生きられなさに身もだえするということ-ネアンデルタール人論265

承前
利己的な遺伝子』の感想は、ひとまず今回で終わりにしたい。

ミトコンドリア遺伝子は、エネルギーのはたらきをもたらすはたらきがあるらしい。この遺伝子というかDNAの組成が、50万年前ころからアフリカとヨーロッパではどんどん違っていったらしい。
50万年前ころといえば、ネアンデルタール人の祖先が氷河期の北ヨーロッパに移住していった時期だ。つまり、極北の環境での体質と、赤道直下の熱帯での体質に大きな差異が生まれてきたということだ。
人類は、アフリカ中央部から徐々に北上しながら拡散していった。南ヨーロッパにたどり着いたのが100万年前くらいで、そこならまだアフリカと同じ体質でも適応できたが、氷河期の極北の地まで拡散してしまえばもう、アフリカと同じ体質では生きられなかった。
北ヨーロッパでは、どんどん寒さに影響を受けた体質になっていったし、アフリカでも熱帯の体質をますます洗練させていった。
熱帯の暑さのもとでは、あまり体を動かしたくない。エネルギーの消費はできるだけ抑えていたい。
逆に極寒の地で暮らせば、どんどんエネルギーを燃焼させて体を温めてゆかないと凍え死んでしまう。
というわけでアフリカでは、エネルギーの発現を抑えながら生きてゆっくりと成長してゆく体質になっていった。ゆっくりと成長して長く生きる、これを「幼形成熟ネオテニー)」という。
そして北の極寒の地では、どんどんエネルギーを燃焼させながら一気に成長してゆく体質になっていった。エネルギーの絶対量がが少ない子供時代は、短ければ短いほどいい。
そのような体質の違いが最大になった5万年前ころにもしアフリカ人が北ヨーロッパに移住していったら、その極寒の環境に対応できるはずもなく、何より生まれた子供のほとんどは大人になる前に死んでいったに違いない。
そして肌の色が白くなってしまった北のネアンデルタール人が赤道直下のアフリカに移住してゆけば、紫外線を遮る機能が弱くて皮膚ガンになりやすいとか、大量の汗をかいて体温の調節が上手くできないとか、さまざまな生きにくさを体験しないといけない。そしてそういうことは今でもあるわけで、集団的置換説の論者たちは、アフリカ人とヨーロッパ人が50万年あるいは100万年くらいかけて生み出していった体質の差異がたった数万年で起きたといっているのだ。それが可能なら、エスキモーだって今ごろは白人になっていないといけない。
ネオテニーの体質のアフリカ人は、エネルギーを燃焼して体温を上げてゆくことができる体質ではなかった。現在のように暖房設備のある家で暮らせる時代ではなく、衣装がどうのといっても、原始人レベルの文明でどうにかなる環境ではなかった。現在の北ヨーロッパよりももっと寒かったのだ。
ネアンデルタール人ミトコンドリア遺伝子はエネルギーを積極的に燃焼してゆくはたらきをもたらし、アフリカのホモ・サピエンスのそれはエネルギーの発現を抑制するはたらきになっていた。
とにかくそのネオテニーの遺伝子は、ネアンデルタール人が持つことによってしか北の暮らしには対応できなかったに違いない。まあ、もともとの体質もいくぶんかは残るのだろうから、その遺伝子を持ったからといって大きく成長が遅くなったというのではなく、やや遅くなった、という程度だったのだろう。
ミトコンドリア遺伝子は、女親からしか伝わらない。男親のそれは消えてしまう。もしもそのときアフリカからやってきたホモ・サピエンスの勢力が優勢で、ホモ・サピエンスの男がネアンデルタール人の女に子供を産ませながらしだいに白人の集団になっていったというのなら、ネアンデルタール人ミトコンドリア遺伝子のキャリアばかりになっていったということを意味する。
ネアンデルタール人がどこかでホモ・サピエンスの遺伝子を拾ってしまい、それがすべてのネアンデルタール人に伝播していったというだけのことだろう。

