寒いね・ネアンデルタール人論56

 ここでは、起源論に通じる根源の問題について考えようとしているわけで、言葉の起源と埋葬の起源が別の問題だとは考えていません。直立二足歩行の起源だって、そのパラダイムで問い直す必要がある。現在の人類学の世界で提出されている直立二足歩行の起源に関する仮説なんか、ぜんぶ信用できない。それは「生き延びるため」などという契機から起こってきたことではないし、人類史の文化の起源はすべて、そんなことを契機にしているのではない。
 それは、「生き延びるため」ではなく、「死と和解してゆく」体験だった。すべての人間的な文化の起源は、ここからはじまっている。
 人間は、死と和解しながら心が華やぎときめいてゆく生き物です。そこに、人間的な快楽=カタルシスがある。死を自覚しながら死と和解してゆくということ、さしあたりこの心模様は、人間のレベルではじめて起きてきたことでしょう。ほかの生き物は死を自覚しないままそういうかたちで生きているが、人間は自覚している。
 生き物の世界において、生き延びようとすることは、じつはとても不自然なことなのです。生き延びようとすれば、自分のまわりのすべてに注意に向けて、たえず緊張していなければならない。しかしそんな状態で生きていれば、やがて緊張の糸は切れてしまう。敵の集中砲火を浴びた塹壕の中の兵士が、恐怖のあまり狂ったように叫びながらひとり敵の陣地に突進してゆくのと同じです。
 サバンナのシマウマは、ライオンがそばにいても悠然と草を食んでいる。それはとても無防備な態度で、ライオンがそばにいることは知っていても、恐怖のあまりライオンに向かって突進してゆくことも逃げだすこともしない。ただもう草という一点に意識の焦点を結んでいる。しかしその「一点に焦点を結んでゆく」という心の動きが、いざライオンが自分に向かってきたときは、素早くその「異変」を察知するのです。
 現代人は、世界から発信してくるあれこれの情報に関心を向け(=意識の焦点を結び)ながら、世界とはこういうものだという先入観を頭の中に刷り込んでゆく。その先入観はもう、書き変えることはできない。そうして世界は異変が起こるかもしれない、とたえず緊張している。その緊張感は、世界のあれこれに焦点を散乱させながら異変が起きることを予測することはできても、それゆえにこそ、意識が一点に焦点を結んで異変が起きたことを察知するはたらきにはならない。
 たとえばそれは、目の前の他者の心の動きが変化することを予測できても、変化したことを察知することはできない、ということです。そうやって世間の大人たちは、いっぱしの心理通を気取りながらも、人の心の動きに鈍感な人間になっている。人の心はこのように動く、というデータをあれこれ頭に刷り込んでいるのだが、それゆえにこそ目の前の今ここでのリアルな人の心の動きを察知する感受性がまるでない。
 人の心の動きに敏感であるということは、人の心の動きを上手に予測できるということではないのです。そういう何もかも知っているつもりのすれっからしの知恵ではなく、生まれたばかりの赤ん坊のような真っ白な心で一点に焦点を結びながら気づいてゆくのです。そこに、大人の社会の人と人の関係と子供だけの社会のそれとの違いがある。子供のほうが、人の心の動きにずっと敏感なのです。
 大人は、生き延びるために未来の世界の動きを予測する。それに対して子供や若者は、生き延びることに無能な死と和解した心模様で、目の前の「今ここ」の世界の動きに気づいてゆく。


 人類の歴史は、人類の予測や計画の通りに動いてきたわけではない。目の前の「今ここ」に反応しながらその「なりゆき」に身をまかせながら動いてきただけです。
 予測や計画ばかりで生きていると、いずれ精神は停滞・崩壊し、鬱病になったりボケたりしてゆく。予測や計画ばかりで生きるなんて、ただの「死にたくない」という強迫観念にすぎない。そうやって緊張しっぱなしで生きていれば、いずれ精神は停滞・崩壊してゆく。
 そんなところから人類史の文化の進化発展が起きてきたのではない。その進化発展は、未来の予測や計画などしないで、目の前の「今ここ」に反応し華やぎときめいてゆく心模様とともに生まれてきた。そうやってこの生を忘れながら死と和解してゆく心模様にこそ、人間性の自然がある。心はそこから華やぎときめいてゆく。
