生きられない命・ネアンデルタール人論264

承前

僕は、「国家」などというものは信じていない。そんなものはよくわからないし、興味もない。
だから、選挙にも行かない。そんなことはみなさんで決めてくれ、よかろうと悪かろうと「歴史のなりゆき」としてそれに従うだけだ、という気分で生きてきた。
自分には「国家」のことを決める能力も資格もないし、この世に「よい国家」とか「理想の国家」などというものは存在しない、世の中は世の中ということにおいてすべて「憂き世」以外の何ものでもない……と思っている。
世の中なんか、鬱陶しい。いいも悪いもあるものか。
僕は、目の前の「今ここ」しか信じられない。見渡すことができる自分のまわりの景色がこの世界のすべてだ、という気分がどうしてもある。つねに行き当たりばったりで、まあ、愚かなのだ。
僕のような人間は権力者にとっては、きっととても都合がいいことだろう。
戦後民主主義は、大衆が国家の政治に参加することをうながした。僕もいちおうそういう教育を受けてきたのだが、それが自分の血や肉にしみ込むことはついになかったらしい。
子供のころから、心はいつも世の中からはぐれてしまっていた、ということだろうか。でもそれは、僕の個性というより、日本人なんかだいたいそんなものではないか、とも思う。
この国の歴史風土が、そうなっているのではないだろうか。
僕は軽薄なお調子者で、子供のころからまわりの空気に流されやすいというか感化されやすいところがあった。生まれ育った伊勢の下町には、政治意識が希薄な空気が流れていたのかもしれない。通っていた小学校にも、「戦後民主主義の新しい空気」というような雰囲気はなかった。人々は、「戦争が終わって新しい時代がやってきた」というより、「もとの暮らしに戻った」というような気分だったのかもしれない。もちろん新聞やラジオから伝わってくる新しい時代の情報はあったに決まっているが、伊勢の町の人々は、伝統的に「国家」の存在など信じていないところがあるのかもしれない。なにしろ「お伊勢さん(伊勢神宮)」のお膝元だから、心のよりどころはそちらのほうにあったのだろうか。
そういういくぶん停滞気味ののどかな町で育った僕は、「新しい時代」に目覚めそこなった。
東京に出てきたのは、全共闘運動がもっとも盛んな時代だったし、まわりにそんな友達もたくさんいたが、自分も参加したいという気にはなれなかった。心はすでに、世の中の動きからはぐれてしまっていた。
子供が、自分で自分の個性=感性をつくるということなどできない。まわりの環境に「反応」しながら、受動的に「つくられてしまう」だけだろう。あまり親に甘える子供ではなかったが、町の空気が心に沁み込んできた、というような記憶の感触はある。小学生時代の半分は、親と離れて暮らしていた。離れてさびしいとも思わなかったし、そのとき僕は、町に甘えていたのかもしれない。ひとりでよく町や野山を歩いていた。
僕に「個性」なんかない。でも、日本人の歴史風土は、わりと深く自分の中にしみついているような気がしないでもない。自分のことが知りたいとも思わない。日本列島の歴史風土の中に息づいている心のかたちが知りたい。そしてそのことを想うなら、右翼にしろ左翼にしろ、どうしてあんなにも熱っぽく「よい国家」とか「理想の国家」というようなものが語れるのだろう、その気が知れない、と思う。
政治について語るなんて野暮ったい、という思いが抜きがたくある。その知識どんなに豊かであろうと、「よい国家」や「理想の国家」を当てにするなんて、野暮の極みだ。そんなところに潜り込んで安穏に暮らしたいう気には、どうしてもなれない。そんな安心に潜り込みながら人は、知性や感性を停滞させ、死ぬことが怖くなってゆく。安心に潜り込んでいるから、死ぬことが怖くなる。
死ぬことはたぶん「別れのかなしみ」に浸されてゆくことであり、それこそがじつは、われわれを生かしているこの生の通奏低音でもある。
この世に「いいこと」なんか何もない。「よい国家」などといわれてもピンとこない。すべては「憂き世」だ。そして「悪いこと」も何もない。「すべては赦されている」ということ、日本列島の歴史的な精神風土には、そういう前提があるのではないだろうか。
だから、「みんなでそう決めたのなら、それに従う」という態度になる。それが、僕が選挙に行かない理由であり、それは、家族主義でも全体主義でもなく、家族や集団からはぐれてしまった、いわば「漂泊・無常」の心かもしれない。つまり「別れのかなしみ」ということ。
日本人は、家族も共同体も国も政治も信じてなんかいない。心は、そこからはぐれてしまっている。この世に国や家族があることはもう、しょうがないことだし、それに従うしかない。そうやって、この世は「憂き世」である、と思い定めて歴史を歩んできた。
日本人の歴史的な精神風土において、「国家」などというものは信じていない。だから、国歌も国旗もない歴史を歩んできた。
「よい国家・理想の国家」など信じてしまったらおしまいなのだ。「今ここ」の見渡すことができるまわりの景色だけがこの世界のすべてだ。右翼と左翼のイタチごっこなんぞに興味はない。この世は、憂き世だ。しかし心は、そのかなしみを起点にして華やぎときめいてゆく。

人の世のいとなみは、全体の「よい国家」という枠組みをつくるところからはじまるのか。それとも、誰もが身の回りの「今ここ」に反応し合いながら、その集積がいつのまにか国家という枠組みになっているのか。
「言葉」や「貨幣」といったものは、国ごとに違う。人は、あらかじめ言葉や貨幣という枠組みをつくっておいてからそれに合わせて生きはじめるのか。そうではないだろう。それらは、人が生きたことの「結果」としていつの間にか生まれてきただけだろう。
人が生きることのいとなみは、「国家という枠組み」をつくることからはじまるのではない。それは、生きたことの「結果」として、いつの間にかできてしまっているだけのものにすぎない。
われわれの命は、はじめに細胞があり、それが集まって個体としての体になってゆくというかたちで生まれ育ってきた。それと同じこと。僕は、小さな細胞の中のひとつの「遺伝子」としてしか生きはじめることができない。
国家という枠組みをつくっておいてから生きはじめようとする思想なんて、ひとつの倒錯だと思う。誰もそんなふうにして生きていないではないか。そんなふうにして生きはじめようとするから、心が停滞衰弱してしまうのだ。
僕は、愚かな人間だから、どこかに「生きられないひりひりした心」を持っていないと、考えることも感じることもできなくなってしまう。彼らのように満足できる自分など持ち合わせていないから、国家という枠組みをつくろうとする発想は持つことができない。
僕は、自分が決めたとおりに自分のまわりの環境をつくろうとは思わない。そのつど環境に「反応」しながら生きていたいと思う。誰もが目の前のことに豊かに反応し合いながらいつの間にかそれが自分の置かれた環境になってゆけばいいのだと思う。「結果」としてのその環境がよかろうと悪かろうと、それはもう避けがたい「歴史のなりゆき」なのだから、仕方ないと受け入れるしかない。
30数億年前に誕生した原初の生命=遺伝子は、生まれ出た瞬間に死んでいった。命とは「生きられない命」なのだ。われわれは、そういう命を抱えて生きている。そうやって心は、この生からはぐれてしまった「別れのかなしみ」に浸されている。われわれは、そこから生きはじめる。つまり、そこからこの生と出会って心が華やぎときめいてゆく。
われわれは、あらかじめ「生きられる命」を持っているわけではないし、持ってしまうことによって心は停滞衰弱してゆく。。