拡散の果ての人々・ネアンデルタール人論・3


 ネアンデルタール人の文化は、人類共通の遺産です。われわれの思考や行動の基層がそこにある。
 でも、この国の研究者やジャーナリストのネアンデルタール論はそんなことは何も語ってくれない。彼らにとってはアフリカのホモ・サピエンスこそ人類の基層であり、ネアンデルタール人はわれわれとは別の人類だという立場だから、「ネアンデルタール人はなぜ滅んだのか?」と合唱し、ネアンデルタール人のだめなところをあげつらいながら、なんだか反面教師のように扱っているだけです。
 まったく失礼な話です。人間の文化とは何かということをちゃんと問うていないから、そういう愚にもつかない議論になってしまう。
 たとえば、人類のお産・子育ては、そのころネアンデルタール人がもっともも深く切実に体験していたのであり、そこで育ってきた文化を基礎にして氷河期明けの人口爆発が起きてきたのです。
 ネアンデルタール人のお産・子育てがなぜ切実だったかといえば、その体験にはたくさんの母親や乳幼児の死が堆積しているからです。
 彼らの妊娠期間は、現代人より一ヶ月くらい長かったともいわれています。つまり、早く生まれてきた子は、みんな寒さで死んでいった。できるだけ長く胎内にいて成長してからでないと、生きられなかった。けっきょく妊娠期間の長い体質を持った母親が産んだ子だけが生き残り、やがてどの女も妊娠期間が長い体質になっていった。
 しかし、一ヶ月も遅れて子を産むということは、母体に大きな負担をかける。母親の命が引き換えになることも珍しくなかったはずだし、生まれてくる子だって命がけだったのかもしれない。だから現在では、その前にさっさと帝王切開してしまう。
 お産のあとの心身の疲労だって大変だったろうし、子供もまたその後を生きのびる保証はない環境で、半分以上は成長する前に死んでいった。



 現在のこの国の人類学者は、ネアンデルタールの知能がどうのということばかりいって、氷河期の北ヨーロッパという極寒の地を生きる原始人の心模様はどのようなものであったのかという問いを持つだけの想像力がまるでない。これは、頭のよしあしの問題じゃない。心がけの問題です。最初からネアンデルタール人の文化は遅れていたと決め付けているから、深く問おうとするつもりなんかまるでない。われわれの心の基層は、アフリカのホモ・サピエンスのことを問えばすむと思っているし、その問い方だってとんちんかんなものばかりです。彼らがヨーロッパに移住してその地を席巻していったという前提で、知能が発達していたというようなことをいっているだけです。
 というわけで、本格的にネアンデルタール人の心模様を問おうとする試みなんか、世界中のどこにもない。
 まあ研究者は学問的な証拠集めが仕事だから、そこまで手がまわらないし、手をまわすだけの想像力もない。
 というわけで、ここでネアンデルタール人のお産のことを例に出したのは、それが深く死とかかわる行為だったからであり、彼らが死をどのようにとらえていたかということを考えるきっかけになると思ったからです。
 彼らの生はつねに死と背中合わせだったから、その行為に入ってゆくことを避けようとするつもりもなかった。彼らにとっては、氷河期の日々の寒さ自体が、明日も生きてあることを許さない掟だった。大人だって、ちょっと病気をして体力を消耗すれば、もう死ぬしかなかった。
 だからこそ、死にそうな弱いものを生かそうとする気持ちも切実で、生まれた赤ん坊を生きさせようとすることほど彼らを夢中にさせる行為もなかった。それはもう、集団全体の願いが託された行為だった。
 一時的に氷河期の寒さがゆるんだ4〜3万年前に北ヨーロッパネアンデルタール人から先にホモ・サピエンス化していったのも、そういうたくさんの乳幼児の死を支払った結果として、彼らのところがもっとも育児の文化が発達していたからでしょう。
 彼らの集団には、たくさんの死があった。
 アフリカのホモ・サピエンスは家族的小集団で移動生活をしていたが、ネアンデルタール人はその何倍もの規模の集団でしかも定住生活をしていた。もちろん、死亡率も北ヨーロッパのほうがはるかに高かった。それはつまり、彼らはそのぶんだけたくさんの他者の死を体験して暮らしていたということです。そうしてそのぶん、弱いものを生かそうとする気持ちもより切実で、人と人がときめき合う関係もたくさんセックスしてたくさん子を産んでゆく生態もずっとダイナミックだった。