 まあ現在の知識人が人類史の起源の契機を語ろうとするとき、そのとき人類はどんな予測や計画を持ったのかという問題設定ばかりしているのだが、そうじゃない、そのとき心はどうやって華やぎときめいていったかという問題があるだけでしょう。
 人類は、生き延びるための技術として文化を生み出してきたのではない。心が華やぎときめいていったことの「結果」として文化が生まれてきただけです。
 人類は生き延びるための予測や計画などしてこなかったし、人類の予測や計画通りに人類の歴史が動いてきたのでもない。
 まあ人の心が華やぎときめいてゆくのは、世界が動いてゆくことに対してであり、世界が移ろい変化してゆくことに反応して心が華やぎときめいてゆく。それはもう。犬や猫が動いているものを追いかけたがるのと同じで、生き物の本能(のようなもの)かもしれない。
 この生は、移ろい変化しながらやがて消えてゆく。おそらく人間だけがそのことを自覚している。人の心は、移ろい変化してゆくものにときめいてゆく。そうやって心は死と和解してゆく。
変化するからこそ、意識は「反応」する。それが生き物の意識のはたらきの基本的なかたちであるのでしょう。人の心は死と和解できるはずだし、じっさい原始人や古代人は和解して生きていたはずです。われわれ現代人だって、無意識のところでは死と和解している。そうやって心が華やぎときめいてゆく体験をしている。
 感動するとは、「もう死んでもいい」と、死と和解してゆく体験です。その体験とともに人類史の文化が生まれ育ってきた。なんでもいい、すべての文化の起源の契機にその体験がある。


 今どきの大人たちは、人間通として人の心のことはよくわかっていると気取っていても、じつは目の前の今ここの人の心を察知する感受性はまるで欠落している、という場合が多い。彼らは、そういうデータを頭に刷り込み、既視感で人の心を裁定しているだけであり、今ここでありありと感じてゆくというリアルな臨場感など体験していない。そういう感受性は、何も知らない子供や若者のほうがずっと豊かにそなえている。
 相手が傷つこうと傷つくまいとおかまいなしに自分のいいたいことをいって自分を見せびらかしてゆく、そんなことができるのは相手の心の動きに鈍感だからです。今どきはそんな大人がたくさんいる。そんな大人にかぎって人間通であるかのようにうぬぼれている。鈍感なくせに、データだけはしこたまため込んでいる。鈍感だからデータが頼りになる。データで人を裁定することばかりして、何も感じること察知することができない。彼らは、そういうデータをため込む(刷り込む)ことが人間的な知能だと思っている。
 知性とは、未来はどうなるかを知っていることではなく、未来はどうなるかと問うことです。だから科学者は「実験」ということをする。そのとき科学者は「知らない」のです。知らないから実験をして問う。彼らはつねに「今ここ」と向き合っているのであって、未来なんか何も知らない。その「知らない」ということが知性なのです。
 目の前の相手の心の動きがどうなるかということを知らないから、それを「今ここ」の体験として察知し感じることができる。相手が傷ついたことを察知し感じることの苦さを体験しているから、そういうことがいえなくなる。そういう体験がないものは、いくらでもいえる。相手が傷つくとは思わない。自分がいわれたら傷つくのだが、自分がいったことによって相手が傷つくということを察知する体験はしたことがない。自分はつねに「被害者」であり、ときに「加害者」になるという自覚がまるでない。
そうしてたとえば、こういえば相手はこちらのいうことの正しさにひれ伏すだろう、などと思う。
自分が傷ついた体験を持っていたって、相手が傷つくということを察知する体験ができるとは限らない。自分は傷つく能力を持っているが、相手にその能力があるとは思わない。そういう唯我独尊の心の動きになってしまう場合がある。今どきの大人たちの関心はつねに「自分」に向いていて、そのぶん他者の心の動きを察知する能力が欠落している。他者は自分を確認するための道具にすぎない。そういう道具としての他者を必要としているが、自分を忘れて他者に気づいてゆく、というはたらきなんか持っていない。
