たちなら、そう難しいことではない。べつに大陸人から教えられなくても、自分たちでなんとかできる。とくにそのころの日本列島における海岸近くの平地にはたくさんの湿地帯があったから、漂着した籾が自生してゆく条件が整っていたはずです。
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何がなんでも、大陸から人がやってきて教えた、ということにしたいらしい。戦前の皇国史観というか国粋主義の反動なのでしょうか。大陸との関係で説明すれば、リベラルで人道的だと思っている。安直過ぎますよ。人間の歴史を、なめている。
誰から教えられたわけでもなく、自然に生まれてくる文化というものもあるでしょう。すべての始まりはそういうことであるし、始まりが複数の地域にあってもいいじゃないですか。中国のほうが早いから、中国人に教えられたとはかぎらない。縄文時代なんて、ほとんど大陸との交流はなかったはずです。
神奈川県の夏島貝塚では、9千年前の撚(より)糸文土器がみつかっています。撚糸文土器としては、世界最古なのだとか。つまりそれは、世界的に広がっている文様らしいのだが、夏島貝塚縄文人は、大陸の影響なしに生み出した、ということです。世界中にあるものはなんでも大陸の影響として解釈したい研究者たちは、そんなはずがないだろう、と一時期大騒ぎしたらしい。
べつに世界最古だから偉いとも思わないが、これによって、何もかも大陸の影響にすればことが片付くと思っている態度は改めたほうがよい、という反省くらいはしていただきたいですよね。
製鉄の技術は、弥生時代中期にやっぱり大陸から入ってきたということになっているのだが、ある研究者によれば、長野の諏訪地方では縄文時代からおこなわれていたのだとか。諏訪地方といえば、地理的に、大陸の人間がやってくることはまず考えられないことですからね。出雲の「たたら製鉄」だって、大陸人が、こんなやり方もあるのかと驚いたことだったのかもしれない。
そういう状況に置かれれば、教えられなくても人間ならいつかそういうことを生み出すようになるだろう・・・・・・という例はいくらでもあるはずです。