感想・2018年9月24日

<戦後の女神たち・3>
敗戦後のこの国は、今どきの右翼がいうように人心が荒廃していたわけではない。たいした暴動が起きることもなく、着実に復興に向けて歩みはじめていた。廃墟と化した東京には、どんどん人が集まってきた。だからまあ、「パンパン」と呼ばれる街娼が現れてきたのだし、流行歌や映画等の娯楽産業も盛んになっていった。都市の暮らしは窮乏を極めていたというのに、それでも人々の心は、娯楽に向けて華やいでいった。
なにしろ「災害列島」というくらいで、大小無数の「世界の終わり」を体験しながら歴史を歩んできたわけで、そこから生きはじめる作法は心得ている。日本人の心は「世界の終わり」の「喪失感」を共有しながら華やいでゆく。そうやって人々は復興に向けた連携をつくっていった。
貧乏人どうしは助け合い、民間の有志が政府に先駆けて戦争未亡人や戦災孤児の救済に乗り出していった。
人心が荒廃していた、などということはいえない。それをいうなら、現在の「格差社会」や「分断社会」のほうが、ずっと荒廃している。荒廃しているから、バブル以後のたびかさなる大震災を経験しても、その状況が一向に改まらないまま過ぎていっている。


生きてあることの「かなしみ」とか「孤独」とか「絶望」とか「喪失感」とか、そのようなものが死=滅亡に向かう感慨であるとしても、それらをぜんぶなくして幸福(=リア充)になれば生きられるかといえばそうではなく、それによってこの生は停滞し澱んでゆく。
人の心は、生きてあることの「かなしみ」や「喪失感」を他者と共有してゆくことによって、華やぎときめいてゆく。心のはたらきも命のはたらきも、そこから活性化してくる。それらの感慨は、けっして不自然な心の動きではないし、避けがたく抱いてしまうほかないのだが、それらを共有できないという二重の「かなしみ」や「孤独」によって命のはたらきが衰弱してゆくという危うさも抱えている。それはもう、源氏物語以来のこの国の伝統であり、おそらく大原麗子飯島愛もそのようにして死んでいったのだろう。「かなしみ」や「孤独」や「絶望」や「喪失感」を生きるのが伝統の国だからこそ、それを共有できないことの「かなしみ」や「孤独」や「絶望」や「喪失感」はいっそう深く抜き差しならないものになってゆく。

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キンドル」から電子書籍を出版しました。
『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』
初音ミクの日本文化論』
それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。
このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。
『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。
初音ミクの日本文化論』は、現在の「かわいい」の文化のルーツとしての日本文化の伝統について考えてみました。
値段は、
『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』上巻……99円
『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』下巻……250円
初音ミクの日本文化論』前編……250円
初音ミクの日本文化論』後編……250円
です。
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ついでに、少し長くなりますが、『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』と『初音ミクの日本文化論』の書き出しの部分を載せておきます。
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試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか (上巻)
               山本博


