無常の華やぎ・かなしみとときめきの文化人類学22


日本列島の中世を語るキーワードは、なんといっても「無常」という言葉でしょうか。
方丈記鴨長明は、「無常とは常ではないこと、すべてのものは変化してゆく、行く川の流れはたえずして、しかももとの水にあらず」といった。
一方平家物語では「すべてのものは滅びる、ただ風の前の花に同じ」といっている。
「すべてのものは変化してゆく」といえばなんだか科学的だが、その現象自体はとりたてて詠嘆するほどのことではない。このへんが鴨長明の脇の甘さで、「すべてのものは滅びる」といったほうがその詠嘆がより深くなっている。
中世という時代の固有性は、いつの時代よりも深く「世界の終わり」が実感されていったことにあるのであって、「すべてのものはうつろう」ということは、どの時代にも共通する日本人の普通の自然観です。
中世の人々にとっては、「今ここ」が、すでに「世界の終わり」だった。「うつろう」の伝統的な感性がそこまで行ってしまったのが中世だった。
だから鴨長明のように隠遁して生きようとする人間がたくさんいたし、僧侶や旅芸人や乞食などの村を捨てて旅に出るものはあとを絶たず、一遍が率いる踊念仏の集団もまた「世界の終わり」を自覚することの上に成り立っていた。彼らは、「この世に自分が存在できる場所はどこにもない」という自覚とともに漂泊していた。まあ人間はもともと無意識のところにそういう感慨を抱えている存在であり、そういう人間の根源というか自然が露出してきた時代だった。
人類拡散はひとつの漂泊であり、その結果として定住という現象が起きてきたということは、漂泊の感慨で定住していったということです。
「無常」は、人間の自然な感慨なのです。
日本人の無常観にしても、最初は自然の移ろいのことなどがいわれていたのだが、時代が進むにつれて、しだいに生死のことが語られるようになってきた。生きてあるなどつかの間のことだし、「この末法の世に真実などない」というのが当たり前の感覚になり、「閑吟集」では「一期は夢よ、ただ狂へ」というような表現がなされた。
それは、ただのやけくそというのではなく、中世社会の人々はすでに「世界の終わり」を見ていた。人がかんたんに死んでゆく状況だったし、誰もが自分の死を意識していた。死ぬことを忘れた生などあるはずもなく、死ぬことを前提に生き、生きることは死んでゆくことだという思いになっていた。そしてそれは異様なことでもなんでもなく、人類が普遍的に共有している世界観・生命観だった。そういう普遍が突出してきたというところに、中世の健康があった。
世界の終わりから生きはじめ、心が華やいでゆくということは、人類が二本の足で立ち上がったときからずっと繰り返してきた歴史でもあった。それが人間の普遍的な思考や行動のかたちだった。
中世は、暗く悲惨な時代だったのではない。人びとの心は華やいでいた。たとえ悲嘆に暮れる毎日であっても、その悲嘆そのものが華やぎだった。世界の終わりを見てしまえば、心は華やいでゆく。
無常感とは、世界の終わりの場に立つ、ということ。
中世の知識人は、無常について語るとき、例外なく誰もがとたんに雄弁になり詠嘆調になった。そうやって、しらずしらず心が華やいでいってしまう。嘆きつつ華やいでいる。これはもう、このころの日本人全体の傾向であったはずです。
中世は、経済や文化が大きく花開いていった時代でもあります。米の生産高は飛躍的に伸び、現在の衣食住の和風文化の基礎のほとんどはこの時代につくられた。
「世界の終わり」から生きはじめるという思考や行動は、けっしてネガティブな生態ではない。人の心は、そこから華やいでゆく。
武士がいい気になって戦争ばかりしていられたのも、余剰の生産物が豊かになっていったからです。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士のほとんどは、半分はまだ農民の身分でもあったが、室町時代になってくると戦争に専念できるようになっていった。まあ武士だけでなく、漂泊民や職人をはじめとする多くの非生産者(非農民)が生まれてきた。
