穢れについて・かなしみとときめきの文化人類学17


言葉は、時代を経るにつれてひとつの意味に固定されてゆく。なぜなら、そうしないと「伝達」の用を成さないからです。
古代以前は現在よりも語彙は少なかったが、ひとつの言葉がたくさんのニュアンスを持っていた。それは、現在ほど意味の伝達の機能にこだわっていなかったからです。それぞれが勝手な感慨の表出として言葉を発し、なんとなくニュアンスが伝わればそれでよかった。人と人の関係にそういうおおらかさがあった。言い換えれば、固定された意味よりも、語感としての「なんとなくのニュアンス」が大事にされていた。
「もの」という言葉は、現在でも例外的にたくさんのニュアンスで使われているが、昔はもっと多様な扱われ方をしていたはずです。
民俗学では、この「もの」という言葉の語源を、共同体の秩序の外の穢れた存在としての異人や妖怪変化を指すものだったという解釈がよくされます。聖なる存在に対する穢れた存在としての「もの」。
穢れとは、体にまとわりついているもの。
大昔の日本人は、「まとわりつく」というニュアンスで「もの」といった。人間はとにもかくにも「まとわりつく」という現象に対して過敏な存在であり、そういうニュアンスでいろんな使われ方をしていたはずです。
人間は生きてあることの「嘆き」にまとわりつかれている存在であり、何はともあれ心がひとつのところで停滞しているのは鬱陶しいことです。心は、川の流れのようにスムーズに動いてゆくものであってほしい。その動きに身をまかせているときこそ、「嘆き」にまとわりつかれている状態からの解放です。おそらくそういうところから「もの」という言葉が生まれてきたのだろうが、逆にいえば、まとわりついてゆくことも人の心の特性であり、何かに夢中になっている状態のことも「もの」という。「だって私、好きなんだもの」というときの「もの」は、そういうニュアンスでしょう。探究心が旺盛なのも人間の特性でしょう。そうやって心はときめいている。



「正しいもの」とか「清らかのもの」という。「もの」は、必ずしもまとわりついてくる「穢れたもの」のかぎらない。この場合の「もの」は、「もの」という言葉自体が「正しい」や「清らか」にまとわりついてゆくニュアンスで、「まさに正しい」「まさに清らか」という感慨がこめられている。そしてそれは、べつに物体でも人間でもたんなる心や概念でもいい。それほどに「もの」という言葉は、最初から融通無碍な使われ方をしていたのであり、固定された対象をあらわす言葉ではなかった。
まあ妖怪変化は、まさに人の心にまとわりついてくるものだから「もの」と呼ばれたのであり、「穢れ」だって「まとわりついている=もの」です。そうやってときに異人や妖怪変化をあらわす言葉として使われていたとしても、それだけをあらわす言葉だったのではない。