 彼らは、生きのびようとがんばっていたのではない。「いつ死んでもいい」と思いながら暮らしていた。そうでないと、生きるいとなみが成り立たなかった。そして彼らのそういうメンタリティと生態が、その後の人類の歴史の基礎になっているのです。
 人間は根源において死者とともに生きている存在である、ということ、そこから人間的な文化が生まれ育ってきた。
 


 人類の歴史は、死を意識することとともにあった。
 二本の足で立ち上がった原初の人類は、同類の猿よりも寿命が短くなってしまったはずです。それは、身体にも心にも大きな負担がかかる姿勢なのだからとうぜんです。そうしてサバンナに接した森に生息していたのであれば、奥地のジャングルに棲む猿よりももっと死に遭遇するアクシデントも多かったことでしょう。
 それでも人類は、一年中発情している猿になって、仲間の死以上に繁殖していった。
 そうやって人類は、死者のことを思う存在になっていった。
 サバンナの民は移動生活をしながらやがて忘れてゆくこともできるが、ネアンデルタール人のように定住して洞窟の土の下に埋めればもう、いつも死者のことを思って暮らしてゆくことになる。
 人間が死を思う存在になったのは、死者のことを思うようになっていったからでしょうか。
 しかしここで、死についての思い方もひとつではないことに気づかされる。
 ひとつは、過去の死者を思うこと。
 そしてもうひとつは、自分の未来として、死んだらどうなるのだろうと思うこと。
 たぶん原始人は、自分の未来の死のことはあまり思わなかった。ひたすら、過去の死者のことを思った。
「死にたい」と思うことは自分の未来の死に対する関心で、一方「もう死んでもいい」と思うとき、死は「今ここ」の問題として意識されている。そして「今ここ」において死者のことを思っている。心が死者に寄り添っている。
「今ここ」とは、すでに生きてある「今ここ」です。死んだら意識がなくなるのだから、意識は「今ここ」しか思いようがない。意識とは「今ここ」に憑依するはたらきです。意識は、ひたすら「今ここ」を思っている。こういうことを、現象学では「意識の超越論的主観性」という。
 ともあれ、人間にとっての「今ここ」は、死者に対する追憶として存在しているのです。それはもう、人類史のはじめからずっとそうだった。死者とともに生きてきたのが人類の歴史です。
 かんたんに人が死んでしまい、たくさんの死者を見送ってきたのが人類の歴史です。そしてそれ以上の人が生まれて人口が増えてきたのも人類の歴史です。人類の歴史はたくさんの死者を見送ってきたからこそ、より豊かにときめき合って一年中発情している猿になり、人口が増えていったのです。
 人間の無意識には、死者を見送り死者のことを思うという歴史の体験が息づいている。その歴史の無意識が、人間の思考や行動の基層になっている。
 われわれは、死者のことを思うように、感動したり「なぜ・何?」とという探究心を抱いたりしている。
 歴史意識とは、死者のことを思う意識です。それは、具体的に死んだ誰のことを思うかという以前に、そういう「思い方」の問題であり、そういう思い方で人間は歴史を歩んできたということです。
 基本的に人間は、自分の未来の死など思わない。死は、「もう死んでもいい」という「今ここ」にある。そうやって意識は「今ここ」に憑依し、「今ここ」において死者のことを思っている。
 たくさんの死者を見送る歴史を歩んできた人類はもう、死は「今ここ」にある、と思うしかなかった。意識のはたらきにおける「今ここ」に対する憑依のダイナミズム、それが人類の知能や文化の進化発展をもたらした。まあ、平たくいえば、「心が華やいでゆく」という体験です。人間は、「もう死んでもいい」というかたちの心模様を持っている。そうやって無意識のところで死は「今ここ」にあると思い定めている存在だから、猿よりももっと心が華やいでゆく存在になっていった。そういう無意識の基礎が、ネアンデルタール人によってつくられたのです。
 ネアンデルタール人ほどたくさんの死者を見送って生きていた人びとはいなかった。その体験が、その後の人類史の基礎をつくったのです。



 まあ、たくさんの死者を見送ってきたから「今ここ」に憑依するようになったというより、たくさんの死者を見送ってくることによって「今ここ」に憑依するという意識のはたらきの自然が豊かになってきた、というべきでしょうか。
 心が華やぐとは、「今ここ」に憑依する、ということです。そうやって今どきの若い娘は、「かわいい!」といってときめいている。疲れた体を横たえて安らいでいることだって、「今ここ」に憑依して心が華やいでいる状態です。「萌える」とか「癒される」という華やぎ方もある。