農民自身だって、その生産活動に華やぎを持たせようとさまざまな祭りをするようになって日本中に鎮守の森がつくられ、そこから田楽や猿楽という芸能が育っていった。それは、未来に向かう建設的なムーブメントだったのではない。「無常」の感慨とともにあくまで「今ここ」を生きようとすることから生まれてくるダイナミズムだった。未来などないと思い定めて「今ここ」を生きようとした。したがって彼らにとって死んでゆくこともまた「今ここ」に溶けて消えてゆくことだとイメージされていた。それが彼らの「無常」だった。



日本列島の無常感には、「あの世」がないのです。ひとまず大陸文化の影響として極楽浄土や生まれ変わりの概念は持たされていたが、伝統的な精神風土としての歴史の無意識においては、ひたすら「今ここ」に憑依してゆくことが生きる作法だった。それが無常感です。ただ嘆いていたのではない。そこから心が華やいでゆくのが無常感です。
浄土宗であれ日蓮宗であれ禅宗であれ、中世になって新しく興ってきた日本的な仏教は、しだいに「あの世(極楽浄土)での救済」というコンセプトが希薄になってゆき、「今ここ」の心の華やぎに向かうかたちになっていった。
もともと日本列島には「あの世」という概念の歴史風土がなく、大陸文化ととともにそれを知らされてから、中世においてはまだ数百年しか経っていなかった。縄文以来1万年の歴史の、たった数百年です。だから、日本人としての歴史の無意識は、けっきょく「あの世での救済」ということを信じきれなかった。
もう、どんどん現世的になっていった。しかし、現世すなわち生きてあることはすばらしいというのではない。ひとまず現世は「世界の終わり」だと思い定め、そこから心が華やいでゆく信仰のかたちが模索されていった。そしてそれは、じつは人間の自然というか人類の歴史の普遍に遡行してゆく試みでもあった。
つまりそういう「ルネサンス」の時代だった。
たとえば能は、基本的に、亡霊がこの世のどこかにさまよっていて旅の僧侶がそれを呼び出す、という話です。さまよっているのは、悪人だけに限らない、美人も善人も高貴な人間も、みんな亡霊になっている。「あの世」を信じきれない民族だから、そういう話を生み出してしまう。
まあ人間は死を意識している存在だから、とうぜんあの世とか死後の世界という「他界」をイメージしてしまう。
しかし日本人にとっての「他界」は、極楽浄土や地獄といった「あの世」にではなく、「今ここ」にあり、「今ここ」の世界の裂け目の向こうがわにある。日本人は、日常そのものの中に、そういう異次元の非日常の世界を見ている。だからかんたんにこの世の裂け目の向こうがわからやってくる幽霊=亡霊を見てしまう。
また、古代人は「死んだら何もない黄泉の国に行く」といった。それは、死んだあとの世界などない、といっているのと同じです。仏教が入ってきてひとまず死後の世界をイメージしないといけない状況になったが、真っ暗闇の何もない世界しか思い浮かばなかった。なぜなら日本人にとっての「他界」は、「今ここ」の裂け目の向こうがわにあるからです。それが、縄文以来の日本列島の他界観の伝統です。この他界観と大陸伝来の極楽浄土や生まれ変わりの概念とどうすり合わせてゆくかということに、もう四苦八苦して歴史を歩んできた。
日本人は、よその国のものだから違うとか、自分たちだけが正しいとか、自分たちだけのやり方だけでやってゆくとかと思い切ってしまうことができない。つねに「かねあい」ということを考えてしまう。
能の亡霊の話は、大陸伝来の他界観と日本列島固有の他界観との「かねあい」から生まれてきた話です。日本列島固有の他界観なら死んだら「今ここ」の裂け目の向こうに消えてゆくだけだが、仏教の教えのようにその向こうにまだ生きる世界があるというのなら、亡霊になってさまよっているだけだろう、と思った。ここまで大陸伝来の仏教が根付いてしまったら、もう「かねあい」で歴史を歩んでゆくしかなかった。
そういう「かねあい」を模索しながら、中世の新しい仏教が生まれてきた。それはもう、極楽浄土を信じつつ信じてはいなかった。宗教でありながら、宗教ではなかった。



日本人にとっての「他界」は、けっして「死後の世界」というようなものではない。「今ここ」の裂け目の向こうの「異次元=非日常」の世界としてイメージされている。生きている「今ここ」でその世界に入って心が華やいでゆき、死ぬときはそこに向かって消えてゆく。