おたがいに自分を見せびらかし合いながらひとまず仲よしこよしの関係をつくってゆく、そんな大人ばかりの世の中になりつつある。たがいに相手の存在に気づき合う、という関係が希薄になっている。気づき合うということがなく、見せびらかし合うことによって分かり合っている。そういうかたちでしか分かり合えない。他者に気づいてゆくことができないものほど自分を見せびらかしたがる。
 他者の心の動きを察知する体験は、自分を忘れているときになされる。「意識はつねに何かについての意識である」という現象学の定理は、自分と他者を同時に思うことはできない、ということを意味している。人は自分を忘れながら他者に気づいてゆく……これが意識のはたらきの普遍的なかたちであるらしい。
 人の心は華やぎときめき感動する。それは「自分忘れる」意識のはたらきを持っているということです。その華やぎときめき感動する心模様においては、「自分」とは「忘れてしまう」対象であって、他人に「見せびらかす」ために後生大事に抱え込んでいなければならないほどの対象ではない。
 自分は「有能」な存在であると思ったり「有能」な存在でありたいと願うのなら、自分のこの命この生を「かけがえのないもの」と思うのなら、思いたいのなら、自分に対する関心ばかり強くなって、目の前の「今ここ」の世界や他者に対する感受性はどんどん鈍くなってゆく。
 人の心が華やぎときめき感動することにおいては、「自分」という対象は「忘れてしまう」ほどの「無能」な存在でしかないのです。高度な知性や感性をそなえた学者や芸術家ほど、「自分」を「無能」という位相におき、「自分」を忘れながら夢中になって研究や創作活動をしている。つまり、そうやってわが身を研究や創作活動に捧げている。
 「自分がない」のではない。「自分を忘れてしまう」のです。自分を忘れて心が華やぎときめき感動してゆく。自分が感動するのではない。自分を忘れて感動するのです。自分を忘れて知性や感性が活性化してゆくのです。
「知らない」から「気づく」ことができるのです。本格的な知性や感性は、世界や他者を「すでに知っている」対象として裁定してゆくのではなく、生まれたばかりの赤ん坊のような何も知らない心で「気づいてゆく」のです。
自我=自己意識に凝り固まって何もかも知っていることにして生きてゆこうなんて、知性や感性の後退であり停滞にすぎない。
人間的な知性や感性の本質は「無能性」にある。無能であることの尊厳というものがある。死者の尊厳は、生きることができないことの尊厳として認識される。人は、生きられなさを生きようとする。本格的な知性や感性の持ち主ほどそういうタッチを持っているし、誰の中にもそうした「気づく」という心模様は起きている。今どきの大人たちは何もかも知っているつもりになって、その「気づく」という心模様が希薄になっている。気づきもしないで、勝手に世界のことも他者のこともすでに知っているつもりになって決めつけてゆく。どんなにたくさんの情報を集めたって駄目なのです、目の前の「今ここ」で気づいてゆくというタッチを持っていなければ、本格的な知性や感性とはいえない。人類は、そのタッチで文化を進化発展させてきた。


 したがってこれは、言葉の起源にも当てはまるはずです。
 原初の言葉は、まず最初に頭の中に言葉が浮かんで、つまりそれを「すでに知っている」ものとして口から発したのではない。思わず発してしまって、あとからそれを言葉として「気づいて」いっただけなのです。
 現在のわれわれの言葉との関係だって、本質的にはそういう関係の上に成り立っている。誰もが人が傷つくことをつい平気で言ってしまったりするときがあるし、あとになってもそれに気づきもしない人がいる。
 人類は、思わず発してしまった音声のニュアンスに気づきながら、それを言葉としてつくり上げてきたのです。その音声のニュアンスは、対象の「意味」があらわされているのではなく、対象に対する感慨のニュアンスがこめられている。その感慨のニュアンスに気づいていったのが、言葉の起源です。言葉は、そうやって感慨を表出し合う長い長い歴史を経て、ようやく現代的な「意味の表出」の機能になってきただけなのです。
