アメリカの大統領選挙のこと
アメリカの大統領選のことをちょっと書いてみます。
この国のネット社会では、バイデン陣営が不正選挙をしているという話がものすごく盛り上がっているようです。
おかしな現象です。
アメリカではトランプ陣営が騒いでいるだけで、ほとんどのマスコミは無視しています。
そりゃあ日本でもアメリカでも小さな不正はいくらでもあるでしょうが、彼らがいうような大掛かりな不正など、そうかんたんにはできないでしょう。
もし不正ができるとしたら、トランプ陣営だってしているだろうし、政権側のトランプ陣営の方がもっとやりやすいはずです。
また、バイデンの方が下馬評が高かったのだから、トランプ陣営はもう、不正選挙をしてでもそれを覆したくなるでしょう。
あたりまえに選挙をすれば、バイデンが勝つ情勢だったのです。
バイデンの下馬評が低かったのなら、「もしかしたら」という憶測も生まれてくるけど、わざわざする必要もなかったでしょう。
痩せても枯れてもアメリカは、民主主義の先進国じゃないですか。それほど大掛かりな不正はできないシステムをつくっていますよ。
トランプが不正だ不正だと大騒ぎして一部の支持者がそうだそうだと騒いでも、多くのアメリカ人は冷めているでしょう。
ほんとうに大掛かりで信憑性の高い不正の証拠があってトランプ優勢の状況が覆ったのなら、もっと多くのトランプ支持者が騒いでいますよ。
最初にトランプ票が多かったのは、ほとんどのトランプ支持者はすぐに開票される期日前投票や当日投票の人たちばかりで、後から開票される郵便投票をしたのはバイデン支持の人がほとんどだったからでしょう。
郵便投票は、有権者の半分近くの1億枚以上あったといわれています。
だってバイデン支持の人たちからしたら、期日前だろうと当日だろうとマスクをしない主義のトランプ支持者がぞろぞろやってくる投票所には行きたくないし、行って妨害されたり脅迫されたりする恐れだってあります。だから、郵便投票にしたのでしょう。
というわけで、最初のころの開票でトランプ票の方が多かったのは当然のことだし、開票が進むにつれてバイデンの票が増えてきたのも不思議なことでもなんでもないはずです。
バイデンの票が増えてきて慌てて不正だ不正だと騒ぐのはとんだ茶番だし、そんなフェイクニュースにからめとられるこの国のネット社会も、いったい何なのでしょうね。
ほんとうにトランプ支持者の方が多かったのなら、開票を見守るために開票所の前に集まってくる人たちも、トランプ支持者の方が多くなければつじつまが合いません。
でも実際に「もうこれ以上開票するな」といって集まってくるトランプ支持者は、どこでもごく少数でした。
現在のアメリカでは、バイデンを支持するにせよしないにせよ、多くの人が反トランプになっているようです。
そりゃあ、そうでしょう。トランプは嘘ばかりついているし、差別主義者だし、コロナ対策もめちゃくちゃです。まあだからこそトランプを支持するという人も一定数いるのでしょうが、それが多数派になるとしたら、アメリカの民主主義も地に堕ちたものだということになってしまいます。
多くの黒人が白人警官から次々に虫けらのように殺されていれば、そりゃあブラック・ライブズ・マターのムーブメントだって起きてくるし、それを応援する白人の若者たちもどんどん増えてきています。
前回の大統領選ではトランプに入れた黒人だって、今回は反トランプに回るでしょう。
今のアメリカの差別やフェイクニュースはトランプによって扇動されている、と多くのアメリカ人が気づいています。
前回から反トランプだった人たちからすれば、4年間待ちに待ってようやくこの日を迎えたわけです。そうしてみごとにトランプを引きずり下ろすことができたのだから、大騒ぎして街に繰り出したくもなるでしょう。
現在のアメリカでは、あちこちの街の街頭で歌や踊りのお祭り騒ぎが起きています。それはまるで、この国の中世の「念仏踊り」や幕末の「ええじゃないか騒動」のようです。
それを見ただけでも、現在のこの国に比べたらアメリカの方がずっと民主主義が機能していることがわかります。
民衆が立ち上がらなければ、時代なんか変わらないでしょう。
権力社会に飼い慣らされて権力社会の真似ばかりしている今どきの右翼なんか、最低です。それこそ、ファック・ユーです。
今どきは、時代に流され権力に飼い慣らされていると、かんたんにネトウヨと呼ばれる人種になってしまうようです。
時代に流され権力に飼い慣らされているから、かんたんにフェイクニュースを信じてしまうのでしょう。
ネット社会の多くのインフルエンサーが、さももっともらしく不正選挙がどうのこうのと語っていて、アホじゃないかと思ってしまいます。
それがただの陰謀論のフェイクニュースであることくらいは、人間や人間の社会がどのように成り立っているかということを考えれば、かんたんにわかるでしょう。人間なのだもの、これだけ長く選挙システムの歴史を歩んでくれば、世界中どこでもそれなりに工夫をしているでしょう。
