祝福論(やまとことばの語源)・「ことだま」 10

僕はみじめで暗い人間だが、のうてんきでもある。やつらのように、この社会の制度性や西洋思想に囲い込まれて「人間は根源的に<意味>にとらわれた存在である」とか「人間は根源的に<幸せ>を求める存在であり、それがなければ生きられない」とか、そんなペシミスティックで恨みがましい考えなど持っていない。
おまえらなんぞと一緒にしないでくれ。
そんなものは、おまえらの個人的な事情であって、人間の根源でもなんでもない。
「意味」にとらわれたところから「ことば」が生まれてきたのではない。
人間は「意味以前」のところで世界と出会って「ときめく」という心の動きを持っているし、不幸を生きることができる存在でもあり、その体験の中にこそ生きてあることの醍醐味も死との和解もある……それが、古代人の生きる流儀だった。
「ことば」は、古代人のそういう感慨から生まれてきたのであって、おまえらの薄汚れた観念からではない。
「いろ」ということばは、世界や他者と出会ったときのそうした「意味以前」の「ときめき」から生まれてきた。したがって語源においてそれは、「色彩」を意味したのではない。
「いろ」の「い」は、「いの一番」の「い」、すなわち「(直感的に)気づく」こと。「ろ」は、家の中心である「囲炉裏(いろり)」の「炉=ろ」、「中心」「本質」の語義。
「いろ」とは、「本質に気づく」こと、あるいは「本質」それじたいのこと。その「意味以前」のところで体験する世界に対する「ときめき」がこの生を決定している、という感慨から「いろ」ということばが生まれてきた。
「意味以前」のところで「いろ」に気づくことこそ、この生の決定的な体験なのだ。
誰もが心の奥に、意味以前のところで世界や他者に「ときめく」という体験を持っている。そういう原初的な感慨に遡行するなら、もう、「人間は根源的に<意味>にとらわれた存在である」などというような恨みがましいことはいえない。
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遠い昔の話だが、「雨乞い」として山奥に牛の生首を置いてくるという習俗があったのだとか。
そうすれば、山の神がその汚らわしいものを洗い流そうとして雨を降らせるだろう、という発想である。
このことは、古代人が、神の「祟り」も神の「ご利益」も信じていなかったことを意味する。だからそんなことをしたのだが、それを「なんと大胆なことを」と思うのは現代人の観念であり、彼らにとって神が雨を降らせるのは神の事情によるのであって、彼らの願いが聞き届けられるからではなかった。また、だからこそ、神が「たたり」をもたらす存在である、という意識もなかった。
古代人は、「願い(祈り)が聞き届けられる」とか「たたりをこうむる」とか、神に対してそんななれなれしい感慨は抱いていなかった。
つまり、それほどに「神=自然」に対する疎外感を抱いていたのであって、中西進氏のいうように「一体化して生きていた」のではけっしてない。
したがって、自分たちが話すことばに「神の霊力が宿る」とも思っていなかった。
「ことだま」の「たま」は、そういう意味ではないのだ。
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「たま」の「た」は、「立つ」の「た」。心が立ち上がって動くこと。
「ま」は、「まったり」の「ま」、「充足」の語義。
心がたしかに動いていることの充実を、「たま」という。
心が動いて胸がきゅんとなるとき、心の中に芯のような丸いかたまりを感じる。それを「たま」という。
語源としての「たま」ということばに「霊魂」というような意味などなかった。それは、共同体の発展ともに、その制度性からもたらされる強迫観念が肥大化した結果として生まれてきたイメージ(概念)にすぎない。
歴史のはじめに「霊魂」という概念があったのではない。それは、共同体の制度性の圧迫から生まれてきたのだ。
語源としての「ことだま」は、神の「霊魂」とか「霊力」というような意味ではなかった。
言葉にこめられた感慨のことをいっただけだ。
やまとことばは意味作用が希薄だからこそ、そういう感慨が深く豊かに宿っている。
豊葦原の大和の国は「ことだまの咲きはふ国」というとき、「ことばとともに人々の豊かな感慨が咲きそろっている」といっているだけで、べつに「ことばの霊魂に満ち満ちている」というような気味悪いことをいっているのではない。
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神の心(=不思議)のことを、「みたま」といった。それが敬語の始まりだとしたら、それは「神=自然」に対する「疎外感」から生まれてきたことばだ。
古代人は、「神=自然」に対しても人に対しても「疎外感」を抱いていた。神は、「ご利益」も「たたり」もイメージしないくらい遠く異質な存在だったし、他者もまた、ことばによって隔てられ出会っている対象だった。