 まずその音声にこめられた「感慨」のニュアンスに気づき、原始時代は感慨の表出を交歓し合う道具として機能していた。
 リンゴを見て、「赤い」と思う。集団の中でその「赤い」という感慨を共有してゆく道具として言葉が生まれ育ってきたのでしょう。
 俵万智の歌に「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」というのがあったが、起源としての言葉は、そのように同じ音声を発し合うかたちで生まれ育ってきたのかもしれない。寒いときには、思わず「さむい」という音声が口からこぼれ出る。誰もが「さむい」といってしまう。みんなで「さむい」といい合いながら言葉になっていった。そのとき、寒いということの「意味」を確認し合ったのではない、「さむい」という「音声」を共有していったのであり、「さむい」という「音声」を発しないではいられない「感慨」を共有していった。寒いことには「さむい」という「音声」がしっくりくるということを共有していった。意味なんか、誰もがはじめからわかっている。寒いことにはどんな音声が一番しっくりくるかということが、言葉として成り立つためのもっとも重要な問題だった。みんなで「さむい」といい合ったことが、言葉の起源の体験だった。「寒い」という「意味」を伝達し合ったのではない。寒いことの「感慨のあや」を共有していったのです。生き延びるための方法として「意味」を伝達していったのではない。すでに共有している「意味」に対する「感慨」を表出していったのです。
 言葉は、人類が生き延びるための道具として生まれてきたのではない。「すでに生きてある」ことの感慨を表出する道具として生まれてきた。言葉によって表出された感慨のあやをみんなで共有してゆくことのカタルシス(=ときめき)があった。
 ネアンデルタール人の集団が、洞窟の中でたき火を囲んでいる。誰いうとなく「あたたかいなあ」という言葉がもれ、いつの間にかみんなで「あたたかいなあ」といい合っている場になっていった。まあ、みんなで一つの歌を合唱しているようなものです。
 原初の言葉は、ひとつの「歌」だった。「意味」が言葉になっていったのではない。その「音声の響きのあや」が言葉になっていったのです。人類は、さまざまなニュアンスを持った「音声」を発するようになっていった。これが言葉の起源です。生き延びるための方法として「意味の伝達」に目覚めていったのではない。意味がすでに共有されている場から「意味に対する感慨」を共有してゆく道具として言葉が生まれてきたのです。
 俵万智の歌に戻れば、「寒いこと」を共有しているから「あたたかい」のではなく、「寒いことに対する感慨」を共有していることに親密な「あたたかさ」が生まれているのでしょう。
寒いことを共有したからといって、親密な「あたたかさ」が生まれるわけではない。町を行く人はみんな防寒着を着込んで寒がっている。しかし「さむいね」という言葉を交わし合っているの「今ここ」の「あなた」と「わたし」だけであり、そうやって「さむい」という音声を発する感慨を共有していることが「あたたかい」のででしょう。
まあ「さむい」という言葉の語源は、「(寒くて)その場にじっとしていられない」という感慨の表出にある。「さ」は「さあさあ」と「せかされる」感じから発せられる音声で、「む」は「むずかしい」の「む」です。
 近ごろでは場違いなことを「さむい」といったりするが、ちゃんと「さむい」という言葉の原初的本質的なニュアンスにかなっている。
 まあ人間にとって生きてあることそれ自体が「いたたまれない」ことであり、「さむい」という音声=言葉を交わし合うことは、そういう生きてあることの感慨を共有していることでもあるのでしょう。人は「寒いね」という言葉=音声を交し合うことが好きな生きものらしい。そしてそれは、本質的には歌を合唱する行為に通じている。
 原初の言葉は、ひとつの「歌」だった。「意味」によって他者を説得するための道具だったのではない。
 人と人の親密な関係は「意味」を共有していることにあるのではない。意味に対する「感慨」を共有していることにある。
 つまり、言葉の起源は、「意味」に気づいていったことにあるのではない。「意味」なんか最初からみんな知っていた。その音声に「意味に対する感慨」がこめられていることに気づいていったのが起源です。