現在のアメリカのあちこちの開票所で開票作業に携わってきた多くの人たちの気が遠くなるような地道な作業は全部無駄なものにすぎない、と彼らはいうのでしょうか。
「公正=ジャスティス」こそ平和なのだ、というのがアメリカ民主主義の根本思想なのですよ。アメリカなんかべつに好きでもないけど、日本よりも民主主義が遅れているということはないでしょう。
一国の総理大臣風情が国を代表する学術会議の人事を捻じ曲げてしまうという下品極まりないことをしてなんの後ろめたさもないなんて、アメリカ人もヨーロッパ人もきっとあきれていることでしょう。
とにかく国家権力なんて、無視するか抵抗して戦うかのどちらかであるのが、人類普遍の民衆社会の伝統なのですよ。
国家権力にすり寄って正義ぶるなんて、下品そのものですよ。
まあ多くのオールド左翼にしろ、妙な思い込みを振り回して正義ぶるということそれ自体が、凡庸で下品なのですよ。彼らを見ていると、知識や京というのはいったい何なのだろうと思ってしまいます。なぜもっと素朴にニュートラルに考えられないかと。
素朴に考えて、野党の民主党にそんなにも大規模な不正選挙などできるはずがないし、現在のアメリカのとくに都市部の住民の多くはすっかりトランプに幻滅してしまっているのはきっと確かなことでしょう。
何よりも、今のアメリカはトランプのせいでこんなにもコロナが広がってしまっているのだから。
しかも、差別や分断がこんなにも加速してしまった。
人々は、不景気にはある程度我慢することはできても、人と人の関係が壊れてしまうことには耐えられないのであり、それが普遍的な人間性の基礎というものでしょう。
現在のアメリカの多くの若者たちが反トランプに立ち上がっているのはとても素敵なことだと思います。
物事の正しいかどうかということなど、たいした問題ではないでしょう。
トランプにしろ安倍晋三にしろ菅義偉にしろ、どうしようもなく下品じゃないですか。
下品なものには耐えられない、それが当たり前の人情というものでしょう。
とくにこの国の都会で暮らしているインテリ層がトランプを支持できるなんて、僕にはまったく理解できません。
アメリカであれ日本であれ、田舎に暮らしている人たちが都会のおしゃれな暮らしをしている人種や知識や教養のある人種に反感を抱くのは仕方ないとしても、都会暮らしのインテリのくせに善悪や損得という物差しでしかものを考えられない人種なんて、腐り果てていると思います。
この国の天皇を天皇たらしめている第一義的なことは、品格です。
品格こそが、この国における物事の是非を判断するときの伝統的なものさしなのです。
とくに都会のインテリが、「自分や家族の幸せのため」などというさもしい損得勘定の言い訳をするべきではないのであり、品格こそが第一義なのです。それこそが、この国の守るべき伝統なのです。
あんな下品な人が総理大臣をしているなんて、世界に対して恥ずかしいじゃないですか。現在のアメリカ人だって同じで、トランプのような下品な男が大統領をしていることに耐えられなくて声を上げているのだろうと思います。
そうやってたくさんの市民が街頭にあふれ出てきた。彼らは「トランプに恋することなんかできない」といっているのでしょう。今回のことは、そういう民衆の素朴な気持ちの勝利なのでしょう。
欧米人は政治意識が高いといっても、政治のことの屁理屈が民衆運動を組織するのではなく、じっさいに民衆を動かしているのはそういう人としての普遍的で素朴な感情ではないでしょうか。
彼らがアメリカを愛しているのなら、アメリカが気高い品性をそなえた美しい国であってほしいでしょう。それが人としての自然であり、景気が良くなって自分たちの生活がよくなるとかならないとか、そんな俗っぽい問題は二の次のことであるはずです。
人は根源において、不幸、すなわち経済的な欠損としての貧乏にも、身体的な欠損としての病気や障害にも耐えられる存在です。
だからどんなに愚かで貧しい民衆あろうと、第一義的にはいわゆる真善美の品格にあこがれて生きています。真善美などというと陳腐だけど、まあそういうことです。
人を根源において生きさせているのは、欲望ではなく、「あこがれ」なのだ、と僕は考えています。だから人類の知能は進化してきたのでしょう。衣食住のことなんかそっちのけで進化してきたのですよ。
総理大臣や大統領が「あこがれ」の対象にならないなんて不幸なことでしょう。
だからこの国の歴史は、普遍的な「あこがれ」の対象として天皇を祀り上げてきたわけです。
天皇がいないアメリカであるなら、大統領が「あこがれ」の対象であってほしいという願いは、われわれ日本人よりもずっと切実でしょう。
