続・団塊世代へのあてこすり

私は、団塊世代が、嫌いです。
もしも現代の日本でだめになった部分があるとすれば、ほとんど彼らが一枚かんでいる。
彼らは、戦争から帰ってきた男とその妻たちによって、物質的にはともかく、平和のありがたさをしみじみ噛み締めながら大事に育てられた子供たちです。
大事に育てられたから、世の中や家族に反抗して、全共闘運動をした。
大事に育てられたから、そういう、囲い込みから巣立ってゆくためには、ひと暴れしなければならなかった。
そうしてひと暴れした後、大人になったとき、自分たちもまた親と同じように子供を大事に育てようとした。
それが「ニューファミリー」という現象です。
親と違うのは、時代が豊かになって、物質的にも精神的にも、たっぷり子供をかわいがったことです。
しかしそんなふうにかわいがられた子供たちは、いい迷惑です。家族に囲い込まれて、出口が見えなくなってしまった。そうして「出会いのときめき」を知らないミーイズムを肥大化させていった。
60年代まではあった、地域社会(町内会)における「子供だけの社会」を消滅させてしまったのは、彼らです。
彼らは、過密学級であったにもかかわらず学校での団体生活にはよく順応したが、地域社会(町内会)で自分たちがリーダーになって「子供だけの社会」をつくろうとすることには、まったく興味を持たなかった。
過密学級であったから、学校内のつながりだけで野球やサッカーのメンバーが集まった、ということもあるかもしれない。しかしもともと親に大事に育てられた子供たちだったから、社会意識がなかったのです。初めからある集団の中で動くことしかせず、新しい集団をつくってゆこうとする意識がなかった。
彼らがまだ小さかったころは、上の世代の子供に遊んでいてもらっていたのですけどね。彼らは、小さい子と遊んでやる、という能力もモチベーションもなかった。同じ年頃の仲間とばかり遊んでいた。日本のミーイズムは、すでにここから始まっているのです。
彼らは、小学校の高学年になったあたりから、もう年長の者とも年少の者とも遊ばなくなっていった。彼らには、新しいグループをつくってゆくよりも、最初からあるグループの中で遊ぶほうが楽しかった。
つまり、彼らには「出会いのときめき」がなかった、ということです。親に大事にされて「家族」という単位に囲い込まれてしまっていたために、新しい人との関係に目を向けるメンタリティが育っていなかったのです。
すなわちそれは、とても「保守的」だということです。団塊の世代は、自分たちは新しい人種のつもりでいるようだが、じつはとても保守的なのです。だから、あれほど大騒ぎして全共闘運動に熱中しておきながら、社会に入ればわき目も振らずエコノミックアニマル化してゆくことができた。
彼らの出世のアドヴァンテージになっていたのは、上司に好かれるとか部下に慕われるとかの人格よりも、同世代のネットワークが強力だったことにあります。
で、今ごろ閑職に追いやられて、若いOLから気持ち悪がられ、なんとか挽回しようと「ちょいわるおやじ」なるメッセージの雑誌にすがりつく。
どんなにかっこつけても、「出会いのときめき」という感慨を持ってそれを表現してゆく能力のない親父なんかが、モテるはずない。
団塊世代は、地域内(町内会)における年長の子や幼い子が混じった「子供だけの社会」を、解体してしまった。
ここで、ネアンデルタール以来続いた、人間の社会にはもうひとつ「子供だけの社会」がある、という伝統が消滅したのです。
社会は、「子供だけの社会」をもっているからこそ、人との関係(人情)だけで成り立っている子供だけの社会に恥じないように、大人たちも、人情が通じる場を残しておこうとする。それがなくなってしまえばもう、大人のやりたい放題です。それで、認知症だとか、鬱病だとか、EDだとか、ニートだとか、いじめや登校拒否だとか、自殺だとか…このざまです。
子供だけの社会は、大人の社会を監視し、不人情なものになってしまうことへの歯止めとして機能していた。
子供だけの社会が、大人のような経済という下部構造を持っていないということは、それだけ純粋で健全な社会だということです。
それが、ネアンデルタール以来の人類の伝統だったのです。
その伝統を、団塊の世代が踏みにじり、ひとまずバブル景気を現出させた。
そして今、団塊世代はどうやって余生を過ごせばいいかと、さかんに論議されている。
団塊の世代に、幸せな余生を過ごす資格なんかないのです。
みんな野垂れ死にすればいい、といいたいところだけど、誰もしない。
だったら、せめて「ざんげ」くらいはしてもらいたいところです。
団塊世代を、甘やかしてはいけない。