感想・2018年10月15日

さまざまな伝統回帰
敗戦後のこの国は、団塊世代の親たちが「喪失感」を共有しながら復興のダイナミズムを生み出していったが、それゆえにこそ、団塊世代はついに「喪失感」とは無縁のまま大人になっていった。
敗戦後と大震災後の社会情況の違いは、「喪失感」をちゃんと共有してゆくことができたかできなかったかという違いになってあらわれている。喪失感を共有してゆくことによって戦後復興のダイナミズムが生まれ、共有できなくなって社会が停滞してしまっている。
そりゃあ大震災の直後は誰もが「喪失感」を抱きすくめながら死者と対話していったが、けっきょく一時的な現象にすぎなかった。それによって現在的な精神の荒廃を修復することもできずに、逆にますます人心が分断されたひどい世の中になっていっているようにも見える。
荒廃を押しとどめようとする動きもあるのだが、荒廃のまま突っ走ろうとする勢力があれば、世の中はその勢いに流されてしまう。権力社会やインテリの社会が荒廃しているといっても、それ以上に民衆社会が荒廃している。民衆社会の荒廃が、権力社会やインテリの社会に及んでいる。
権力者やインテリはみずからの立場を守るためにつねに民衆の動向をうかがっているが、民衆は、権力者やインテリにはお構いなく、伝統的に民衆自身の集団性の文化を持っている。日本列島では、民衆が扇動されているように見えて、じつは民衆のほうから扇動してゆくような構造になっている。そうやって太平洋戦争がはじまったのだし、そうやって現在の社会における精神の荒廃の状況が生まれてきている。
くだらない権力者やインテリがのさばっているのは民衆が持ち上げるからであり、そのとき民衆は扇動されているのではなく「共犯者」として持ち上げているのだ。
大震災の「喪失感」をさっさと忘れ、なぜ「希望」を合唱してゆかねばならないのか。「喪失感」を抱きすくめてゆくことができないというその強迫観念こそが精神の荒廃であり、その状況は団塊世代とともに歩んだ戦後の歴史から生まれてきた。
震災の仮設住宅で暮らす孤独な老人の、希望ばかり合唱する世の中に対する置き去りにされた気分を、いったい誰が癒してあげることができるというのか。彼らのその「喪失感」は、いったい誰と共有してゆくことができるというのか。
この国の敗戦後の社会は「喪失感」を抱きすくめてゆくことによってはじまったのだが、皮肉なことにそのときに生まれた団塊世代こそ、その後の順調な経済復興とともにもっとも喪失感を抱きすくめてゆくことができない世代として育っていった。そうして戦後の高度経済成長は彼らのその「上昇志向」や「権力志向」が社会の動きの中心になっていった結果なのだから、彼らが現在のこの国をゆがんだものにしてしまったともいえる。
「喪失感=嘆き」を抱きすくめてゆくことができないから、「上昇志向」や「権力志向」に走る。そういう強迫観念が、現在のこの国を覆っている。そんなネトウヨを生み出したのは団塊世代だし、何ごとも「自己責任」だというそんな前のめりの強迫観念に覆われた世の中
の風潮が、震災の仮設住宅で暮らす孤独な老人たちを追い詰めている。
しかしまあ、われわれが大震災を経験し、さすがにそのような新自由主義的正義に対する拒否反応を抱くようになってきて、総理大臣から一般のネトウヨまでのそうした勢力はしだいに孤立しはじめている兆候もあるのかもしれない。
もともと自己責任論をはじめとするネット社会の炎上騒動を起こしているネトウヨなんか全体の1パーセントにも満たないのだが、その騒動に引きずられている民衆だってだんだん少なくなってきているに違いない。
右翼は焦りはじめている。彼らはもう、なりふり構わず世論操作をしなければ衰退してゆくほかないところに立たされているのではないだろうか。
今どきの右翼は戦前に戻ることが日本列島の伝統を取り戻すことだと考えているようだが、おそらくそれは違う。ここでは、敗戦後の廃墟の時代においてこそ、日本列島の歴史がはじまって以来の真の伝統がよみがえったのだ、と考えている。

蛇足の宣伝です

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それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。
このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。
『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。
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