出会いのときめき・神道と天皇(14)

国家神道オタクの右翼の人たちは、この国の伝統をあらわす言葉として「神ながらの国」というのが大好きらしいが、この「神ながら」は、必ずしも一般的に解釈されているような「神の御心のままに」という意味だとはかぎらない。
言葉は、古くなればなるほど意味が重層的になってゆく。現在の言葉は「意味の伝達」が中心的な機能だから、意味は限定的になっている。
やまとことばの「かみ=かむ」は、もともと「出会いのときめき」をあらわす言葉だったのであり、古代人にはまだそういう語源の言葉感覚が残っていた。彼らは「かみ=かむ」という言葉を、「神」という意味にも「出会いのときめき」という意味にも使っていた。そしてこの「かむながら」の「かむ」は、「出会いのときめき」をあらわしている可能性のほうが高い。
万葉集に出てくる天皇のことを詠った「かむながら神さびせす」という表現は、「神そのものとして神々しくおわせられる」と訳されたりするのだが、なんだかちょっと変な感じだ。それならいっそ、「まことにもって神々しくおわせられる」と訳してしまったほうが自然な感じがする。「かむながら=出会いのときめき」すなわち感動すること、その出会いにおいて感極まること、「まことにもって」という感嘆は、「出会いのときめき」として生まれてくる。
古代における「かむながら」は、「まことにもって」というニュアンスの慣用句だったのかもしれない。べつに、神がどうしたということに限定して使っていたのではないのかもしれない。
「かむながら」という言葉は、日本列島の住民が「神」という概念を知る前からすでに存在しており、それは、「出会いのときめきのままに」というような意味合いだったのかもしれない。もちろんこれは証拠などない話だが、きっとそうだ、とは思う。
「かむながら言挙げせぬ国」というときは、「出会いのときめきのままに生きて、言挙げ(=神頼み)なんかしない」といっているのではないだろうか。彼らは、神を祝福しても、神頼みなんかしなかった。それこそが、古代の神道の流儀だった。古代人の「なるようになる」という生き方は、作為的な「神頼み」とは無縁だった。つまり、「呪術」の伝統がなかった、ということだ。
日本列島の「なるようになる」という伝統的な精神風土は、古代以前にアニミズムなど存在しなかったことを意味する。

「神ながらの道」などといったりもする。「道」とはつまり「生き方」のこと、「神の御心のままに生きる」ということだろうか。しかし、もともと神道の神は何もしてくれないし、何も要求してこない。神は、隠れている。あるかなきかの「気配」だけの存在なのだ。神道の神は、人間に対してどう生きよというような要求はしないし、われわれは神に生かしてもらっているのでもない。
「生きてあることに感謝する」なんて、リア充という幸せとやらに浸って生きているものたちの愚劣なひとりよがりにすぎない。ただの自意識過剰さ。
「自分=この生」のことなんか忘れて神(=世界の輝き)を一方的に祝福してゆくのが古代神道の流儀であり、古代人にとっての救済は、この生を称揚しこの生に執着してゆくことではなく、この生を忘れてゆくことにあった。それがたぶん、「かむながらの道」だった。
苦しいだけの人生を生きているものが、どうして生きてあることに感謝しなければいけないのか?苦しい人生を生きたらいけないのか?苦しい人生は人生のうちに入らないのか?おまえらの人生だけが人生なのか?
やめてくれよ、と思う。
神の御心のままの人生、などというものはないのだ。神道における「神の御心」は、どんな人生も裁かないし、否定も肯定もしない。
日本人にとって神は、「気配」であって「存在」ではない。
「かむながら」は、ひとつの「気配」をあらわす言葉なのだ。「出会いのときめき」のさなかに置かれている「心地=気配」を「かむながら」という。感謝するに足る生など持ち合わせていないがそれでも世界は輝いている、ということ、それを「かむながら」という。
古代人は、仏教伝来によって神という概念を知る前からすでに「かみ=かむ」という言葉を持っていた。そしてそれは、彼らの生のかたちを表現するもっとも重要な言葉のひとつだった。だからそれを、神という概念に進呈した。
古代人が「かむながらの道」というときは「出会いのときめきのままに生きる」といっているだけで、現代の神道オタクがもったいぶっていうような「神の御心のままに正しく生きる」というような意味ではなかった。仏教伝来とともにそういう生き方を押し付けられる世の中になっていったからこそ、そのカウンターカルチャーとして「なるようになる」というコンセプトの神道が生まれてきたのだ。

