日本文化のエスプリ・ネアンデルタール人と日本人82


日本列島は、人類拡散の行き止まりの地だった。
氷河期に大陸と地続きになっていた日本列島の地図を思い描いてみる。
そのとき日本列島には、北の樺太の方からも朝鮮半島からも南方からも人が流れ込んできていた。したがってそのあとの時代の縄文人は、そういう混血種だったはずである。彼らが列島中でだいたい同じような形質をしていたということは、それほどに人の往来が盛んな社会だったことを意味する。
日本列島は、その歴史のはじめから雑多に人が集まってきて混じり合ってゆくひとつの「祭り」の社会だった。混じり合って縄文人になり日本語になっていった。
祭りとはどこからともなく人が集まってくる賑わいのことで、そこは非日常の空間であり、誰もがいわば「よそ者」になっている。地元の人間であろうとあるまいと、誰もがその祭りという非日常の空間の新参者なのだ。
もともと原初の人類が二本の足で立ち上がること自体がひとつの祭りだった。それは集団で一斉に立ち上がってゆくというかたちで起きた。そうやって誰もがその非日常の空間の新参者になっていった。
非日常の空間が現出するという祭りは、人類の普遍的な生態である。
人がこの世に生れ出てくること自体、ひとつの非日常の空間に投げ出される体験であるのだろう。
女三界に家なし、などというが、女だけでなくじつは誰もが家など持たないこの世界のよそ者であり旅人であるのかもしれない。



「生活者の思想」などとよくいう。
地に足をつけた思想というのだろうか。日常生活に耽溺したそういう語り口が尊敬され、語る当人も悦にいっている。しかしそれは、生れ出たこの世界を日常とし、自分を日常という名の地元の住民だと自覚している思想である。つまりこの世の「先住者」の意識であり、「生活者」だなんて、庶民派ぶっていかにも聞こえはいいが、そういう自己中心的な思想なのだ。
ほんとうに「生活」の中に閉じ込められている庶民は、生活に耽溺などしてしないで、生活を嘆いている。生活を嘆くことが生きる作法になっている。それは、この世に生れ出てきたことを嘆いている、ということだ。「生活=日常」の中に閉じ込められながら、心はつい「非日常」に向いてゆく。そういう「非日常」の心こそが庶民の心であって、庶民はけっして「生活=日常」に耽溺してはいない。
人間なんて、だれもがこの世界の新参者ではないのか。
中世の隠遁者は、粗末な家に住み粗末な服を着て粗末なものを食って暮らしていた。それは、生活に耽溺することではなかった。むしろ生活から離れて非日常を生きることだった。生きることではなく死を見つめながら暮らすというのだろうか、彼らは生活の中に閉じ込められて暮らしていたが、生活者ではなかった。
そしてそれが、日本人の生きるいとなみの原点だった。
庶民(大衆)とは、けっして生活に耽溺している存在ではない。だから「女三界に家なし」とか「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」というような言い回しが生まれてくる。
吉本隆明をはじめとして今どきの「生活者の思想」なんて、ただのインテリのナルシズムにすぎない。彼らは、横着にもこの世界の先住民のつもりでいて、旅人の視線を喪失している。中世の隠遁者は、生活者としてではなく、旅人の視線で暮らしていた。
日本列島においては、たとえ定住して日常生活に閉じ込められていても、誰もがこの世界や他者との出会いに他愛なくときめいてゆく旅人として「非日常」を生きていた。
日本人は、けっして生活や日常に耽溺しない。この生を「非日常」の「祭り」として生きるのが伝統風土なのだ。



自分がこの世の「新参者=旅人」だから、「ときめく」という心の動きが起きる。
原初の人類が二本の足で立ち上がることがすでに「新参者=旅人」になる体験だった。
旅人とは、他愛なくときめいてゆく存在である。はじめて出会う景色や他者に警戒したり敵意を持ったりするのなら、最初から旅なんかしない。
人類の歴史は、そのようにしてはじまった。
「生活者」という名の先住民意識のいやらしさとふてぶてしさ、そんなものが日本列島の庶民の伝統だったのではない。
人類拡散の行き止まりの地である日本列島では、「旅人」としての意識を基礎にして歴史がはじまっている。
縄文社会の男たちが一年じゅう山道を旅して歩いていた生態は、日本列島に人が住み着きはじめたとき(それが3万年前か8万年前か20万年前かは知らないが)以来の伝統なのだ。
日本列島の住民は、その歴史のはじめから、山の向こうの「異人」と敵対するのではなく「出会う」という体験をし続けてきたのであり、出会えば他愛なくときめいていった。その伝統が近世の高野聖や旅芸人の習俗にもつながっているし、中世の隠遁者もまた、一か所に住み着いてはいてもあくまでこの生の旅人として暮らしていた。
かつての日本人は誰もがこの生の旅人だったのであり、「生活者」などといって自分や自分の暮らしをまさぐり居直っている人間などいなかった。誰もが、この生やこの暮らしを嘆いていたし、そこから人と出会って他愛なくときめき合っていた。
べつに生活者だからえらいわけではない。この生活やみずからのこの存在を嘆きながら、低いところから他者や世界を眺めてゆくこと、それが日本列島の住民の作法だった。日本列島の住民というより、それが人間の普遍的な生態なのだ。
どこからともなく人が集まってくる場では、誰もがそういう低いところに立って他愛なく他者にときめいてゆく。そうやって人類は生息域を広げて拡散していったのであり、行き止まりの地においてその生態が極まっていった。
日本文化論は、縄文時代がはじまりというだけでなく、日本列島に人が住み着いたところからはじまっているともいえるし、さらには直立二足歩行の起源がはじまりだといってもかまわない部分もある。



