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前回に取り上げた「ネアンデルタール人の正体」という本に寄稿していたその研究者は、「ネアンデルタールの一日は退屈なものだっただろう」といっています。
では、退屈な一日とは、どんな一日でしょう。
ネアンデルタールは、他の群れとの接触もほとんどないし、定住してどこに行くわけでもなく、毎日同じように狩をして食って寝るだけだった・・・彼はそういっています。
しかし、こういう言い方もできる。
ネアンデルタールは、そういう生活が退屈じゃなかったから、そういう生活をしていたのだ、と。
三十数年しか生きられない人たちの一日は、われわれ現代人よりずっと切実で重かったはずです。彼らは彼らなりに、懸命に熱くその人生を駆け抜けていったのではないか。ネアンデルタールは、みんながモーツアルトや石川啄木だった。
たとえば、恋人同士が部屋にこもって抱き合っているのと、話す気にもなれない人たちに混じってお仕着せのパック旅行に出かけることと、いったいどっちが退屈でしょう。
ある文芸評論家が、忙しいことやちゃらちゃら動き回ることに価値があるような言い方をする同業者に対して、こんなことをいっていました。
「彼らは、退屈に退屈しているのだ」と。
一日じゅう一人部屋にこもっていて黄金のような日もあれば、町に出てあくびばかりしていることもある。
家族的小集団で移動生活をしていたホモ・サピエンスにとって、少人数でしかも知った顔ばかりの自らの集団の日々は退屈そのものであったに違いなく、ときどき出会う他の家族集団と情報や物を交換するときだけが楽しみだった。だからこそ、新しい石器をつくり出したり、ビーズのアクセサリーで体を飾ったりしていったのでしょう。それは、退屈だったからではないのか。
一方ネアンデルタールの群れはまあ、町内会のようなものだったわけで、女たちは井戸端会議に集まり、たくさんいた子供たちは、みんな一緒になって遊んでいたことでしょう。
しかしホモ・サピエンスの群れでは、こうはいかない。とくに仕事を持たない子供たちは、いつも同じメンバーの数人だけだから、すぐ飽きてしまう。それに、家族的関係は上下関係があるから、下の者は不満が多く、すぐ別行動になりやすい。ホモ・サピエンスの子供は、大勢で仲良く遊んだりけんかしたりという経験を、ほとんどできない。
それに対してネアンデルタールの子供たちにおいては、家族のない社会だったからみんな平等だったに違いなく、ホモ・サピエンスのように、家長が命令を下して動いてゆくような関係を模倣することもなかったはずです。おそらく、女のヒステリーに手を焼くことも含めて、彼らじしんの群れの平等主義的なシステムを模倣していったのでしょう。
ところで、現在の日本の子供たちが集団で遊ばなくなったのは、核家族化したために、それぞれが物理的精神的に家族に取り込まれて、自分たちの社会をつくることができなくなってしまっているからでしょう。
しかしネアンデルタールの子供たちは、きっと自分たちの社会を持っていた。
また女たちの井戸端会議にしても、たくさんいる男たちの噂話をはじめとして、おしゃべりが尽きることがなかったに違いない。
もちろん男たちだって、女たちに関する卑猥な話の種はいくらでもあっただろう。それに彼らは集団で狩をしていたから、その作戦会議も必要だし、狩でのハプニングもいろいろあったらしい。発掘される彼らの骨から、生傷が絶えなかったことがわかっている。
というわけで、、あれやこれや、ネアンデルタールのほうが、ずっと退屈しない日々を送っていたに違いないのです。
彼らは、寒さという厄介な状況にさらされていたからこそ、それと引き換えにできるだけの気がまぎれる体験をしてゆくほかなかった。退屈なんかしていたら凍え死んでしまう条件のもとで、彼らは生きていたのです。
ネアンデルタールが十万年同じ石器を使い続けていたのは、それに飽きなかったからであり、彼らは石器を変えるよりも、同じ石器で狩の技術を工夫し洗練させてゆくことばかり考えていたからでしょう。同じ石器で、ちっとも退屈しなかった。退屈を知らないメンタリティだったから、石器の進歩が遅れた。
ネアンデルタールの一日は退屈なものだった、という分析は、退屈に退屈している研究者の退屈な思考によるものでしかない。
退屈な人生、などというものはない。すべての人生が、その人だけの誰も体験できないオリジナルです。
退屈な人生があるのではなく、退屈する横着で怠惰な思考があるだけです
しかしそれは、ネアンデルタールには無縁だった。
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