山人とまれびと・ネアンデルタール人と日本人87


日本文化論を考えようとするなら、どうしても折口信夫柳田國男を意識してしまう。
柳田國男は、『遠野物語』で「山に入ってゆく」ということを考察した。その思考の方向性はうなずけるが、彼がいうように、日本人の歴史が神や霊魂という概念とのかかわりとしてはじまっていると決めつけるべきではない。
日本人の「山に入ってゆく」というメンタリティや生態の歴史は、縄文時代からはじまっている。そしてそのときには、神や霊魂という概念など知らなかったのだ。知らないから入ってゆくことができた。
それに対して『遠野物語』は、山の中に入ってゆくことはできない、という話でもある。仏教伝来とともに神や霊魂という概念を持ってしまった日本人はもう、山に惹かれつつ山の中の「他界性=非日常性」を怖がるようにもなっていった。おそらく江戸時代あたりから現在まで語り継がれてきたのであろう『遠野物語』は、そういう新しい話なのだ。それだけでは、日本文化の普遍的なかたちには推参できない。



また、折口信夫の「日本列島の歴史は海の向こうに神の住む国があるという認識からはじまっている」という「まれびと論」は、さらにいいかげんである。
日本列島の歴史は、「海の向こうには何もない」という感慨からはじまっている。それはもう、原始人ならみなそう思うに決まっているのだ。人類の歴史は、自分たちが見渡すことのできるまわりの景色をこの世界のすべてだと認識してゆくところからはじまっている。
まあ、それでも地球の隅々まで拡散していったところに人類拡散のパラドキシカルな性格があるわけで、つねに「ここが行き止まりだ」と認識しながら拡散していったのだ。
べつに「まれびと=神」の国を目指して拡散していったのではない。拡散すればするほど住みにくくなっていったのであり、それでも拡散していった。そこのところを考えないといけない。
神や霊魂などというものを知らない人々が、「ここが行き止まりの地だ」と思い定めながら、氷河期明けで平地が湿地化してゆく状況に追われて山の中に入っていった。
日本列島において「その先」は山の中にあった、ともいえる。「海の向こう」ではない。
べつに、「神の国がある」と思って入っていったのではない。平地での日常の暮らしに追われて入っていっただけである。
氷河の氷が溶けて平地がどんどん湿地化してくれば、人間の住める場所は限られ、狭い場所にひしめきあってくるようになる。そうしてそんな環境ではどこにも行けないから、人と人の関係も停滞してくる。そういう状況に倦んで山の中に入っていったのだ。
もう山の中しかゆくところはなかったし、山の中なら、男たちはどこまでも歩いてゆくことができた。そうして山の中の「非日常性」は、人と人の出会いのときめきをもたらした。
彼らにとって山の中は、ひとつの「祭り=市」の場だった。どこからともなく人が集まってきて賑わうという場所があちこちに生まれてゆき、そこに山歩きができない女たちの集落がつくられていった。これが縄文時代のはじまりであり、ここから日本列島の「山に入ってゆく」というコンセプトの「非日常性」の文化の伝統が生まれてきた。



