疫病の哲学

「感染爆発(オーバー・シュート)」などといっても、この国で完全な「都市封鎖」というのは難しいらしい。

法律的な問題だけでなく、歴史風土としての国民のメンタリティとか社会構造とかの問題もある。

四大文明発祥の地をはじめとする大陸の古代都市はひとまず「城塞」に囲まれた大集落として生まれてきたのだが、この国の最初の都市である奈良盆地の大和王朝の大集落には「城塞」がなかった。異民族に都市が侵略されるという歴史を歩んでこなかったからだ。戦国時代だって、城が攻められたときでも城のまわりの都市は比較的安全だった。また、ヨーロッパにおけるユダヤ人を閉じ込めた「ゲットー」のような都市をつくったこともない。

この国には「都市封鎖」の伝統がない。そして村に疫病が流行したときには、民衆による自治運営のシステムが発達していたから、村が自主的に封鎖状態になってやりくりしてきた。

今回、東京都の知事が外出の自粛要請をするばかりで強制的な命令を下さないのも、そのための経済的な補償をしたくないということもあろうが、民衆が自主的にそういう状態をつくってきたという歴史的ないきさつというか伝統もある。

この国の権力社会には、民衆を守ろうとする「愛と献身」の伝統がない。この国には、あんな愚劣で醜悪な支配者を生み出してしまうような社会構造の伝統がある。

権力社会と民衆社会が「契約関係」でつながっている欧米の社会は、どんなに愚劣で醜悪な支配者でもいざとなったら民衆に対して「愛と献身」の態度を示すほかないようにさせる伝統がある。それをわれわれは、今回のコロナウイルス騒動で思い知らされた。世界に比べてこの国の支配者の判断はなんといじましく愚鈍で卑劣であることか。このまま事態が進めばとんでもない悲劇的終末(カタストロフィ)が待っているかもしれないし、日本列島の住民の心には、そういう「滅び」を待ち受け抱きすくめてゆくという歴史の無意識が宿っている。だから、愚劣で醜悪な支配者を許してしまう。

ここまで来ても、まだ能天気でいられる日本人がたくさんいる。それは、ただ自己中だからとか情報を知らないからというだけでは説明がつかない。

国なんか滅んでしまえばいい。自分も国もろとも滅んでゆけるのなら、それはそれでめでたいことかもしれない……それが「無常」という日本人の世界観・生命観の伝統であり、たたえず「新しい時代」への扉を開くイノベーションを生み出してきた人類普遍の世界観・生命観でもあるのかもしれない。

 

今回のコロナウイルス騒ぎは、政治や経済だけの問題ではなく、文化の問題でもある。命とは何かとか、人間とは何かということを考えさせる問題でもある。

この国の政治や経済の支配者たちはろくでもない人間ばかりで、文化のシーンをリードする知識人たちの言うことだって、なんだかあまり信用することができない場合が多い。

まあ人間そのものがろくでもない生きものだともいえるわけだが、今やこの新型コロナウイルスは、人間のつくった文明社会だってろくでもないしろものだということを世界中に教えてくれている。

このウイルスは、文明社会が生み出した。この文明社会がろくでもないしろものだということを教えてくれる存在として生まれてきた。放射能だって、まあそういう存在であるのかもしれない。

人間も文明社会もろくでもないしろものであり、その前提の上に立って人間は生きはじめる。

生命の尊厳とかより良い社会をつくろうといってもしょうがない。そんなものは人が生きることの前提にならない。そんなスローガンを掲げて人と人は殺し合い、国と国は戦争をする。

何もかもろくでもない、意味も価値もない。そして意味も価値もないことが生きてあることの意味と価値なのだ。その「空虚」こそが意味と価値であり、意味と価値は「空虚」なのだ。これは、僕の勝手な屁理屈ではない。現在の最先端の科学や哲学がそういっている。すべての物質は隙間だらけのスカスカの「空間」であり、哲学者だって「自己=主体」などというものはないといっている。

 