 場違いなことを「さむい」というとき、「寒い」ということの表層的な「意味」からはまったく離れているが、「寒いことに対する感慨」としての「いたたまれない」というニュアンスにちゃんと気づいている。われわれの無意識は、「さむい」という言葉=音声にこめられた感慨のニュアンスにちゃんと気づいている。その「気づく」というはたらきが人間的な知性であり感性です。つまり、無意識のほうが「象徴的」な「意味」を規定する観念のはたらきよりもずっと深く豊かな知性的感性的なはたらきを持っているということです。もっと深く豊かにその本質に気づいている。今どきの大人たちの観念や生き延びようとする知恵よりも、子供や原始人の「もう死んでもいい」という感慨とともにある「無意識」のほうがずっと深く豊かな知性や感性のはたらきを持っているということです。
「いたたまれないこと」、これが「さむい」という言葉=音声の起源であり究極でもある姿です。
 あらかじめの知恵として知っていることよりも、今ここで気づいてゆくことのほうがずっと深く豊かな知性であり感性のはたらきなのです。
 この生の即興性、目の前の「今ここ」に深く豊かに反応してゆくこと、すなわち気づいてゆくことこそ、人間的な知性や感性のはたらきであり、まあそのことに原始人も現代人もないのです。
 人の無意識は、「もう死んでもいい」という感慨とともに、目の前の今ここに反応しながらはたらいている。生き延びようとする未来に対する欲望としてはたらいているのではない。むしろ、そのような観念的な欲望が無意識のいきいきとしたはたらきを封じ込めている。そして無意識のほうが知性的であり感性的であり、そこから人類史の文化のイノベーションが起きてきたのです。
 無意識は誰もがも同じように持っているが、誰の中でも等しく生き生きとはたらいているとはいえない。それが問題です。生き延びようとする文明社会の制度性がそのはたらきをむしばんでいる。


 ネアンデルタール人は、生き延びようとする欲望で氷河期の極北の地に住み着いていたのではない。そんな欲望がはたらいていればさっさと暖かい地に移住してゆくし、だいいち人類はそんなところまで拡散していない。
 人は「もう死んでもいい」という感慨から心が華やぎときめきながら生きはじめる存在だからそんな苛酷な環境の地まで拡散していったのだし、その華やぎときめく心模様から人類史の文化が生まれ育ってきた。
 ネアンデルタール人の社会では、生き延びようとする欲望とともに「未来に対する計画性=希望」を共有しながら人と人の関係がつくられていたのではない。「寒い=さむい」こと、すなわち生きてあることのいたたまれなさを共有しながら、そこから心が華やぎときめき合う関係になっていった。その環境のもとでは、そのこと以上に確かに共有できる感慨などなかった。彼らは、「未来」ではなく、目の前の「今ここ」を共有していた。そこは希望など持てる環境ではなかったし、その希望がないことこそ、より切実で豊かな「今ここ」のときめき合う関係をもたらした。
 人は、もらい泣きをする。そのとき、生きてあることのいたたまれなさが共有されている。そこにおいてこそ、人と人は、もっとも切実で豊かな親密さの関係になってゆく。
 ネアンデルタール人ほど生きてあることのいたたまれなさを深く知っていた人々もいないのかもしれない。それゆえにこそ彼らは、深く豊かにときめき合っていた。
 まあ人類は、直立二足歩行の開始以来、ずっとそうやってときめき合う関係の歴史を歩んできた。現代人だって、生きてあることのいたたまれなさを共有しながらときめき合っている。人であるかぎり、誰もが心の底のどこかしらで生きてあることのいたたまれなさを抱えている。人間は、本質・自然において、生きることに無能な存在であり、その無能であることのいたたまれなさから心が華やいでゆく。
 ネアンデルタール人は、人類史上もっとも生きることに無能な存在だった。原始人があんな苛酷な地に住み着けば、誰だって生きることに無能であるほかないし、そのいたたまれなさを共有しながらときめき合っていた。彼らほどときめく心を豊かにそなえた人々もいないし、人類の文化はそのときめく心から生まれ育ってきた。