<はじめに>
 広島に原爆が投下されてみじめな敗戦を迎えてからすでに70年以上経っている。そして3・11の東日本大震災が起きてから10年になろうとしている。われわれ日本人は、それらの体験をどのように総括しているだろうか。
 確かに悲惨だった。そのとき生き残ったものたちは、死者に対するある種の「後ろめたさ」を抱いた。そしてその「後ろめたさ」を共有しながら、みずからの命を差し出すようにしておたがいさまで「助け合う」ということをしていった。
 悲惨ではあったが、心は華やいでいた。「世界の終わり」は、人に解放感をもたらす。
 人は「世界の終わり」から生きはじめる。
 ネアンデルタール人というろくな科学文明を持たない原始人が生きた氷河期の北ヨーロッパだって、どんどん人が死んでゆく環境だった。まあそういう事態が恒常的に続いたのであれば、原爆投下や大震災よりももっと悲惨だったともいえる。とくに子供は、半分以上が大人になる前に死んでいった。彼らはそういう「世界の果て=世界の終わり」の環境下で、けんめいに助け合いながら50万年の歴史を歩んできた。それは人類史の壮大な実験だったのであり、それによって人類の集団性の文化が確立されたともいえる。
 そんな艱難辛苦の50万年を生き残ってきたネアンデルタール人が4〜3万年前にいきなりやってきたアフリカ人に滅ぼされてしまった、と今どきの多くの人類学者たちが合唱しているわけだが、そんなはずがないではないか。遺伝子のデータがそうなっている、といってもそれは、データに対する解釈が間違っているからだ。彼らは「はじめにネアンデルタール人の滅亡ありき」で考えているから、そういう解釈になるだけのこと。まったく、人間というものをなんと考えているのか。反論のある研究者はどなたでもいってきていただきたい。いくらでも反論し返して差し上げる。
 ホモ・サピエンスといわれている現在の人類の遺伝子の中には、アフリカ以外はすべてネアンデルタール人の遺伝子が混じっていて、純粋なホモ・サピエンスはアフリカ中南部にしかいない。そういうことが最近のゲノム遺伝子の解析でわかってきたのだが、いっちゃなんだがこんなことくらい僕は、『ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか』という自分のブログで10年前からいってきたのであり、わかりきったことではないかと思っている。そしてこのことが何を意味するのかといえば、「そのころヨーロッパにやってきたアフリカ人などひとりもいない」ということだ。彼らは徹底的に「よそ者とは付き合わない」という主義で故郷にとどまり続けてきた人々で、現在ではアフリカ人どうしでも言葉や身体形質がさまざまに違ってしまっている。
ホモ・サピエンス」という遺伝子はアフリカの暮らしに特化した遺伝子で、「ゆっくり成長して長生きできる」という特徴を持っているのだが、それでは極寒の季節のある地域では乳幼児が生き残れないのであり、早く成長してゆくことによってその季節に耐えることができるネアンデルタール人の遺伝子や文化と組み合わさることではじめて有効になる。
 現在の欧米の白人は、われわれ東洋人よりずっと早熟な体質を持っている。だからまあそのぶん老化も早いのだが、乳児を育てる人類の文化がさらに進化すれば、この体質もいずれは退化してゆくに違いない。
 拡散のメンタリティというか文化は、人類拡散の果てに氷河期の北ヨーロッパまでたどり着いたネアンデルタール人がもっとも豊かにそなえていた。彼らの集団は、そのころのアフリカとは逆にたえず離合集散が起きていて、遺伝子が拡散してゆきやすい生態を持っていた。彼らの子孫であるヨーロッパ人は、現在でも世界中に移住している。アフリカ人は、近代になって奴隷として連れて行かれただけで、みずから進んで拡散していったわけではない。
 まあ原始時代におけるその遺伝子は集落から集落へと手渡されながら世界中に拡散していったのだし、離合集散してしまうネアンデルタール人の遺伝子のキャリアであることによって、はじめてそれが可能になる。
 ネアンデルタール人だって最初から「ホモ属」すなわちほとんどはホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアだったのであり、ほんの少しネアンデルタール人固有の遺伝子を持っていただけのこと。
 とにかく彼らがどのようにしてその苛酷な環境を生き抜いてきたかと問うことが大切なのであり、それなしに数万年前の人類史における遺伝子の拡散も集団性の文化の進化発展もなかったのだ。
 人類の集団性の文化とは何か……?その問題を今どきの人類学者たちは「知能」がどうとかというような安直な問題設定でしか考えることができていないのであり、そうではなく、それはネアンデルタール人がその苛酷な環境をどのようにして生き抜いてきたかということから学ぶ必要がある。彼らはまさしく「世界の終わり」を生きていたのであり、そこからおたがいさまで「助け合う」という人間ならではの豊かな「連携」の集団性をはぐくんでいった。
 それは、われわれ日本人があのみじめな敗戦や3・11の大震災をどのように総括するかという問題でもある。そのとき日本人もまた、「世界の終わり」をかみしめながらおたがいさまで助け合っていった。
 あの敗戦以後、あの大震災以後、この世の中はどのように流れてきたのだろうか。
ともあれ、世の中の流れを知るのはむずかしい。しかしそう思うのはそれを知りたがっているからで、昔から世の中なんかよくわからないものだと相場が決まっている。
知ろうと思わなければ、わからなくてもかまわない。
わかっているつもりでも、けっきょく自分のまわりの世界を自分の物差しで測っているだけだったりする。
現在においてネット社会が果たしている役割がいかに大きいかといわれても、その流れをいったい誰がどれだけ正確に把握しているかということは疑問だし、ネット社会があろうとなかろうといつの時代も変わらない普遍的な人間性とか社会性というのもある。そこのところを問わないことには何もはじまらない、ともいえる。
どんなに完成されたAI(人工知能)が生まれたとしても、それでも人の「心=意識」のはたらきはそういうことではないんだなあというところは残るのだし、そこが知りたい。
変わらないもの、すなわち人類史の伝統というか普遍が知りたい。ところが、この問題についての人類学者の常識とか定説なんてひどくいいかげんなものばかりで、われわれはもう、それを自力で考えないといけない。それをしないと「人間とは何か」とか「人間社会とは何か」という問題に推参できないし、そこがいいかげんだから彼らの歴史解釈もとんちんかんになってしまう。
というわけでこの論考は、現在の人類学の情報を伝えるためのものではない。
もちろんあれこれの既存の論説をひっくり返したいということもあるが、主題はあくまで「人間とは何か」とか「人間社会とは何か」ということの本質・普遍を問うことにあり、そういう問題設定における思考実験としての批評感想文のつもりです。


