「鬼滅の刃」というアニメがヒットしているらしい
われわれ団塊世代のように戦後の右肩上がりの時代をそのままリアルタイムで体験してきた世代にとっては、この二~三十年のこの国の停滞ぶりというのは、どうなってしまったのだろうと思うばかりです。
世の中の景気が悪くなってしまったということ以上に、人の心がどんどん愚劣になってきてしまっているということが、なんともやり切れません。
終戦直後なんて、今よりももっと景気が悪かったけど、人々の心というか世相はそれなりに華やいでいました。
いつの時代も貧しい人々も富裕な人々もいるわけだけど、あのころはみんなもっと純情だったように思えます。
なんだか今はもう、総理大臣をはじめとして妙にひねこびた人間ばかりがのさばるようになってきました。
一般の人々だって、ネトウヨみたいなことをいって、どうして恥ずかしくないのでしょう。屁理屈こねて正義ぶったって、みすぼらしいだけじゃないですか。人間としての品性の問題でしょうか。
今の総理大臣なんか、妙なルサンチマンをたぎらせながらこずるく生きて出世してきただけの人物にしか見えないのに、どうして一部の民衆は「人柄が信用できる」などという評価ができるのでしょうか。マスコミの印象操作なのでしょうか。
まあ上手に生きることが価値や正義の世の中で、人間としての品性なんかどうでもいいのでしょうか。
あなたは、あの総理大臣を見て、心が華やぎますか。世界の輝きを感じますか。
人間というのはいいものだ、という気分になれますか。
正義を振りかざすなんて、意地汚いだけだと思います。
中国人や韓国人をさげすむようなことをいって、何がうれしいのか。好きか嫌いかをいうこととさげすむことは違います。
好き嫌いの感情を持つことはしょうがないけど、中国人や韓国人をさげすむことによって日本人としての自己肯定感を得ようなんて、なんだかいじましすぎます。
われわれ日本人に今必要なのは、正義や自己肯定感を得ることではなく、心が華やいでゆく体験でしょう。
近ごろなぜ「鬼滅の刃」というアニメ映画がヒットしたのか。
日本人のこの二十年間の喪失感を癒して心に華やぎを持たせてくれる何かがあったのでしょう。
鬼と戦うことの華やぎは、桃太郎や一寸法師や大江山の酒呑童子以来の伝統です。
鬼は人間の敵であると同時に、山奥の聖域の守護神でもあります。
まあこの国の総理大臣やネトウヨなどちんけな鬼で、現代の世界のもっとも凶暴な鬼は核(放射能)だ、ということになるのでしょうか。それによって世界中の人々無意識の部分が知らず知らず蝕まれている、ということがあるような気がします。
人類は核の傘によって守られているんじゃない。核によって無意識を蝕まれているんだ、ということ。
べつに核爆発が起きなくても、核が存在するというそのことによって確実に滅亡に向かっている。心の華やぎが、どんどん蝕まれていっている。
われわれは、鬼と戦わねばならない。そんなふうに思う今日この頃です。
まあアメリカ人は、トランプという赤鬼と戦った。
日本列島にだって鬼と戦う伝統があるというのに、ちんけな鬼たちにしてやられてばかりいるというのが現状でしょう。
「鬼滅の刃」のヒットによって、少しは鬼と戦おうとする気持ちが目覚めたでしょうか。
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日本文化論講座のユーチューブ・デビューは、あと一歩のところまで来ました。
ユーチューブの登録はしたし、十回分くらいの動画も撮り貯めました。
後は、便利屋さんにアップしてもらうだけです。
でも、その動画の、なんとみすぼらしいことか。
しょぼくれたジジイがもたもたしゃべっているだけで、いったい誰がこんな動画につき合ってくれるだろうか、と思うと、ほとほと情けなくなり、この二,三日、便利屋さんに電話をかけそびれています。
もうひと踏ん張りです。
恥をかきながら、一歩一歩進んでゆくしかありません。
100回くらい続ければ少しはかたちになってくるかな、とささやかな希望を抱きつつ、とにかくもう一歩踏み出すしかありません。