「ときめく」とは「気づく」ことです。
「気づく」という脳=心のはたらきがなければ、文化など生まれ育ってこない。
 人類は、生きることに無能であることによって知性や感性を進化発展させ、生き残ってきた。
 生きることに無能な存在は、生き延びる未来を持っていない。しかしそのぶん目の前の「今ここ」に豊かに反応してゆく。そうやって人間的な知性や感性が生まれ育ってくる。
 いいかえれば、生き延びる未来を持っていれば、そのぶん目の前の「今ここ」に鈍感になってゆくわけで、そこから本格的な知性や感性が生まれ育ってくることは論理的にありえない。人は、生き延びようとする欲望をたぎらせることによって知性や感性を鈍磨させてゆく。人類学者のいう「未来に対する計画性」が人類史の文化が花開いてくる契機になることなどありえない。
 人類史はネアンデルタール人のあとのクロマニヨン人によって一気に人間的な文化が花開いてきたといわれているのだが、その契機になったのも、「未来に対する計画性」によるのではない。クロマニヨン人は、ネアンデルタール人よりももっと氷河期の寒さに四苦八苦していたのであり、その四苦八苦(=いたたまれなさ)から文化が花開いてきたのです。そしてそれは、ネアンデルタール人の文化が進化発展して、ますます寒さに耐えられない体になっていったからです。つまり、ネアンデルタール人クロマニヨン人になっていったのであり、そのころ北ヨーロッパに移住してきたアフリカ人などひとりもいないのです。
 クロマニヨン人ネアンデルタール人よりも寒さに対処する知能を豊かにそなえていたとか、何をくだらないことをいっているのだろう。ネアンデルタール人であったときよりももっと寒さに四苦八苦するようになったから文化が花開いてきたのです。身体の形質は華奢になり、もっと切実に動物の肉を摂取する必要が生まれてきたし、少人数で大型草食獣を倒してゆく体力がなくなって多人数のチームワークによる狩りの技術が進歩してきた。
 まあ文化が花開いてきたということは、それだけ世界や人に「ときめく」心模様が豊かになってきたということであり、そのぶん生き延びる能力を失っていったということです。
 寒さに対処してゆく生態は、とうぜんアフリカ人よりもネアンデルタール人のほうがはるかに進化していたはずだが、それは、それだけ寒さに四苦八苦してきた歴史を長く持っているからであり、寒さに平気で生きてきたのではない。
 現代でも、北に住む人々は寒さに対処する文化生態を豊かに持っているが、彼らが南に住む人よりも寒さに強い体を持っているとはかぎらない。むしろ南の人のほうが寒さに強い体質であったりする。そういう文化生態を豊かに持っているということは、それだけ寒さのいたたまれなさを深く知っているということです。
 ネアンデルタール人は、身体形質がゆがんでしまうくらい寒さに四苦八苦して生きる歴史を歩んできた。そのいたたまれなさから文化が生まれてくる。
 知能とやらで寒さに平気でいられる生活技術を持っているのなら、埋葬の文化や壁画の文化は生まれ育ってこない。それは、寒さに平気でいられる暮らしから生まれてきた文化ではなく、寒さに対するいたたまれなさから生まれてきた文化なのです。
 人間なら誰にとっても寒さはいたたまれないものであり、そのいたたまれなさから「寒い」という言葉が生まれてきた。寒い地方に住んでいるということは、寒さのいたたまれなさを知っているということであり、寒さに平気であるということを意味するのではない。
 なのにストリンガーは、ネアンデルタール人は筋肉で寒さを克服していたという。よくそんなくだらない思考をして平気でいられるものだ。寒さに四苦八苦していたから身体形質がゆがんでいったのです。彼らの身体形質がゆがんでいたことは、寒さに四苦八苦して生きていたことの証しであって、寒さに平気であったことの証しではない。
 子供は、大人よりも寒さに耐えられない体力のはずなのに、大人よりも寒さに平気でいられる。それは、身体のことを忘れてしまう心模様のタッチを豊かに持っているからでしょう。