 人類はたくさんの死者を見送ってきたが、同時に猿よりももっと豊かに心が華やいでゆく体験をして歴史を歩んできた。
 心が華やいでゆく体験が人を生かしている。そしてネアンデルタール人ほどそれを豊かに体験している人々もいなかった。 
 死者を見送るという体験が、人類の思考や行動の基礎になっている。
 つまり、人は「世界の終わり」から生きはじめるということ。死者は「世界の終わり」の象徴であり、生き残ったものたちは、そこから「もう死んでもいい」と思い定めながら心が華やいでゆく。これは、われわれの無意識の普遍的なはたらきであり、ネアンデルタール人はそのはたらきを極めた人たちだった。
 死者を思うこと、そのこと抜きに「人間」という概念なんか成り立たない。
 ネアンデルタール人がどれほど豊かに切実に日常的にそのことを思って暮らしていたか、彼らの心模様を問うことは、まずそこからはじめるほかない。
 アフリカのホモ・サピエンスとヨーロッパのネアンデルタール人のどちらの知能が発達していたかとか、そういう問題ではない。 
 現在の人類の文化は原初の人類が地球の隅々まで拡散していった歴史の上に成り立っているわけだが、ひとまずアフリカのホモ・サピエンスは拡散してゆかない歴史を歩んできたのであり、氷河期の北の果てのネアンデルタール人は拡散の歴史の総決算を生きた人々だった。
 人類拡散の歴史は、数万年前のアフリカのホモ・サピエンスがたちまち世界中に拡散していった、などという薄っぺらなものではない。直立二足歩行発生以来の700万年の長い長い時間の堆積がある。人類が死や死者をどのよう思うのかということだって、そういう歴史の厚みの上に成り立っている。
 何度でもいいます、4万年前にヨーロッパに移住していったアフリカ人などひとりもいない。そんな人類700万年の拡散の歴史をコケにするようなことをいっちゃいけない。それが真実ならそれでもいいが、そんなことは大嘘であり、人類学オタクのただの幼稚な空想・妄想に過ぎない。たとえイギリスのC・ストリンガーをはじめとする世界的な研究者たちが合唱しようと、それはもうただの幼稚な空想・妄想なのです。



 ネアンデルタール人が氷河期の北ヨーロッパにたどり着くまでには、人類700万年の拡散の歴史があった。
 拡散=漂泊……それが、人の心模様の基層になっている。
 人間は漂泊する猿である。
 旅というよりも漂泊。人類拡散は、げんみつには旅とはいえない。もとの集団の外側に新しい集団をつくってゆくことの繰り返しとして起きてきた現象です。しかしそのとき、集団からはぐれて集団の外をさまよっている者たちがいた。それは、旅とはいえないが、ひとつの漂泊だった。そしてそういう者たちが出会ってときめき合い、新しい集団をつくっていった。
 群れを追い出された猿はそれでもいつか必ず群れに戻るが、人類はもう戻らなかった。そうやって人類拡散が起きてきた。
 人の心は、集団からもこの生からもはぐれてしまっている。そういう心を携えて原初の人類は拡散していった。
 それは、二本の足で立ち上がること自体が、集団からもこの生からもはぐれてしまうことだったからでしょう。
 人類のこの生からはぐれてしまった心が、死を見出していった。
 猿やライオンには、死という概念などない。ただ、体が動かなくなって腐ってゆくという事実があるだけ、そのことに対する畏れや親しみの感情はない。
 しかし人間は、そのことに畏れや親しみを抱くようになっていった。なぜならそのとき人の心には、集団やこの生からはぐれてしまったもうひとつの心の世界があったからです。
 はぐれてしまった心の世界。集団やこの生という「日常」からはぐれてしまった「非日常」の心の世界がある。人は、その心で死者と向き合っている。その心を持っているから、猿にはない死者に対する畏れや親しみの感慨を抱く。
 猿の心は、集団からもこの生からもはぐれていない。しかし人は、誰もがどこかしらにはぐれてしまった心の世界を持っている。
 つまり「非日常」という心が華やいでゆく世界、そうやって死者を前にしながら畏れたり親しんだり悲しんだりしている。
 いずれにせよ人の心は、死や死者を前にしながら華やいでいる。この生からはぐれてゆくことは、心が華やいでゆくこと。だから「この世のものとは思えないほど美しい」という。この言い方の基層には、人類の伝統(=歴史の無意識)としての死者を思う心の華やぎがはたらいている。
