内田樹という迷惑・「悔い改めよ」という律法

内田氏はいつもこんな言い方ばかりしている。
「世の中の人はこんなふうに間違っている。だから、それを悔い改めなければならない」と。
自分以外の人間は、みんな間違っている…という思考回路を持っておられる。そうして「悔い改めよ」と世の中にも世の中の人々にも要求し続けている。
「社会を変革する」「この世の中をよくする」…といえば聞こえはいいが、要するに、世の中や世の中の人々に「悔い改めよ」と要求してゆくことでしょう。
僕は、そういうことを言う人間を、信用しないし、尊敬もしない。
「未来」という時間など存在しないのだから、いい世の中だろうとくだらない世の中だろうと、その「現在」を受け入れ和解してゆくしかないだろう、と思っている。
くだらない世の中だったら、そういう世の中でどう生きていけばいいのか、と問うしかない。くだらない女房を持ってしまったら、そういう女とどう折り合いをつけていけばいいのか、と問うしかない。多くの人が、そうやって生きているのではないだろうか。
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オバマ氏が、アメリカの次期大統領に決まった。
彼は、ハーバード出の超エリートである。「ディベート」の達人らしい。そういうアメリカ人が、次期大統領になる。
彼は、ブッシュのイラク政策に反対した。それは、まあいい。しかし「この世界やアメリカを変革する」と声高に叫んで当選した。「チェインジ!」と
僕は、「変革」という言葉が好きな人を、あまり尊敬する気にはなれない。
エリートでディベートの達人だから、「正義」やら「真理」やらで他人を「説き伏せる」ことは上手なのだろう。彼らは、「正義」や「真理」は私の主張ではない、神が定めた「律法」である…という論理で攻めてくる。それが、怖い。内田氏の薄っぺらな論理も、まあ同じです。
「変革」と叫ぶことのどこがかっこいいのか、僕にはさっぱりわからない。「悔い改めよ」と迫ってこられているようで、怖いだけだ。
オバマ氏はきっと、きわめて有能に「アメリカの正義」を世界中に押し付けてゆくのでしょうね。
黒人であるということは、実力派である、ということを意味する。
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「世の中はこんなふうに間違っている。だから、それを悔い改め(変革し)なければならない」というオバマ氏や内田氏の言い方がどうして受けるかというと、誰だって「自分」は「世の中の人間」ではないからです。
「自分」とは、世の中の人間と一緒に暮らし、世の中を眺めている存在です。
だから、自意識(自尊感情)の強い人はみな、世の中の人間はだめだ、世の中はなっていない、変革しなければならない、という。
というか、誰もがどこかしらでそう思っているのだから、受けるのは当然です。
とくにアメリカ人は自尊感情が強いから、そういえば大いに受けるに決まっている。
「神の律法」で他人を説得しにかかることが正義だと思っていやがる。高級な態度だと思っていやがる。
僕は、それはすごく下品な態度だと思う。生きていれば、下品を承知でそう言わなければならないときもあるが、彼らは高級な態度だと思っていやがる。
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僕も内田氏をはじめとする戦後世代の大人たちを批判しているが、「悔い改めよ」とは言っていない。そういう大人たちと一緒に生きてゆくにはどうすればいいのか、と問うているだけです。そして、そういう大人たちを尊敬したりしなければならないいわれもない、と言いたいだけです。
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相手が世の中だろうと他者だろうと、「悔い改めよ」と要求する権利いったい誰にあるというのか。
世の中をよくするために、だって?
世の中はよくならなければならないのか。
何がいいのか悪いのかということなど、誰にもわからないし、よくなったほうがいい人もいれば、悪くなったほうが都合のいい人もいる。
人間は、「善」と同じくらい「悪」も好きだし、「薬」と同じくらい「毒」も好きだし、「幸福」と同じくらい「不幸」も好きな生きものだ。
たとえば、
彼女には、女を「幸せにする男」と「不幸にする男」の二人の恋人がいる。
当然彼女は、幸せにしてくれる男を結婚相手に選んだ。しかし、その「幸福」に飽きて、すぐに別れてしまった。
そういう話は、よくある。
すべての善悪も幸不幸も、「決定不能」なのだ。
われわれはもう、現在のこの事態と和解して生きてゆくしかない。
「あなた」が「あなた」であること、「私」が「私」であることを変える権利など、誰にもない。
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旧約聖書に、「モーゼの十戒」という話がある。
「姦淫するな」とか「殺すな」とか「嘘をつくな」とか、ようするに、こうしちゃいけないああしちゃいけない「悔い改めよ」、と人に迫っているわけです。
人間にはそんな権利はないが、神にはある。そこで、神はそう告げているのだぞといって、他人に「悔い改めよ」と要求してゆく。私が要求しているのではない、神が要求しているのだ、と。
これが、ユダヤの律法であり、ユダヤ人の他人を「説得」するやり口です。
内田氏は、それをまねして、世の中や世の中の人々に「悔い改めよ」と要求し続けている。
まあ、他者に対する「ときめき」というものがない人間は、恨みがましい目で、いつも「いいか悪いか」ばかりを判定している。
これは、怖いことです。内田氏だけじゃない。親が子供を叱るときも、教師が生徒に説教するときも、上司が部下にそうするときも、セールスマンが客にものを売りつけるときも、裁判官が犯人を裁くときも、税務署が税金を取り立てるときも、テレビのレポーターがスキャンダルを暴くときも、みんなそのやり方で「悔い改めよ」と迫ってゆく。私が要求しているのではない。神が要求しているのだ、と。
とくにユダヤ人は、われわれは神の子であるという選民意識が強いから、そういうこの世の中の「律法=ルール」に対してとても敏感で抜け目がない。彼らは、他人を「悔い改めさせること=説得すること=たらしこむこと」が正義だと思っている。
金儲けだって、ひとつの神の「要求=律法=ルール」を見つけ出す行為でしょう。彼らにとって、他人から金を巻き上げることは敬虔な宗教行為なのです。
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アメリカは、ユダヤ教徒キリスト教徒が結託して運営している地上最強の国家です。ユダヤ教徒の「説得」の能力と「拡散性」、キリスト教徒の「団結」するダイナミズムと「閉鎖性」、その両者がタッグを組んで世界を支配しにかかっている。
オバマ氏は、そんなユダヤ教徒と、最高峰のレベルでディベートして戦ってきたエリートですからね。この国の麻生なんとかという人がかなうはずがない。
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今の世の中は、そんなユダヤ人や内田氏のような「神の律法」を振りかざす人間がのさばりかえるようにできている。それはもう、しょうがないことです。
でも、そんな世の中の仕組みに対して「怖いなあ」という気持ちも少しは持っていたほうがいいのかもしれない。持っていないとわれわれは、心がどんどん索漠としてゆき、人に対する「ときめき」がなくなってしまう。
「世の中をよくしたい」という言い草の裏には、押しなべてそういうニヒルで気味の悪い心の動きが潜んでいる。
僕は、そんなことを言う人間を尊敬なんかしない。