われわれの「意識」が根源において認識している自分の「身体」は、中身のない空っぽの「空間」であり、その「輪郭」に対する認識を基礎にして生きはじめる。身体を「物体」と認識しているのは空腹とか息苦しさとか病気とかの身体に「苦痛」が宿っているときであり、われわれはそういう身体の「物性」を忘れて身体を動かしている。身体を動かすということは、身体を空っぽの「空間」の「輪郭」として扱っているということだ。言い換えれば、この「輪郭」をうまく認識することができなければ、身体はうまく動かせない。その「輪郭の認識」が運動神経になる。ポール・ヴァレリーはこれを「第四の身体」と言い、この身体のことがわからなければ身体論の問題を解き明かすことはできない、とも言っている。

人間だけでなくすべての生きものは「身体」という「主体」を持っていない。言い換えれば「身体」という「主体」は、「物体」ではなく、「空っぽの身体」としての「空間の輪郭」である。

われわれにとって「死」の恐怖は「身体という物体」が滅びることにあるのではなく、「自己という主体」が消えてなくなることにあるわけだが、しかしそれは文明社会のたんなる制度的な観念にすぎないのであり、根源的な意識においては「自己という主体」を持っていない。だからこの世に死を怖がらない人はいくらでもいるし、どんなに死ぬのが怖いと悪あがきをしても最後はたいていの人がそれを受け入れる。

人は根源において死に対する親密な感慨を抱いている。だからこそ他者に対して「生きていてくれ」と願い、その死に深くかなしむのであって、死が怖いからではない。つまり、他者が生きていてくれないことには、みずから生の根拠を見出すことができないのだ。

みずからの生の根拠は、他者を生きさせることにしかない。だからみずからの命を投げ捨ててでも、他者を生きさせようとする。みずからの命を投げ捨てることが、この生の根拠なのだ。つまり、「もう死んでもいい」という勢いでい生きるいとなみが起きている。そうやって人を好きになるし、プレゼントをするし、看病や介護をする。

「もう死んでもいい」という勢いがなければ、看病や介護はできない。女が看病や介護が得意なのは、死に対して親密で「もう死んでもいい」という勢いを男よりもはるかに深く豊かにそなえているからであり、セックスだって「もう死んでもいい」という勢いでするから男よりもはるかに深く豊かなエクスタシーを汲み上げることができる。

死に対して親密だからこそ、他者を生きさせようとする。根源的には、他者を生きさせなければ人間の生なんか成り立たないのだ。

 

自然淘汰」という言葉があるが、人間以外に疫病対策をする生きものはいないだろう。

では、それは不自然なことか?

そうではない。

不自然な文明社会が疫病によってはじめて生きものとしての自然に目覚める、ということだ。そして、この国の政府官僚だけがそこに還ることができなくて、いつまでたってもぐずぐずと手をこまねいている。やっているふりだけはしても、肉や魚の商品券とかマスクが二枚だとか大企業の株価対策に国費を投入するとか、自分たちの利権に絡んだいじましく意地汚いことしか思い浮かばないらしい。

彼らには、「民衆」すなわち「どこかのだれか」の暮らしと命のことを想う、という人として生きものとしてのきわめて基本的な心の動きがなく、自分のまわりの利害関係者とのことしか頭にない。こんな非常事態になっても、彼らの頭に染みついた思考はまだそこから一歩も踏み出せない。

人間は、根源において、猿よりももっと生きものとしての自然に遡行した思考ができる属性をそなえている。つまり、誤解を恐れずに言えば、人類学の延長としてのチンパンジーやゴリラの研究よりもさらに基礎的な「生物学」の方がより「人間性」の本質に迫ることができる可能性を持っている、ということだ。

法律には「実定法」と「自然法」があるといわれており、この「自然法」とは歴史的伝統的な「慣習および常識」のことを指すらしい。そしてその「伝統」=「慣習および常識」は、猿の生態を基礎にしているのではなく、もっと根源的な「生きもの」としての「命のはたらき」を基礎にして形成されてきたのだ。

今回のコロナウイルス感染に際して世界は、強欲な支配者や資本家たちだってみな一定の「生きものとしての自然」に遡行する反応を示したが、この国の政府官僚や資本家たちだけが一緒になってぐずぐずと事の重大さを先延ばしにして、まともな手立てを打つことをしてこなかった。今からでも間に合うのかどうかわからないが、あの連中の醜悪さをいやというほど見せつけられた、という思いはぬぐえない。

 

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初音ミクの日本文化論』

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