 人類は体のことを忘れてしまう心模様で寒さを潜り抜けてきたのであって、たとえネアンデルタール人であろうと、筋肉の力によってではない。ネアンデルタール人ほど寒さのいたたまれなさを知っている人々もいなかった。「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」の文化=生態でその厳しい環境を潜り抜けてきたのです。それが人間のいとなみというものであって、筋肉だろうと知能であろうと、人間が寒さに平気でいられることなんかないのです。平気でいられないから、寒さに耐える文化が生まれてくるし、「寒い」という言葉が生まれてきた。
 どんなに筋肉自慢のネアンデルタール人だろうと、生まれたばかりの子供が大人よりもはるかに生き延びる体力を持っていないのは当然のことです。大人でさえ生きにくい環境だったのであれば、子供ならなおさらです。彼らは、子供時代のその生きにくさを生きるメンタリティを携えてその苛酷な環境を生き残っていった。その生きにくさを生きる心模様から人間的な文化が生まれてくる。


 人は生きることに無能な存在だから、人間的な文化を生み出してきた。生きることに無能な存在だから、死と和解してゆくし、そこから心が華やいで人と人がときめき合う関係をつくってゆく。ときめき合わないと生きられない存在です。けっきょく、そういうところから人間的な文化が生まれ育ってきた。
 人間的な文化の起源論は、知能がどうのこうのという以前に、つまるところどのような人と人の関係がつくられていったかという問題です。そこのところを考えないといけない。
 われわれ現代人だって、何はさておいても人と人の関係がうまくいかないと生きられない。それによって心が華やいだり、病んだりしている。われわれのこの生の基礎と究極がそこにある。
 言葉の起源の契機は、他者に意味を伝達しようとしたことにあるのではなく、人と人がときめき合った体験にある。人類が地球の隅々まで拡散してゆく歴史は、直立二足歩行の起源のときからすでにはじまっていたのであり、それは、人と人のときめき合う関係が深く豊かになってゆく歴史だった。その体験によって、人間的な文化が生まれ育ってきた。
 人の本能的な衝動は、みずからが生き延びようとすることにあるのではなく、他者を生かそうとすることにある。自分が生きてあることを忘れて他者が生きてあることにときめき、他者を生かそうとしてゆく。
 死ぬのが怖いから生き延びようとするだけのことです。文明社会の制度的な構造は人の心をそのように染め上げてゆくが、それは、人間性の自然でも生きものの普遍的な自然でもない。原始人は死ぬことなど怖がっていなかったし、ただもう他者を生かそうとしていただけです。「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともに心が華やいでゆき、他者にときめき、他者を生かそうとしていった。猿よりも弱い猿だった人類はそういう関係をつくってゆきながら生き残ってきたのであり、それは、人間的な知性や感性が進化発展し
てくる歴史でもあった。
 生き延びようとして生き残ったきたのではない。「もう死んでもいい」というかたちの生き方をしながら生き残ってきたのです。「もう死んでもいい」という感慨を心の底に持っていなければ、人類拡散など起きるはずがないのです。それは、どんどんより住みにくい地へと移住してゆく動きだったのだから。そうしてその果てに、ネアンデルタール人は、原始人が生きられるはずもない氷河期の極北の地に住み着いていった。そこは「もう(いつ)死んでもいい」と思わなければ住みけるはずのない土地だったし、そう思えば心はよりいっそう華やぎときめいていった。そうやって誰もが他者にときめき、他者を生かそうとしていた。それは、誰もが「もう死んでもいい」という感慨を心の底に宿していた、ということです。それは、ネアンデルタール人だけのことではない。人類の普遍的な無意識のはずです。彼らはただ、その人間性の極限を生きていただけです。
 人類はみな、ネアンデルタール人です。
 人類はみなホモ・サピエンスだ、といったって、人類学オタクの学者たちがもてあそんでいるたんなる概念にすぎない。人間はみな人間だ、というほうがもっと正確で科学的です。