折口信夫のいう「海の向こうの神の国」などというイメージは仏教伝来以降のものであり、それ自体が大陸からの借りものの意識にすぎない。それが日本文化の基礎になっているのではない。
まれびと=海の向こうからやってくる神、などという物語が日本列島の歴史のはじまりになっていることはありえない。
いずれにせよ日本列島の歴史は、「神を拝む」というかたちではじまったのではない。そんな行為は、仏教伝来まで知らなかった。
われわれは、神道においても「参拝する」などという漢語を使う。もともと日本列島にそんな習俗はなかったから、そういわないと正確ではないような気がするのだ。
「参拝」をあらわすやまとことばがないらしい。
もともと神道において、「神を拝む」という行為はない。神社は「神をお迎えする」場所なのだ。「拝む」といっても、そこに神はいない。
日本人は、神と向き合っているという感触をよく知らないし、そういう言葉もなかった。そういうことはどうも大陸式にいわないとしっくりこないらしい。神と向き合っているのではなく、神をお迎えしているだけなのだ。
「お客さまをお迎えする」という。日本人はこのことを大切にする。お迎えしているだけで、仲間になっているという意識はない。客はあくまで客であって、その家の一員ではない。つまり、一緒にいることの満足ではなく、「出会いのときめき」で迎え接待している。
おそらく縄文時代に男たちが女だけの小集落を訪ねていったときも、仲間になっていったのではなく、終始客として扱われ、客として振舞っていたのだろう。
仏教伝来以後に神という概念を持たされても、神に何かをお願いしたり、神に何かをしてもらうというような意識はなかった。日本列島においては、人と人のあいだにある「断絶」があり、その断絶を飛び越えてときめき合ってゆくような関係になっている。
まあ「絆」ということがよくわからない民族なのだ。
だから、「神が人間をつくった」というような神と人間の絆など、よくわからない。
もともと神や霊魂を発想するような世界観や生命観の民族ではなかった。
神が人間をつくったということも、人間の身体の中に霊魂が宿っているということも、よくわからない。それはまあ、日常と非日常の断絶を意識しているからだろうか。
日常の中に非日常がある、といっても、日常から断絶した世界だから非日常というのだろう。
もともと平地で暮らしていた日本列島の住民が縄文時代になって山の中に入っていったとき、何か平地とは決定的に断絶した世界であることを感じたのだろうか。そのときたちまち入眠幻覚の体験に襲われた。まあそれは夢の中の世界に入ってゆくのと同じことだからそれで気が狂うということもないが、「ここは別世界だ」という意識にはなっただろう。
山の中は、たしかに日常とは断絶した別世界なのだ。これはもう、人類に普遍の体験である。山の中の入眠幻覚の体験から生まれてきた不思議な物語は、世界中の民族が持っている。



日本人は、「山の中に入ってゆく」という体験の歴史を1万年も続けてきた。だから日常と非日常の断絶に対する意識がことさらクリアで、その延長で人と人の関係もつくった。
人間のその「断絶」という意識を消去して、「神と人間」や「身体と霊魂」や「共同体(国家)と国民」との接着した「絆」を組織してゆくのが「制度性」である。
だから、共同体においては、「非日常」は「タブー=禁制」になる。
そうして、『遠野物語』のように、山の中は恐ろしいところだから入ってゆくべきではない、という話も生まれてくる。しかしまあ『遠野物語』の場合は山の中に入って行きたがる人の気持ちもけっして否定しているわけではなく、そのあたりのなやましさやくるおしさがこの物語の魅力になっている。
もともと日本列島の文化は「山の中に入ってゆく」ことの「非日常性=断絶」の体験を基礎にしているのだから、上代の人々が「神と人間」や「身体と霊魂」の密着した「絆」など発想するはずがないし、いまだにうまく発想できないのが日本人なのだ。
神が人間をつくった、などということはよくわからない。神は遠いところからやってくる「お客さん」であって、人間とは断絶した関係の存在なのだ。
しかし日本人は、この断絶した関係を飛び越えてときめいてゆく。ときめくことは、「非日常」の気分なのだ。



とにかく、日本列島の歴史は、海の向こうは何もない、と思い定めたところからはじまっている。折口信夫が「海の向こうに神の国がある」と発想するのは、この生の延長に天国や極楽浄土があると思うのと一緒で、そういう世界観や生命観は仏教伝来とともにもたらされたものにすぎない。また、折口自身がそう思いたがるナルシズムを持っているのだろう。
仏教伝来以後、海の向こうから神がやってくるという説話がさかんにつくられた。それは、共同体のプロパガンダだったのであって、日本列島の土着の世界観だったのではない。なんにつけ、そういうプロパガンダばかりが歴史の資料として残ってくるところに、文字文化が定着して以降の歴史を考えることのやっかいさがある。
この国の古代文学研究は、どれだけ折口のナルシズムに振り回されてきたことか。いいかげん少しは思い知ってもいい。
日本人の非日常の視線は、海の向こうに神の国など思い描いてこなかったし、「死んだら何もない黄泉の国に行く」というのが古代人の基本的な世界観や生命観だった。