 集団やこの生からはぐれてしまうことが心の華やぎだからこそ、人類はもとの集団に戻らないで拡散していった。
 猿の心は、はぐれないでもとの群れに戻ってゆく。いつももとの群れを思っている。それは、いつもこの生のことだけを思って、死や死者のことは思っていない、ということです。
 人間が死を思う存在になったということは、人間的ないろんな心模様や生態とつながっている。すべての人間的ないとなみの底には、死や死者を思うという歴史的な体験が息づいているのかもしれない。美味しいものを食べたりおしゃべりの楽しさを汲み上げることだって、それほどに人間は心が華やいでゆく体験をしてしまう存在だということでしょう。人類史の死や死者を思う体験が、そういう心模様や生態を育ててきた。つまり、心は「非日常=死」の世界に入り込んでしまうということ、そこで心が華やぐ。
 能の世阿弥は、このことを「秘すれば花なり」といった。
 人の心は、集団やこの生からはぐれていってしまう。この生からはぐれるということは、「自分」からもはぐれてしまうということです。そうやって心は、我を忘れてときめいてゆく。人類がたくさんの死や死者と遭遇して歴史を歩んできたことは、人類にそういう華やぐ心模様をもたらした。
 日常的に人が死んでゆく社会で暮らしていたネアンデルタール人は、そのぶん世界の誰よりも心が華やぐ体験をしていた。彼らは人類拡散の漂泊の果てに氷河期の北ヨーロッパにたどり着いた人々であり、漂泊の心でときめき合いながら集団をいとなんでいた。
 誰もが集団からはぐれた漂泊の心を持っていたからこそ、猿のレベルを超えた大きな集団を形成することができたのです。
 ヨーロッパ人の孤独、などという。そういうはぐれてしまった心を持っているからこそ、人と人はときめき合うのでしょう。
 ネアンデルタール人は集団で洞窟で寝起きしながら暮らしていた。家族という単位はなく、集団の全員が一緒に暮らす家族のような間柄だった。そういう親しい人の死を日常的に体験をして暮らしていれば、心はどうしたってこの生からはぐれてしまう。また、はぐれてしまった心を持っているから、そういう日常を生きることができた。
 まあ、人類が猿のレベルを超えた大きな集団をいとなむことができるようになっていったのも、人類拡散とともに漂泊の心が極まっていったからです。
 現代のような何億人という大きな国家集団の中にいることなんか、はぐれてしまう心を持っていなければ耐えられるものではない。チンパンジーなら200人でヒステリーを起こしてしまう。でも人間は、百万人の大集会だって開くことができる。
 人類拡散の歴史が、人間社会にどれほど豊かな色合いもたらしたかということ、いいこともあれば悪いこともあるのだろうが、ひとまずその根本は「漂泊の心」にあり、それは「死者を思う心」でもある。

 

 人の心は、いつの間にかこの生からはぐれてしまう。
 原初の人類は、この生からはぐれるようにして二本の足で立ち上がった。
 そこで、猿の世界と訣別したのであり、それはこの生からはぐれてしまうことだった。生きられない猿になり、そこから、人間として生きはじめた。
 心がはぐれてしまっているということは、「世界の終わり」から生きはじめているということであり、だから拡散してゆく人類は、もとの集団に戻らなかった。
 集団からはぐれてしまった原初の人類は、すでに戻る世界を失っているし、新しい未来の世界もない。はぐれてしまっているという「今ここ」があるだけです。しかしだからこそ、そこでのはぐれた者どうしの新しい出会いにときめき合ってゆき、それが新しい集団になっていった。
 漂泊には、未来も過去もない。漂泊している「今ここ」があるだけです。拡散してゆく人類は、そういう心で集団をつくっていった。
 ネアンデルタール人は、そういう「今ここ」の漂泊する心を共有しながら集団をつくっていた。
 とにかく氷河期の北ヨーロッパは、ろくな文明を持たない原始人が生きられる環境ではなかったのです。しかし人類はもともと猿として生きられない状況から歴史を歩みはじめた存在であり、生きられないことは逃げ出す理由にはならなかった。生きられないことは、彼らの生の与件=前提だった。
 彼らは、「死ぬ」ということから逃げようとしなかった。お産の危険はもちろんのこと、生まれた乳幼児が半分以上死んでゆくという状況も受け入れた。「死ぬ」ことは、彼らの生の与件=前提だった。