 人類の起源がアフリカにあることが真実だとしても、それは、700万年前の直立二足歩行をはじめたときのことであって、10万年前のアフリカ人が拡散して地球上を覆い尽くしたのではない。
 遺伝子や身体形質のことで、ヨーロッパ人とアジア人は似ているがアフリカ人は両者とはかなり違う、というデータだっていくらでもある。このことを、置換説の論者たちはなんと説明するのだろう。それはつまり、人類の始祖の地に残ったアフリカ人はもともと拡散してゆく生態が希薄で、そのために世界の歴史から取り残されていった、ということです。
 原初の人類が地球上に拡散していったのは、集団で移住していったのではなく、移住していった地で人と人が出会ってゆく体験だった、その「出会いのときめき」が人類拡散をもたらしたのです。
「出会いのときめき」こそ、人と人の関係の本質です。その繰り返しの歴史の果てに、ネアンデルタール人が氷河期の極北の地に住み着いていった。拡散すればするほど住みにくい地になっていったが、住みにくいゆえにより豊かにときめき合う関係が生まれていった。ネアンデルタール人はもう、その苛酷な地に住み着いた最初から、歴史の無意識として「出会いのときめき」を体験できるメンタリティを豊かにそなえていた。
 その「もう死んでもいい」という無意識の感慨が、そこに住み着くことと和解させたと同時に、豊かにときめき合う関係を生み出していった。
 まあ、直立二足歩行の開始以来の700万年のあいだ拡散の歴史を歩んでこなかったアフリカ人がいきなり拡散をはじめることなどありえないし、その歴史ゆえに人と人が出会ってときめき合いながらその苛酷な地に住み着いてゆくというメンタリティも持っていなかったのです。
 アフリカでミーイズムが発達したのは、拡散してゆかない歴史を歩んできたからです。彼らは部族意識が強く、他の部族の人間との出会いにときめくということはほとんどない。10万年前のアフリカ人(ホモ・サピエンス)だって、おそらくそういうメンタリティだったはずで、その「部族意識=共生意識」はミーイズムです。
 ミーイズムとは共生意識であり、「個人」という意識ではない。孤立した個人という意識があるから、見知らぬ他者にときめいてゆく。拡散してゆかなかったアフリカ人にはそういう「出会いのときめき」が希薄で、「共生意識=ミーイズム」で700万年の歴史を歩んできた。「出会いのときめき」とともに拡散していった果てのネアンデルタール人に対して同時代のアフリカのホモ・サピエンスは、そういう拡散してゆかない人と人の関係で生きていた。
 文化は、人と人の関係から生まれてくる。北ヨーロッパネアンデルタール人とアフリカのホモ・サピエンスとどちらの知能がすぐれていたということもないが、人と人の関係の文化が違っていた。
一緒に暮らす相手を選んでいたら氷河期の北ヨーロッパは生きられなかった。アフリカからやってきたホモ・サピエンスが共生しながら一方の部族であるネアンデルタール人を滅ぼしてしまったということなどありえない。そこは人がかんたんに死んでゆく環境だったのであり、つまり生き延びようとする欲望を持つことが許されない環境だったのであり、だからこそそこかから心が華やぎ誰にでもときめいてゆき、誰もが相手を選ばずに生かそうとしていた。とにかくその苛酷な地で人が生き残っていったということは、そういう関係にならないことにはありえないのです。だからヨーロッパでは今でも移民を広く受け入れる習俗があるし、異人種の子供でも抵抗なく養子にしたりしている。それはきっと、ネアンデルタール人以来の伝統なのでしょう。人は、苛酷な生の環境に置かれると、相手を選ばずに生かそうとしてゆく。まあ根源的にはそういう存在なのでしょう。この国でも、近ごろの大震災のときには、そういう人と人の関係になっていった。それが、地球の隅々まで拡散していった人類史の伝統です。
 みずからは死と和解しながら他者を生かそうとしてゆく……ここに猿よりも弱い猿でありながら長い歴史を生き残ってきた人間性の基礎があり、人間的な知性や感性が進化発展してきた契機がある。
「未来に対する計画性」が人類の知能の本質であるだなんて、何をくだらないことをいっているのだろう。
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