乳幼児の頭蓋骨のかたちは、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスもたいして変わりない。ただ、ホモ・サピエンスはそのかたちのまま大人になってゆくが、ネアンデルタール人は、大人になるにつれて大きく変形してゆく。寒さに対応するためには、変形してゆく必要があったのだろう。べつにネアンデルタール人の知能が劣っていたというわけではない。脳容量そのものは両者とも同じような過程で増えてきたのだし、知能の発達の遺伝子は共有していたということだろう。
今だって、知能そのもののレベルは世界中たいして変わりない。社会の構造と文化が違うだけだ。そして、社会の構造や文化のレベルだって、耐えがたい寒さの中で懸命に生き残ってきたネアンデルタール人のほうが劣っていたということはありえない。
頭蓋骨のかたちの違いがそのまま知能の差になっていたということなどありえない。
原始人が氷河期の極北の地で暮らせば、そういうかたちになるほかなかったのだろう。子供のときは頭頂がふっくらとして丸いが、大人になるにつれてやや扁平にラグビーボールのようなかたちになってゆく。脳を冷やさないためには、頭頂部をできるだけ体から離さないほうがいいのだろうか。首が太いのは、体温を脳に伝道してゆく効率を高くするためだろうか。ずんぐりした体型のほうが体温が逃げにくいのだろうか。
極寒の地では、エネルギーを効率よく燃焼してゆかないと生きられない。
赤道直下の熱帯では、むやみに体が温まるのを避けて暮らすようになる。
そうやってミトコンドリアDNAの組成に違いが出ていったのだろうか。
で、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスミトコンドリアDNAのキャリアになれば、エネルギーの発現が抑えられて、ホモ・サピエンスのような骨格になってゆく。遺伝子は骨をつくるが、骨格は身体と環境との関係で決まる。最近盛んになってきている「発生進化学」という研究分野では、そのようなことがいわれてきているのだとか。
ネアンデルタール人だって、エネルギーの発現が抑えられるような体質になってゆけば、ホモサピエンスのような骨格なってゆくことができる。そして集団の骨格が変わるための時間は、数世代数百年もあればじゅうぶんなのだ。
ネアンデルタール人は、氷河期の寒さが一時的に緩んだ間氷期に、その遺伝子を取り込んだ。極寒の環境の中で生きる文化をそれなりに発達させていた彼らは、寒さが緩めばもう、北ヨーロッパでもその遺伝子で生きていられるようになった。それは、彼らの歴史で初めてのことっだったのであり、ひとつの歴史的達成だった。それまでもアフリカの遺伝子がヨーロッパにまぎれ込んでくることはあったが、たとえ間氷期でもその遺伝子のキャリアの個体は淘汰され続けてきた。
そのときだってけっして生きやすいわけではなかったが、「生きられなさ」に飛び込んでゆこうとするのが彼らの生きる流儀であり、生きものは「生きられなさを生きる」ことによって進化してゆくのだ。
ドーキンスダーウィンの「自然淘汰=適者生存」の理論なら、遺伝子の存続に不利益になる「生きられなさに飛び込んでゆく」ことなどありえないのだろうが、身体=細胞がそうやって遺伝子のはたらきとは無縁なところで勝手に進化=変化してゆくことはありえるらしい。

3万年前以降のヨーロッパのクロマニヨン人を勝手にアフリカからの移住者だと決めつけて、そのころはアフリカ人のほうがネアンデルタール人よりも知能や文化が発達していたというのはフェアではない。「集団的置換説」だろうと「多地域進化説」だろうとひとまず仮説にすぎないのであり、遺伝子分析の証拠があるといっても、遺伝子のデータでは人の行動やメンタリティや文化はわからないのだし、それを遺伝子のデータから逆算して推測するなんて思考の倒錯以外の何ものでもない。
クロマニヨン人ミトコンドリア遺伝子がホモ・サピエンスのものだということは、ネアンデルタール人の男がホモ・サピエンスの女に子供を産ませた結果である、ということでもある。そしてそれがたった一回きりのことでも、とにかくネアンデルタール人の集団内で起きたことであり、それよって以前よりも長生きできるようになるのなら、その遺伝子がネアンデルタール人の集団から集団へと手渡されながらやがてすべてのネアンデルタール人がその遺伝子のキャリアになってゆく、という可能性はないわけではない。まあここではその「状況証拠」をあれこれ書いてきたわけだが、50万年のあいだ、世界中のどこよりも「生きられなさを生きる」歴史を歩んできた人々に知能や文化の進化発展が何もなかったといえるはずがないだろう。人の知性や感性がどのような状況から生まれ育ってくるかということ、そのことに思考や想像力をめぐらすことができないなんて、集団的置換説の論者たちは、頭が悪すぎるし鈍感すぎるし無神経すぎる。知能や文化は、「生きられなさを生きる」ことによってこそ進化発展するのだ。
彼らの思考は、すでに科学から逸脱して、政治的になってしまっている。インテリであろうとあるまいと、現代人の多くは政治的にしか思考できない。「ネアンデルタール人ホモ・サピエンスとどちらの知能のほうが高かったか」と考えること自体すでに政治的であり、知らず知らず「意味」や「価値」というよけいな物差しにまとわりつかれてしまっている。
科学とは、そういう「意味」や「価値」の物差しから離れて純粋率直に考えることではないのか。

ドーキンスだって、「生きることことには意味や価値がある」という前提を持ってしまっている。
そんなの、どうでもいいじゃないか。
生きることなんかただの「結果」にすぎないし、生きることの意味や価値なんか忘れてしまっているところでこそ生きることが活性化するのであり、人間も含めたすべての生きものは、「生きられなさ」に「身もだえ」しながら「もう死んでもいい」という勢いで生きているのだ。
「進化」は、「生きられなさ」に「身もだえ」するところから生まれてくる。押しなべて生物学者の実験は、その試料である生きものを「生きられなさ」の中に置いてやるところからはじまる。
ネアンデルタール人は私たちと交配した』という本の著者であるスヴァンテ・ペーボしかり、そのゲノム遺伝子の分析がどれほど高度で複雑な計算の上に成り立っている研究であろうと、けっきょく彼ら遺伝子学者は「生き延びる」という「結果オーライ」の前提で問題を立てているから、「どのようにして生き残ってきたか」というところまでは思考がおよばない。還元主義というのか、そういう「結果」としての数値でしか考えられない人たちに、「どのようにして生き残ってきたか」という問題に土足でずかずかと入り込んできて、まるで神の宣託を下すかのように大きな顔をされるのはおおいに不愉快だし、「進化論」という総合的な問題がそれだけですむはずがない。おそらく「発生進化学」という学問は、命のはたらきを、そのような数学的に単純化してしまった思考を超え、もっと複雑な要素がさまざまに絡み合ったところに立って問い直そうといるのではないだろうか。
ドーキンスだって、けっきょくそういう「還元主義」の罠にはまってしまっているのではないだろうか。そういう「結果」でしかないことをあげつらって「利己的な」といわれても、それはちょっと困る。それは正しいが、正しいというだけのことだ。