人は恋する生きものです。まあそれだけのことなのだけれど、それだけのことが、じつは衣食住のことよりももっと大切なのです。そうやって人類は進化してきたのです。
権力社会の価値観と民衆社会の価値観は同じではないでしょう。権力社会の権力闘争は当然現世的な利益を争ってなされるが、民衆が権力者を選ぶときは、美しさや清らかさや崇高さというような異次元的なものに対する「あこがれ」によって決定されたりします。
だから、源義経や天草四郎のような敗者が歴史に名を残したりします。
歴史はつねに権力闘争の勝者によって書き換えられてゆくが、それでも別のかたちで民衆社会に語り継がれてゆく「あこがれ」の対象があります。
民衆運動をもっともダイナミックに組織させるのは、最終的には現世利益としての衣食住のことではなく、美しさや清らかさや崇高さという異次元的な世界に対する「遠いあこがれ」なのです。
今回のアメリカ大統領選挙における「反トランプ」ムーブメントにも、そういう民衆社会の「遠いあこがれ」がはたらいていたのだろうな、と僕は感じています。
たとえジョー・バイデンにその要素が希薄だとしても、アメリカという国家の品格を取り戻したいという願いはあったはずです。
とくに若者たちにとっては、アメリカがかっこいい国であってほしいでしょう。それだけのことだが、それだけのことこそがもっとも大事なのだと僕は思います。それは、国家の品格の問題なのです。
つまり今回のことは、素朴な民衆の無意識が、フェイクニュースや差別の温床であるトランプ政権を倒した、といえるのではないでしょうか。
バイデンになればアメリカはどうなるかとか、トランプが続けていればどうだとか、民衆はべつに先のことを考えて投票をしたのではないのです。
ただもう、みんなで仲良くやっていける国にしたかったのでしょう。
アメリカはみんなが平等の国なんだ、と無邪気な若者たちは言いたかったのだろうし、気取った連中や強欲な連中はそんなふうにさせてなるものかと思った。そうやって投票が伯仲したのでしょう。
なんのかのといっても、黒人と白人がだんだん仲良くなってゆき、どんどん血が混じり合ってゆくのはもう、避けがたい歴史の必然でしょう。
大人たちの世界やハイソな世界や田舎の世界ではなおも黒人と白人を分けようとしているのだろうが、若者たちの世界ではどんどんその垣根が壊れていっていることでしょう。そういうことが証明された選挙だったのではないでしょうか。
歴史の歯車をもとに戻そうとする依怙地な人たちの勢力はまだまだ強いけど、彼らだって追い詰められているのでしょう。
この国も70歳80歳の老人が政権の中枢にいて、彼らに飼い慣らされた者たちばかりがのさばっているようです。
でもアメリカだろうとこの国だろうと、彼らの歴史的な役割はすでに終わっているはずです。だからこそなおさらむきになって強圧的になるのでしょう。
たとえばすでにアメリカに定住している移民は、後からやってくる移民に対して、自分たちがようやく手に入れた権利を侵すものとして排除しようとする。それと同じように、下層の白人は黒人を差別しようとするわけで、そういうものたちがトランプを支持しているのでしょう。
白人優位の社会で最下層に置かれていることの屈辱感は並大抵ではないでしょう。
この国だって、下層の男たちは、ネトウヨになって女や在日朝鮮人を差別しようとしています。そうやって社会の上層ですでに既得権益を得ている者たちと一緒になってマジョリティを形成しているのだろうし、それはアメリカ社会でも同じ構造なのでしょう。
しかしそんな社会構造も、大阪都構想やアメリカ大統領の選挙によって、差別やフェイクニュースによって世の中が動かされるという時代も少しづつ後退しつつあることが証明されたと思います。
新しい時代がどうのという以前に、普通に人間性の自然に照らし合わせて考えれば、人の世が差別やフェイクニュースだけでどこまでも突き進んでいけるはずもないでしょう。
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ユーチューバーデビューの計画は、あきらめてはいませんが、依然として1ミリずつしか進んでいません。あきらめてはいませんが、徹底的な機械オンチの上にまわりから反対されていることもあるし、われながらとても恥ずかしいことをしようとしているという思いもあって、あきらめていないけどほんとに実現できるのだろうかという不安でもたついてばかりいます。
でももう、今月中には何とかケリをつけて踏み出さねばと思っています。ほかの人ができることをどうして自分にはできないのかと、情けなくなります。
とにかく話したいことはたくさんあるし、いつか話すことに慣れてくれば、毎日二、三本ずつ発信できるのではないか、などと夢見見たりしているのですが、今はまだ20分の話に3、4時間かけて原稿を書いて準備しなければならない、というレベルです。