感想・2018年10月23日

<祭りの賑わい>
1960年代のポップミュージックの主流はフォークソングにあった。それが70年代以降は、松任谷由実オフコースをはじめとするシティポップに移っていった。
しかし現在のポップミュージックシーンの先頭を走っているのは星野源や米津玄師で、彼らの音楽は、あの「四畳半フォーク」の発展型だともいえる。草食系のいくぶんセンチメンタルで、生きてあることのかなしみを共有してゆこうというようなメッセージが込められている。
二人とも作詞作曲におけるオールマイティの能力を備えているのだが、こういう豊かな才能が「リベラル」的な意匠をまとって登場してきたことに、時代が変わりつつあることを感じさせないでもない。
現在の若者たちは、けっして右傾化しているのではない。彼らが何となく自民党に投票してしまうのは、貧相で柔軟性を欠いたオールド左翼たちにうんざりしているからであり、そんな大人たちに着いて行ったらこの世の中は味気なくなってしまうと思っているわけで、べつに排他的な右翼思想に賛同しているのでもない。彼らはただもう魅力的なものを追いかけているだけであり、基本的には人と人が他愛なくときめき合っている社会を願っている。ただ彼らの美的センスは昔に比べると高度に洗練されてきているから、貧相なものやダサいものはたちまち見抜いてしまう。米津玄師や星野源を追いかけても、そのルーツである昔の四畳半フォークには興味を示さない。
もとAKBのセンターだった前田敦子が主演した『もらとりあむ・たま子』という映画で、テレビの政治ニュースを見ていた引きこもりのニートである彼女が「日本はだめだ!」とふてくされたようにつぶやくシーンがある。そうして、それを聞いたお父さんが「ダメなのは日本じゃなく、おまえだろう」と怒る。
このシーンは象徴的だ。現在のこの国には「ダメ」な若者たちがたくさんいる。しかし「ダメ」な若者がたくさんいることこそこの国の希望なのだ。変にとんがり硬直して政治権力にしがみついてゆくネトウヨになるより、「ダメ」な「モラトリアム」として漂っていることのほうが、ずっと豊かな可能性をはらんでいる。彼らは、ネトウヨのように安っぽい「正義」を振りかざして人を裁くというようなことはしない。もっと柔軟でハイセンスで、魅力的なものにときめく感性を持っている。そういう「ときめき」を組織すれば、リベラルでも右翼に勝てる。
今回の沖縄県知事選挙で、玉城デニーは、みごとに「ときめき」を組織してみせた。それは、玉城自身の魅力的キャラクターだけでなく、もともと沖縄にはそういう集団性の文化の伝統を色濃く持っているからであり、日本列島の民衆社会にだってそういう伝統はある。
ときめき合ってみんなで盛り上がろう、ということ。「祭り」とは、世界中どこでも、本質的にはそういうときめき合う関係を組織してゆくイベントであり、「豊作祈願」とか「悪霊退散」等々の宗教性・呪術性は、後の時代になってから付け加えられていったコンセプトに過ぎない。
一般的には、人類の祭りは原始的な宗教性・呪術性から生まれてきた、というように語られているが。そうではない。順序は逆なのだ。起源であろうと現在であろうと、本質的にはみんなで盛り上がりたいだけであり、そのときめき合う関係性こそが、宗教性・呪術性や共同体の政治的結束よりもずっと集団の活性化を生む原動力になっているのだ。
祭りの踊りや歌のときの「さのよいよい」などの囃子言葉は、みんなで盛り上がるため以外の何ものでもない。そしてその音楽性において、沖縄のほうが本土よりも高度で複雑で洗練されている。
ともあれ、リベラルでも「ときめき」を組織すれば、権力をかさに着た右翼に勝つことができる。
「正義は勝つ」などといっても、せんないことだ。正義は、向こうの側にだってある。言い換えれば、「正義は勝つ」というスローガンで世の中はどんどん歪んでゆくのだ。
正義よりも、魅力的であること、ときめき合うこと、それこそが新しい時代を切り拓く。

蛇足の宣伝です

キンドル」から電子書籍を出版しました。
『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』
初音ミクの日本文化論』
それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。
このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。
『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。
初音ミクの日本文化論』は、現在の「かわいい」の文化のルーツとしての日本文化の伝統について考えてみました。
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