四大文明発祥の地では、山の向こうの異民族を排除したり支配したりしていった。先住民として、自分たちの既得権益(財産)を守り、また戦争をして相手の財産を略奪する。そうやって共同体(国家)として強大になっていった。彼らには、異民族と他愛なくときめき合うという関係はなかった。そしてこれは、自分たちの集団の人と人の関係においても同じだったにちがいない。結束するために相手を説き伏せ説得してゆく会話は発達したが、他愛なく無駄話を交わすような言葉の文化にはならなかった。
ネット社会の絵文字の多彩さは、日本列島が群を抜いているらしい。それは、相手を説得するための武器にはなり得ないが、他愛ない無駄話として楽しみ合うには有効である。はっきりした「意味」があるわけではない、「なんとなくの感じ」を表現しているだけだが、その「感じ」がわかると楽しい。思わずニヤッとしてしまう。日本列島の住民はそういうセンス(エスプリ)を持っているが、相手を説得しようとする意欲も、言葉の機能というか論理性も希薄である。
だから、論理の正確さが必要な科学の論文は、日本人でも英語で書く習慣になっている。
そして日本語のそうした性格や日本人のそうしたメンタリティは、日本列島に人が住みはじめて以来の伝統なのだ。



人類社会の文化を考えるとき「行き止まりの地の文化」という問題もたしかにある。
世界中どこでも、人の心には、「ここが行き止まりの地だ、もうここで死んでもいい」という思いは多かれ少なかれあるにちがいない。「ここで生きていこう」というのではない、「ここで死んでもいい」というメンタリティ。おそらく、他者に対する他愛ないときめきはそこから生まれる。それが、二本の足で立ち上がって以来の人類の普遍的なメンタリティなのだ。日本人が憲法第9条を受け入れることができるのも、無意識のどこかしらにそうした感慨がはたらいているからかもしれない。
地球の隅々まで拡散していった人類がなぜ住みにくい土地に住み着いてゆくことができたかといえば、住みにくいからこそ「ここで死んでもいい」という思いになれる場所だったからだろう。その死を意識するということが、知性や感性を活性化させ、人と人をときめき合わせる。
きっと最初に人が住み着いた日本列島も住みにくい土地だったのだろうし、縄文人が山の中を生活の場所にしていったのも住みにくいことを受け入れる人類普遍のメンタリティによるのだろうし、だからこそ彼らは他愛なく他者にときめいてゆく心の動きを持っていた。
それは、「生活者」として居直り満足してゆくメンタリティではない、生活を嘆いてゆくメンタリティなのだ。嘆きつつ他者との関係を豊かに細やかにしてゆく作法の文化を言葉とともに育ててきた。
ネット社会の絵文字やギャルのファッションやマンガ・アニメの「かわいい」の文化だって、おそらく日本列島に人が住み着いて以来の伝統なのだ。