古代人は、どのような気分で「まれびと」といったのだろうか。
「まれびと=神」などという限定した意味があったのではない。「まれびと」と呼びたくなるような心模様があっただけだ。そこに推参できないといけない。
「まれ」の「ま」は「まったり」「まったく」の「ま」、充足し安らいでいる心から発声される。「れ」は、「あれ」「これ」「それ」の「れ」、何かを探すような心持から発声される、「方向」の語義。
「まれびと」とは、「神」ではなく、ようするにふだん見かけない珍しい人やときめいてしまう魅力的な人のことをいっただけだろう。
あくまで人に対するときめきから生まれてきた言葉なのだ。「まれなる人」とは「素敵な人」というニュアンスであって、「唯一の」というニュアンスになってきたのは、ずっとあとの「価値意識」でものを見るような時代になってからのことだ。
「まれに」は、「一回だけ」という意味ではない。「運よく」とか「いいめぐり合わせで」というようなニュアンスなのだ。
「まれ」は「唯一の神」をあらわしているのではない。折口信夫は、神が人間の姿をしてやってくるから「まれびと」という、などと説明しているのだが、ほんとにいやらしいこじつけだ。
ただ、たんなる「旅人」のことを「まれびと」と呼ぶ例はいくらでもある。それは旅人に対する「ときめき」からそういっているのであって、べつに神格化している意識ではない。
「まれ」とは、心がときめいてゆく方向のこと。単純に「気になる」ということでもいい、そういうニュアンスなのだ。気持ちがその方に向いてまったりと漂っているから「まれ」という。
古代人の「まれ」や「まれびと」という言葉は、そんな権威主義的なもったいをつけた言葉ではない。そんなふうに意味を限定しないで、そのときその場の気分で融通無碍に使ってゆくのが彼らの言葉の作法であり、それを「ことだまの咲きはふ」といった。



まあ折口も柳田も、日本列島の歴史が神や先祖崇拝の「アニミズム」からはじまっているように考えているわけだが、そもそもそれがおかしいのだ。
先祖の霊魂がどうのといっても、日本人ほど家系図を勝手に書き換えてしまう民族もいない。先祖の霊など知ったことではない。誰にだって、歴史意識はある。それを先祖崇拝の形式にしているだけである。
村の金持ちをやっかんで、あそこの家のご先祖は旅人を殺して金を奪った、などという噂が定着したりしている。嘘だったらとんでもなく失礼なことだが、噂する方だってご先祖なんか誰でもいいという意識があるし、噂される方だって勝手にやっかんでいろと受け流している。また、他人のやっかみを和らげるためにわざわざ自分からそう名乗っている家もある。ただもう「どこの家にも歴史がある」という認識があるだけで、どんなご先祖さまだったかということは適当につくりかえられてゆく。
村中が平家の落人の末裔だと名乗っているが、じつはその落人を殺してしまったことの罪滅ぼしかもしれない。そんなことはもう永久にわからないが、日本中の誰もがそういう歴史意識で生きてきた。それは、先祖崇拝とはちょっと違う。
まあ、世界中の人間がそういう歴史意識を持っている。それだけのこと。
とくに日本人は、御先祖の霊魂などというものはちゃんと実感していない。
ご先祖が、というより、「霊魂」がうまく実感できないのだ。
世界中どこでも家の歴史や村の歴史を語っているが、おおかた作り話にすぎない。そんなことはどうでもいい、そういう歴史意識がある、というだけだ。



とくに日本列島は、霊魂という意識が薄いから、史実にこだわらない傾向がある。
たとえば、悲劇的な史実があってその厄払いとして神社を建てるというより、勝手につくった神社に存在理由を与えるためにそんな話を史実であるかのように語り伝えてゆく。
基本的に神社は、どこからともなく人が集まってくる「祭り=市」の場として建てられるのであって、日本人は神社など建てなくても不幸や悲劇などさっさと忘れてしまうことができる。しかし、神社がないと日本人の暮らしは活性化しなかった。
あそこの家はご先祖が人殺しの家だとか、人と人の関係なんて日常の暮らしの中ではどうしてもそうやって混濁し停滞していってしまう。しかし、いったん「祭り=市」の場に集まれば、ぜんぶさっぱり忘れている。そんな「山の中に入ってゆく」というコンセプトとともに日本列島の歴史が流れてきた。
神社は、たとえ平地の街中にあっても、ひとまず「山の中」という空間としてしつらえられている。日本人の「山の中」という空間に対する思いは深く根源的である。
けっきょく、人と人がときめき合う「非日常」の空間が必要なのだ。
そういう「非日常」に対する意識が日本文化をつくってきた。
「まれびと」の「まれ」は、「非日常」というニュアンスでもある。
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