「ことだまの咲きはふ」とは、ことばによって人と人の関係が隔てられているという意味でもあったわけで、だから、日本列島ならではのややこしい「敬語」がつくられてゆくことになったのだろう。
この「疎外感」こそ、日本列島的な世界観の原型になっている。
「みたま」の「み」は、「やわらかいもの」のこと。もともとは、敬意をこめてというより、人間のきゅんとなるかたいかたまりとしての「たま」とはちがう、あるかなきかのやわらかく不思議な「たま」、というニュアンスでそういわれたのだろう。
人間の「たま」と神の「たま」は別のものであり、「ことだま」は、人間の「たま」であった。
いや、「ことだま」の「たま」は、人間の「たま」とも違う、ことばそのものに宿る「たま」のことだ。
とすればそれは、かたいものでもやわらかいものでもなく、かたちのない空気のかたまりのようなもの、ということになる。
「咲きはふ」とは、「空間」をあらわすことばである。
古代人にとって「花」は、ひとつの「空間」だった。物体としての花ではなく、花びらがつくる「空間」のことを「はな」といった。
「はな」とは、「愛らしい空間」という意味。「は」は「空間」、「な」は「親愛」の語義。
「ことだま」とは、ことばとして人と人のあいだの「空間」に漂っているもの。それは、その「音声」を聞く「ときめき」をもたらすものであると同時に、それじたいが「ときめき」でもある。
人と人のあいだの空間に漂う音声の「たま」、それを「ことだま」という。
「たま」とは、心の動きのこと、「ときめき」のこと。
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古代人は、人間がいかに無力かということを知っていた。
「霊力」は、神に宿るものであって、人間のものでもことばに宿るものでもなかった。
その代わり、神の「たたり」などという思考習慣もなかった。「たたり」などという強迫観念は、神にすがって何かができると思っているものたちが抱くのだ。
彼らは、神に対して、ひたすら自分たちとは別の存在であるという疎外感を抱いていた。そうして、ひたすらおそれおののきときめいていた。
神の「たま」は人間のものとは違う特別なものであり、「何かしてくれる」とか「何かされたら困る」とか、そんな損得勘定で「みたま」と敬意を払ったのではない。
「神」という世界観は、古代人の自然に対する疎外感から生まれてきた。
語源としての「みたま」の「み」は、あくまで人間とは違う存在であるという感慨からかぶせられたことばであって、たんなる敬意というのとは少しちがう。
「み」ということばには、「やわらかいもの」という意味のほかに「自分とはちがう」という感慨もあらわしている。それが、この国の「敬意」のかたちであり、自分とはちがう存在としてうやまうのだ。
「見(み)る」という行為は、自分とはちがうものと出会う体験である。視覚とは、ひとつの「違和感」である。だから、「みる」というらしい。
やわらかいものは、「存在」と「非存在」の中間のものである。神は、存在するのでもないし、存在しないのでもない。だから、神の「たま」はやわらかい。
人間は、やわらかいものに対する違和感を根源的に持っている。
われわれはまず、みずからを「存在」するものとして扱ってこの生をいとなんでいる。そうして、「(何もない)空間」は何もないのだから、違和感の対象にすらなりえない。むしろ、存在とのセットとして認識されている。それに対して「やわらかいもの」は、存在でも非存在でもないひとつの「混沌」として認識される。その「違和感」から「み」という音声がこぼれ出る。
「かみ」の「か」は、「それ自体」という意味。「かみ」とは「やわらかいものそのもの」、というのが語源の語義であろう。日本列島の住民にとって、その認識こそがもっとも深い「違和感=疎外感」であり「敬意」なのだ。
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古代人にとっての神は、お願いする対象でも「たたり」をこうむる対象でもなかった。その鼻先に牛の生首を置いてきても、それで何かをされる心配もなかった。
人間が神にお願いしたり「たたり」を恐れたりするようになったのは、共同体の制度が充実してきて、人に対しても神=自然に対してもなれなれしくなってきたからだ。
個人としてではなく共同体として「神=自然」と向き合えば、なんだか少し神に近づいたような気分になる。なぜなら共同体そのものが、個人とは別の性格を供えた存在と非存在の中間の神のような対象であるわけで、そうして個人に「ご利益」を与えたり「たたり」をもたらしたりするのであれば、その延長としての神にもそうした性格がイメージされてゆくことになるのも時間の問題だったのだろう。
しかし語源としての「ことだま」は、後世の人間がイメージした「神の霊力」などというものとは無縁の、あくまで人間くさい性格の言葉だった。
それは、「あなた」と「私」の間の「空間」に漂うことばという「音声」に対する「ときめき」から生まれてきたのであり、その「ことば=音声」に宿る心を動かす「いろ」のことを「ことだま」といったのだ。