だから、幽霊を見てしまう。
とにかくこれは、日本人の死生観のけっして小さくはない問題のはずです。
日本人は、まるごと仏教の死生観に浸りきって歴史を歩んできたわけではない。
たとえば、盆正月や春秋の彼岸など、なぜ年に何回も先祖をお迎えする行事をしたがるのか。それは、死んだら極楽浄土に行くとか何かに生まれ変わるというようなことを信じていないからでしょう。
もしも霊魂などというものがあるというのなら、それはきっとこの世界の裂け目の向こうがわでさまよっているのだろうと思う。そうやって能の亡霊の話が生まれてきた。
日本人の心の世界における死者は、けっして「あの世」には行かない。
日本人にとっての「他界」は「今ここ」にある。それはつまり、日本人にとっての「この世」が「終わりの世界」であり、だから「憂き世」とも嘆くのだが、嘆きつつ心は「今ここ」の裂け目の向こうがわの「他界」に入っていって華やいでゆく。
いや、日本人だけでなく、世界中の人間が「別世界に迷い込んだような」怖さや楽しさや「この世のものとは思えないような」気味悪さや美しさを感じる体験をしている。
あの山の中や池の底には怖い魔物が棲んでいるとか美しい女神がいるとか、そういう話は世界中にある。それは「今ここ」の裂け目の向こうがわを見ようとする視線であり、人間はすでに生きてある「今ここ」に「世界の終わり」を見ている、ということです。
「今ここ」の裂け目の向こうがわに入ってゆかないとこの生ははじまらないし、そこでこそ心は華やいでゆく。
人間にとって「きらきら光るもの」は、心を「今ここ」の裂け目の向こうがわにいざなってくれる。池の底に魔物や女神がいるとか、海の底に海坊主がいるとか竜宮城があるという話も、水面のきらめきにいざなわれて生まれてきたイメージなのでしょう。
山の中だって、木漏れ日のきらめきに満ちている世界です。山の中に入ってゆくと、木漏れ日のきらめきが心を「非日常の世界=他界」にいざなってくれる。そこは、水の中のような身体に大きな負担のかかる空間ではないから、なお親しみ深く、よりたくさんの話が生まれてくる世界になっている。
せんじつめていえば、そこは「死者と出会う空間」である、ということです。魔物も女神も「死者」なのです。
人類の普遍的な無意識は、死や死者を「今ここ」の裂け目の向こうがわに見ている。そして日本人にとってのご先祖様は、そういう空間の存在として意識されている。
日本人にとって死や死者のことを思うことは、生きてある「今ここ」を思うことでもある。その「今ここ」とは、「今ここ」の裂け目の向こうがわの「非日常の世界=他界」のこと、心はそこで華やいでゆく。南無阿弥陀仏踊念仏も世界中の祭りも、つまりはそこから生まれてきている。
人間の無意識は、宗教であって宗教ではない世界を見ている。「今ここ」の裂け目の向こうがわの「非日常の世界=他界」、そこから宗教が生まれてきたし、その視線があるから日本人は宗教に浸りきれない。その視線の中に、日本的な無常感がある。



「今ここ」に憑依している心は、とうぜん「世界の終わり」に立っている。そこでこそ、もっともダイナミックに「今ここ」に対する憑依が起きる。
人の心の自然は「未来」を思うことにあるのか、それとも「今ここ」を思うことにあるのか……という問題があります。
現代社会では、当たり前のように未来を思うことだと合意されている。そういう観念によって現代社会が動いている。しかし意識のはたらきの根源というか、人間の無意識においては必ずしもそのようになっていないのではないか。
たとえば、夜空の何万光年も先の星の光を見て、われわれの意識はそれを遠い過去の光だと思うことができるでしょうか。できない。あくまでも「今ここ」の光だと思って眺めている。われわれの意識は、そのようなとらえ方しかできない。
確かにわれわれの観念は「時間」をイメージできる。「永遠」という時間や空間すらも感じてしまう。しかしそれは、無意識のはたらきとはべつのものです。デートをする恋人たちが別れたくなくなってしまうのは、意識が「今ここ」に憑依してしまって、「今ここ」しかないような気分に浸されているからでしょう。われわれの心は、そういう時間や空間を失った「今ここ」に憑依してゆくはたらきも持っている。むしろ、そこにおいて心は熱く華やいでいる。