 おそらく、人類拡散の最初から、新しい土地は生きられない土地だったはずです。そうやって、より住みにくいところ住みにくいところへと拡散していった。
 住みよい土地でなければ住まないというのなら、人類拡散は起きなかった。
 人類にとって死は、この生の前提だった。「死=世界の終わり」から生きはじめるのが人類の流儀だった。
 ネアンデルタール人の男たちだって、集団で大型草食獣の狩をしながら、手足を骨折することなどしょっちゅうだったし、死ぬことも珍しくなかった。それでも彼らは、小型の草食獣など見向きもせず、ひたすらその危険な狩に熱中していった。まあ、寒さに耐えるために、脂が乗った大型草食獣の肉を体が欲した、ということもあるのでしょうか。
 彼らは、すでにこの生からはぐれてしまっていた。しかしそれでも、大勢で寄り集まってその厳しい環境の下で生き抜いていたということは、それほどの人と人が豊かにときめき合う関係があったのでしょう。彼らは、死を厭わないほどに誰もがこの生からはぐれ、家族をつくらないほどにひとりひとりが孤立していたにもかかわらず、豊かにときめき合いながらそのころの地球上でもっとも大きな集団を形成していた。
 人類の大きな集団はむしろ、そのようにして成り立っているのであり、現在の国家という大集団だって、ネアンデルタール人のそうした生態が基礎になっている。
 猿の集団に、見ず知らずの相手なんかいないでしょう。
 しかし人間の大きな集団は、見ず知らずの人間ばかりです。人類は、見ず知らずの相手とときめき合ってゆくことによって、猿のレベルの集団性を超えていった。つまり知らない旅人が訪ねてくれば、誰もがときめいて歓迎した。彼らの集団は、そうやって無際限にふくらんでゆく契機と、いつも誰かがはぐれて出て行ってしまうという両方の契機を持っていた。この生態は、家族的小集団が原則だったアフリカのサバンナ地域にはないものであり、人類拡散とともに育ってゆき、ネアンデルタール人の社会で花開いていった生態だった。
 ネアンデルタール人は、そのころの地球上で、もっとも豊かに人と人がときめき合う生態を持っていた。
 誰もがこの生からはぐれ、「今ここ」だけを生きていた。それは、「漂泊の心」のはずです。見ず知らずの相手にもときめいてゆく漂泊の心を持っていなければ、人間の大きな集団は成り立たない。そういうことの基礎を、ネアンデルタール人がつくった。



 福島の原発事故以来、一部の原発反対論者のあいだでは、「われわれは人類史上初めて<世界の終わり>に遭遇している」とか、「あの事故はわれわれに根源的生物学的な恐怖を呼び覚ました」などといわれています。
 何いってるんだか。
 生き物の根源に「恐怖」などというものはないのです。「死の恐怖」などさらにないのです。生き物は「死」など意識していないのです。彼らが原発事故によって体験した「恐怖」は、あくまで文明人の肥大化した自意識にすぎない。何が「根源的生物学的」なものか。
 そして「世界の終わり」の想念は人間であることの属性であり、人間は「世界の終わり」を引き受けてそこから生きはじめる存在です。人間は直立二足歩行の開始以来、「世界の終わり」と遭遇しながら歴史を歩んできたのです。「世界の終わり」を引き受けることこそ人間性の基礎であり、そこから人間的な文化が生まれ育ってきた。
「世界の終わりがあってはならない」というとんちんかんな叫びこそ人類史上はじめて起こってきたことであり、それほどに近代人の自意識や死の恐怖は肥大化してしまっている、ということです。
 しかしわれわれ近代人だって、無意識のところでは「世界の終わり」を引き受けて生きている。それが、人間であることの属性なのだもの。そこから心が華やいで、おしゃれをしたり、美味しいものを食べたり、楽しく語り合ったりしている。
 人類史上、ネアンデルタール人ほど深く切実に「世界の終わり」を引き受けて生きていた人々もいない。そして彼らほど豊かに心が華やいでゆく体験をしていた人々もいない。
 人の心は「世界の終わり」を引き受けて華やいでゆく。そういうことをネアンデルタール人が教えてくれる。
 人の心は、世界からも生きてあることからも自分からもはぐれていってしまう。そうやって「今ここ」に憑依しながら、我を忘れて何かに熱中してゆく。これが人間の基本的な生態であり、この生態の基礎をネアンデルタール人がつくった。この生態によってその後の人類の文化や知能が爆発的に進化していった。
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