「出会いのときのままに生きる」ことこそ、古代人のもっとも大切な生きる流儀だった。いいかえれば、「神の御心のままに生きる」ことは「どんな生き方をしてもかまわない」ということであり、神が何か特別な生きる道を指し示しているというようなことではない。「なるようになる」ということ、誰もが苦しい生き方をしているのであれば、「正」と「悪」、「幸福」と「不幸」を選別するような状況は生まれてこない。誰もがときめき合って生きているのならそれでいい、それが「かむながらの道」ということであり、それが「神の御心のままに生きる道」でもあった。そして誰もがその「出会いのときめき」を体験することができる根拠として「天皇」というカリスマが祀り上げられていったわけで、そこから「天皇=神」という認識になってゆくことはもう自然ななりゆきだった。そのとき天皇とは、もっとも純粋に深く豊かに「出会いのときめき」を生きる存在であり、そこに天皇の「神々しさ」があった。
その、世界の輝きとの出会いに深く豊かにときめいている状態は「姿」にあらわれるわけで、それは「舞」や「歌」として表現される。原初の天皇は、そういう「舞」や「歌」の名手=カリスマとして人々に祀り上げられていった「巫女」であったに違いない。おそらくそこから神道天皇の歴史がはじまっている。

いや、こんなことをいうとまた「トンデモ説」だといわれそうだが、日本列島の天皇制は歴史とともに徐々に徐々にかたちを成していったのであったのであって、いきなり現れたものではないはずだ。そうでなければ、こんなにも長く続くはずがない。
古事記はひとまず「神武天皇=カムヤマトイワレヒコ」がいきなり奈良盆地に登場してきたようになっているが、それは同時に「神の出現」から徐々に徐々にそうなっていった話でもある。「ローマは一日にして成らず」というが、日本列島の天皇制だっておそらくそういうことなのだ。
生命の発生だって、地球の誕生から10億年くらいかかっている。歴史とは、そういうものではないだろうか。徐々に徐々に、という「段階」を問うてゆくしかない。
「かむながら」とは、「出会いのときめきのままに」という、古代および古代以前の人びとの生きる流儀をあらわす言葉だった。
なんのかのといっても人類史における「都市」は、「出会いのときめき」が豊かに生成する場において生まれてきたのであり、その結果として人を支配する「国家制度」や「宗教」が生まれてきたとしても、人と人の関係がそれだけですむはずもない。とくに日本列島の「宗教=仏教」は、すでにそうした「出会いのときめき」の文化をそれなりに洗練発達させてきたあとから大陸からの借り物として導入されたに過ぎないのだ。そのとき人々は、体というか人生というか生きてあるかたちを「国家制度」に支配されても、心の中まで「宗教=仏教」にまるごと縛られてしまうことはできなかった。そうやって神道が生まれてきたのであれば、そのコンセプトはいささか宗教的ではあっても、宗教そのものになってしまうはずもなかった。
まあ神道だって、徐々に徐々に宗教のようになっていったのだ。そしてそれが宗教であるためには「国家制度」と結びつくしかなかったわけで、「国家神道」のかたちになってきたのは、「吉田神道」などが提唱されたり「元寇」があったりして、民衆のあいだにもようやくナショナリズムが生まれてきた中世以降ことだろう。
しかしまあ、ここではそんなことはどうでもいい。問題は、古代の神道および神道以前にある。
神道以前の「かみ=かむ」という言葉は、「神」のことではなく、「出会いのときめき」のことだった。人々の生きてあることのよすがは、そのことにあった。
「かむながら」というやまとことばは、もともと「神ながら」という意味ではなかった。
現在だって、神社がパワースポットだといっても、いかにも日本的な「清浄」という気配との「出会いのときめき」を体験しているにすぎない。神社には、「自分」というものが無化されてゆくような気配がある。そうやって「この世の外」に対する「遠い憧れ」に身を浸してゆく心地よさがある。そのとき人は、その胸のどこかしらで、「もう死んでもいい」という心地になっている。その「この生の外に超出してゆく」という心の動きは、べつに「宗教」の専売特許でもなんでもなく、普遍的な命のはたらきの基礎としての純粋な「ときめき」の問題なのだ。そして宗教はむしろ、「この生の外」ではなく、「天国」や「生まれ変わり」として「この生を無限に延長してゆく」ということを志向している。そんなことばかりにうつつを抜かしていると、「生きてあることの切実さ」や「純粋で他愛ないときめき」をどんどん失ってゆく。そういう無意識のというか、日本列島の伝統風土に息づく歴史的な感慨とともに「神道」が生まれてきた。
古事記の神々はみな、どことなく他愛ないところがある。あんなふうに他愛なく生きていられたらいいのだけれど、現世の「憂き世」に身をさらして生きていればそうもいかなくなってしまう。古代人の、そういう「嘆き」がこめられてもいる。そしてそれは、われわれ現代社会で暮らすものたちの「嘆き」でもある。
おそらく人類は、文明社会の歴史がはじまって以来、ずっとそんなことを思って生きてきたのだ。