これは、やっかいな問題です。単純に時間の観念の上に人の心が成り立っているともいえない。
われわれがものを見るとき、まず目と脳のはたらきで画像としてとらえる。で、そのあとに意識が発生し、最初にその画像の色を認識し、次に形を認識し、そのあとにやっと、たとえばりんごであると認識する。この間に一瞬の時間差がある。われわれが見ているものはすべて過去の画像です。
ではそれを、過去の画像であると認識するでしょうか。そうじゃない。もう無条件に「今ここ」の画像だと認識している。だって意識の発生以前には意識はないのだから、「過去」の画像だとなんか思いようがない。
「今ここ」に憑依するのが、意識の根本のはたらきです。無意識のところではもう、どうしようもなく世界をそのようにとらえてしまう。そこかから「無常」という感慨が生まれてくる。無常感は、人間の意識のはたらきの根本とかかわっている。
原始人だって、ひとまず世界中が無常感で生きていたはずです。日本列島の伝統風土は、その原始性を引き継いだものにほかならない。
われわれは、観念的には過去も未来もあることを知っている。しかし無意識的にはというか主観的には、過去も未来も知らない。だから、目の前の世界は「終わりの世界」だと感じてしまう。「終わりの世界」だと感じることによって、意識はよりいきいきとはたらく。
廃墟であろうとなかろうと、たとえ超モダンな新しい都会の景色だろうと、われわれの目の前に広がっているのは、「終わりの世界」なのです。無意識的というか主観的には、そのように世界をとらえてしまっている。それが、日本列島の伝統としての無常感です。
都会の超モダンな高層ビルの景色にだって、どこかしら「廃墟」の気配がまとわりついている。
芭蕉の句です。
■やがて死ぬけしきは見えず蝉の声
これを、「命のはかなさ」とか「けなげな命のはたらき」とかを詠っていると解釈するべきではない。
この「けしきは見えず」は味わい深い表現です。
蝉はべつに、自分の命があと数日だと知っているわけじゃない。ただ「今ここ」があるだけ。その厳粛な事実に芭蕉は驚いているというか、深く感じ入っている。
蝉の一週間の命だろうと人間の70年の命だろうと、生まれて死んでゆくということにおいてなんの変わりもない。一週間だからといって、はかないわけでもけなげなのでもない。いずれにせよ生き物には「今ここ」しかないし、「今ここ」をすべてとして生きているだけである。そういう極めつけの無常がここで詠われている。
「やがて死ぬ」ことを知っている人間よりも、知らない蝉のほうがえらい、ということでしょうか。蝉から「無常」を教えられる。われわれは、蝉が蝉であるというその純粋で厳粛な事実とちゃんと向き合うことができているだろうか。「はかなさ」とか「けなげ」などと擬人化してしまうのは、けっきょく人間のナルシズムにすぎない。
まあこれは、戦争を知らない人間が「戦争は悲惨だ」といって正義ぶっているのと同じなのでしょう。死んでしまった人はもう還らない。戦争だって、歴史の中の固有で厳粛な事実であるには違いないわけで、すべての出来事は固有に自得している。柳は緑、花は紅、松は松、竹は竹、山は山、川は川、それらを「自分=ナルシズム」という物差しで測ることはできない。蝉は蝉であるという固有の厳粛な事実に率直に驚いてゆくということを、自我意識が肥大化したわれわれ現代人はなかなかできない。それは、無常ということがよくわかっていないということでしょう。「今ここ」しかないということ、そういう「終わりの世界に立つ」ということができなくなってしまっている。
現代社会の閉塞感、などという。それは、未来の見通しが明るいものでなければならないという一種の強迫観念であり、未来も過去もない「今ここ」がすべてだと思えば閉塞感など感じようもない。終わりの世界に立つこと、心はそこから華やいでくる。芭蕉が俳句を詠むことだって、そこから心が華やいできた結果なのでしょう。そうやって文化というものが生まれてくる。
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