日本的なエスプリ、それが問題だ。それが日本語の起源であり日本文化論の問題である、と言い換えてもいい。
人類が人にときめきつつ人との関係を豊かに細やかにしてゆく作法を生みだしてきたエスプリについて考えたい。
それは、今どきのギャルが絵文字やファッションやマンガ・アニメと戯れるセンスと同じであり、とくベつ難しいことがいいたいわけではない。
言葉の「意味」は、他者を説得する。
しかし人間には、他者を説得することに対する羞恥心がある。人にときめいているからだ。人にときめいているということは、生きてあることを嘆くものとして人を低いところから見ていることであって、生活に満足して高みから見下ろしているのではない。
日本列島の歴史で、生活に満足して耽溺しているものなどいなかった。
人を説得しにかかることと、人に何かを尋ねることは違うだろう。
旅人とは、何かを尋ねている存在である。探究者である。人間のその態度が、知性や感性を育てる。
どこからともなく人が集まってきているところでは、たがいに尋ね合うという会話が生まれる。
「どこからきたのですか?」
「好きなものは何ですか?」
「今の気分は?」
説得するのではなく、探求する心の動きを「エスプリ」というのだろう。旅人は、他者に対するそういう態度を持っている。旅人を迎えるものだって、旅人に尋ねるか旅人を説得しようとするかで心の動きは違ってくる。
日本人は、外国人から日本のことや日本人のことを聞くのが好きである。地元にいながら、旅人の心になっている。
人間なんかみな、この世に生れ出てきて「これはいったい何なのか?」と驚いている存在なのだ。「尋ねる」という心の動きを持っているのが人間であり、生き物の意識というものだろう。
何をどのように尋ねるかというセンスを「エスプリ」というのだろう。
そのように、この世に生れ出てきて何かを尋ね合っているのが人間社会だ。
何かを尋ねて答えが返ってくることの醍醐味があり、尋ねられて答えを返してゆくことの醍醐味がある。そういうことがどこからともなく人が集まってくる祭りの場や旅人との出会いにおいて起こる。
「祭り」こそ人間が生きてあることの縮図である。この生の本質も醍醐味も、日常生活の場にあるのではない。「祭り=非日常」を生きるのが人間なのだ。
エスプリとは、非日常のタッチであり、日常を離れて尋ねてゆく心の動きである。
日常生活を離れて人類は地球の隅々まで拡散していった。
人間が生きてあることには、日常生活を離れるというかたちがともなっている。それをエスプリという。
「あの山はなんというのですか?」
「天の香久山といいます」
「面白いかたちをしていますね」
「あの山を眺めているとほっとします。あなたはどうですか?」
「私もほっとします」
たったこれだけの会話の中にも日常生活を離れて尋ね合うというかたちがあり、このようにして日本列島の歴史が動いてきたのだろう。
「面白いかたちをしていますね」という言葉を返せるのがエスプリだ。それによってこのあとも会話がどんどん続いてゆく。
日本人の男は、自分の妻のことを「愚妻」といったりする。
「つま」は、「刺身のつま」ということで「添え物」という意味に解釈されているが、ほんらいは「ほっとする」という感慨をあらわす言葉である。
「つまり」とは、「(ほっとする)結論・正解をいえば」というニュアンスで、「ついでにいっておけば」というようなことではない。「つまらない」とは「ほっとしない」という意味で、「添え物にならない」という意味ではない。
イスラム教圏や父権主義の儒教文化なら、「妻」は「添え物」の存在だろう。
しかし日本列島の「妻」はもともと「山の神」で、女のリードによって男女の関係が成り立っている文化だった。日本人にとって山は「遠いあこがれ」を象徴する対象であり、その思いを男にもたらすのが「妻」という存在だった。
そういう「妻(つま)」という存在を「愚妻」というのは、「妻」の意味を解体している表現である。意味を解体しつつ「つま=ほっとする」という感慨をしのばせてゆくのが、日本的なエスプリである。
それは、他者を説得することに対する羞恥心であり、旅人=非日常の心の動きである。そのようにして日本語は「意味の伝達」の機能が薄い言葉として洗練してきた。
意味の伝達の機能を薄くしながら言葉を交わし合うことの醍醐味がある。たがいに説得する存在であることを放棄して低いところに立ち、ときめき合ってゆく。そういうことを一般的には「へりくだる」などというのだが、それは、相手にときめいている態度でもある。



祭りの場では、先住者の既得権益など存在しない。どこからともなく人が集まってくる「祭り」や「市(いち)」においては、先住者は存在しない。そこには、誰も住んでいない。そういう場所は、世界中のどの社会にも存在する。
人間は、他者を説得したり他者から説得される関係から離れて他愛なくときめき合っている場に立ちたいという願いを持っている。
そのようにして人類は拡散していったのだ。人類の生息域が外に広がってゆくということは、そこに「祭り=市」ができてゆくという現象だった。
日本列島に人が住み着くという歴史は、そこに「祭り=市」が生まれる現象としてはじまっている。日本列島の歴史の起源においては、すべての場所が「祭り=市」の場だった。日本人は、生きてあること自体を、そのような場に立つことだという感慨を持っている。
だから、意味作用の薄い言葉になってゆき、そのような人と人の関係の文化を洗練させてきた。それはまあ原始的な人と人の関係を引き継ぐことであり、異民族との緊張関係が発生しない絶海の孤島であったから可能になったことであるわけだが、われわれの文化はそのことの不運と幸運の両方を抱えて成り立っている。
そのようにして日本列島には人間性の普遍(自然)が残っているのだが、その普遍(自然)を捨てて異民族との緊張関係の歴史を生きてきた周辺諸国とはあまりにもメンタリティが違うという不幸も背負わねばならなくなっている。
とにかく日本列島では、共同体の制度性に目覚めるのがとても遅く、そのあいだに原始性を残したまま言葉や文化が洗練きてしまった。
原始性とは、基本的には人と人が他愛なくときめき合うということであり、この習性がなければ人類が地球の隅々まで拡散してゆくということは起きなかった。そしてそれは生きることや日常生活に執着し耽溺してゆくことではなく、むしろそういうことから離れて死と生の境目(=非日常)に立ち、死に対して親密になってゆくメンタリティだった。
その非日常的な死に対する親密さこそが人類を生き残らせたのであり、それが原始性なのだ。
日本列島の伝統に「生活者の文化」などというものはない。庶民であればこそ、そんなことはどうでもいいのだ。日本列島では、ただもう他愛なく人と人がときめき合ってゆくこと、そういう人間性の起源と究極に向かって文化を紡いできた。
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