歴史家はどうして「原始人はアニミズム(呪術)に支配されて生きていた」と決め付けるのだろう。古代や原始時代の「おおらかさ」とは、無邪気にアニミズム(呪術)を信じてゆくことだったのか。そうじゃない、そんなややこしいものとは無縁に、人間の本性=自然に沿って生きていたことにある。
呪術に支配されることがが人間の本性=自然であるのではない。
日本列島の古代以前の人々が「もの」という言葉を生み出したのは、彼らの生きてあることに対する実存意識だったのであって、迷信によるのではない。
「純粋でおおらかなアニミズム」などというものはない。アニミズムは、生きのびようとする世知辛い欲望から生まれてくる。その欲望で死後の世界や生まれ変わりをイメージしてゆく。それは、文明人の観念です。
アニミズム(呪術)など知らないのが原始人のおおらかさです。彼らは、神も霊魂も死後の世界も知らなかった。そんな概念を持とうとする欲望とは無縁だった。文明人はそんな概念によって死ぬことの怖さを紛らわせていったが、原始人はもっと直截的に死と和解していた。
ここでいう「かなし」の感慨とは、原始的で直截的な死と和解してゆく心の動きのことであり、それがじつは日本文化の基層・深層だということです。
『異人論序説』を書いた赤坂憲雄は、こういっています。
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■原初的な法観念のもとでの秩序にたいする違背ないし逸脱行為を罪=穢れという。
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彼によれば、この「罪=穢れ」が語源としての「もの」である、ということらしい。
しかし人類の伝統としての「原初的な法観念」などというものはないのです。そうした「共同体」などというものがなかったのが原始時代であり、そこから「もの」という言葉が生まれてきた。
日本列島の伝統としての「穢れ」の意識は、「法観念のもとでの秩序にたいする違背ないし逸脱行為」のことをいったのではない。生きてあること自体が鬱陶しさにまとわりつかれている状態であるという、その生き物としての純粋で直截的な実存感覚で「もの」といった。そしてその鬱陶しさをそそいでゆくカタルシス(浄化作用)を「みそぎ」といい、その体験に際して起こる感慨を「かなし」といった。
つまり「穢れ」の自覚から「もの」といったのであって、穢れは自分の外にあるという意識で「もの」といったのではない。「もの」の原義は「まとわりつく」ということにあるのだから、差別意識のような「外部のものを突き放す」という反対のニュアンスで使われるはずがない。
そういう差別意識から「もの」という言葉が生まれてきたのではない。そういう差別意識が時代を経るにしたがってつくられてきたとしても、原始人がそういう差別意識を無邪気であからさまに持っていたと解釈するなんて不用意すぎます。
ひとまずこれが現在の民俗学者における「もの」という言葉の平均的な解釈らしいが、彼らは「原初的な穢れの意識」に対する解釈そのものが変なのです。穢れはあくまで自分に「まとわりついてくるもの」であって、「突き放す」ための差別用語ではなかった。
「原初的な法観念」などというものはない。そうやって「他者を裁く」ということを原始人は知らなかったのであり、そこに、「原初的なおおらかさ」があった。
人間は「穢れ」を自覚する存在であり、それが人間としての実存感覚です。そしてそこから「まとわりつく=もの」という言葉が生まれてきた。
べつに清浄なものに対してだって「もの」という言葉は使うのです。日本人はもっと融通無碍に「もの」ということばを使ってきたのであり、それはつまり、それほどに誰もが深く切実に「穢れ=もの」を「自覚」していたということです。
「もの」は、「まとわりつく」というニュアンスの言葉だった。
穢れを自覚している存在だからこそ、心が華やいでゆくという体験をする。



まあ文明人は、生きているこの世界と死後の世界という二つの世界に対する迷信を持ったから、「共同体の秩序=清浄」対「異人の世界の混沌=穢れ」という図式が生まれてきたのでしょうか。いや、どちらが先かということはよくわからない。後者のほうが先かもしれない。ともあれ日本列島では異民族との軋轢のない歴史を歩んできたから、そういう二つの世界の対立という図式が基本的にはない。ないから、基本的には、善悪とかこの世とあの世とか自分たちは清らかで異人は穢れた存在だというような二項対立的な思考はしない。
人類は、共同体の秩序を持ち、死後の世界という概念を持ったから、妙な差別をするようになってきた。
差別はよくないなどといっても、文明人による神とか霊魂とか死後の世界を信じるその意識がすなわち差別意識なのです。原始人はそういう対立概念を持っていなかったし、日本人もまた、そういう対立概念のない原始的な意識を基層・深層に持ちながら歴史を歩んできたのです。
古代以前の村人は、旅の異人を、ただもう無邪気に歓待していた。それは、神や霊魂や死後の世界というアニミズムなど知らない心です。べつに、民俗学者がいうように旅の異人を「聖なる存在」と見ていたわけではないし、「穢れた存在であるがゆえに聖なる存在でもある」というような観念構造を持っていたのでもない。
古代以前の日本人には、「聖」と「穢れ」というような対立概念はなかった。そいうアニミズムは知らなかったのです。そしてそれが日本列島の伝統的な文化風土の基層・深層になっているのです。
ただもう「きらきら輝きながら消えてゆく」ということに対する愛着を「かなし」の感慨として持っていただけです。
べつに、旅の僧や旅芸人や旅の乞食という異人を「聖なる存在」として歓待したのではない。見知らぬ人であるというそのことにただもう我を忘れて無邪気にときめき、心が華やいでいっただけです。その自分という存在が消えてゆく体験の中で心の華やぎを汲み上げてゆくのが日本文化の伝統です。
アニミズムが古代以前の人々を生かしていたのではない。彼らの心の華やぎは、「生き延びる」ことを得ることによってではなく、「死と親密になってゆく」ことによってもたらされたのです。つまり、まとわりついているこの生が引きはされてゆく体験において人の心は華やいでゆく、ということです。
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