第一章・直立二足歩行の起源と人類拡散

1・常識を疑う
 まったく、いいかげんすぎるではないか。そもそも人間という存在に対する認識が、彼ら人類学者だけでなく現代人一般においてとてもおかしい。
現在のこの国では、「4〜3万年前のアフリカ人(ホモ・サピエンス)がヨーロッパに移住していって先住民であるネアンデルタール人と入れ替わった」という、ほとんどありえないような話が定説としてまかり通っている。
 これを、古人類学の世界では「集団的置換説」と呼んでいる。こんなのはどうしようもない「トンデモ説」なのに、なぜだかこの国では研究者もアマチュアのフリークもこぞって信奉している。
 そんな「集団的置換説」に対して、いやそうじゃない、それぞれの地域で並行して進化してきたのだ、という主張を「多地域進化説」といい、欧米ではこの二つ説が今なお対立し、ずっと論争を続けている。
 ほんとに「集団的置換説」なんて、歴史認識としても人間認識としても、どうしようもなく愚劣だ。
 だからもう、最初にいっておく。そのころヨーロッパに行ったアフリカ人などひとりもいない。

2・歴史の真実は
ネアンデルタール人は、原始時代の人類が地球の隅々まで拡散していったことのひとまずの総決算として登場してきた人々である。
 それに対してそのころのアフリカのホモ・サピエンスは、それまでの700万年のあいだをアフリカにとどまり続けてきた種族である。それでどうして彼らのほうがネアンデルタール人よりも拡散する能力があったといえるのか。彼らの遺伝子も生態も、拡散しないでとどまり続けることに特化して進化発展してきた。彼らは、人類史上もっとも拡散しない生態の種族だった。だからアフリカ内部でも人の往来や混血が途絶え、高身長のマサイ族とか尻の大きなホッテントットとか低身長のピグミー族とか、身体形質も言葉や習俗も、さまざまに分化してきた。
そうしていまだに、複数の部族がひとつの国家としてまとまってゆくという近代化のいとなみが遅々として進まず、あちこちで紛争が起きたりしている。
極端にいえば、現在のアフリカでは、「部族が違う」というだけで殺人の動機になる。いいとか悪いとかという問題ではない。そういう交わらない歴史を歩んできた人々なのだ。
アフリカでの人類拡散の動きは、ホモ・サピエンスの出現以前にすでに終わっている。それはもう、考えるまでもない自明のことだ。
なのに現在の人類学の常識は、アフリカのホモ・サピエンスは人類史上もっとも拡散の能力をそなえた種族だということになっている。いったいどうしてそんな倒錯した説が大手を振ってまかり通っているのか。その原因は、おそらく現代人の思考のかたちそのものが、どこかしら歪んでしまっているというか停滞してしまっていることにある。その低俗な思考に現代社会の病理が潜んでいる、といってもよい。

3・アフリカを出る
 考古学の証拠では、アフリカ中央部での二本の足で立ち上がった人類の誕生が700万年前だといわれており、そこから徐々に拡散をはじめて60万年前に北ヨーロッパまでたどり着いた。
 人類学の通例ではよく、アフリカを出て行ったことが人類拡散の起点のようにいわれたりしているが、アフリカ中央部で生まれた原初の人類がアフリカの出口のスエズ運河あたりまで拡散してゆくことだって、猿の生態としてはかなり異例のことだ。
 人類にもっとも近い猿であるチンパンジーは、いまだにアフリカ中央部にとどまって拡散してゆくことができないまま、いまや絶滅危惧種の仲間入りをしようとしている。
 700万年前にアフリカ中央部で誕生した人類がゆっくりと拡散をはじめながらアフリカの出口までたどり着いたのが、およそ2〜300万年前。
近ごろ中央アジアグルジア共和国で発見された人類遺跡は180万年前のもので、700万年前にアフリカで生まれた人類がはじめてアフリカを出た証拠として一躍脚光を浴び、今でも大いに注目されている。
そしてそこで発掘された人骨は、当時としても極めて未発達なほとんど猿に近いレベルの身体のもので、同じころのアフリカ中央部にはすでに現在のアフリカ人のような高身長の種族がいた。というわけでこの考古学の証拠は、最初にアフリカの外まで拡散していった人類がアフリカの暮らしに適合できなかった未発達なものたちだったことを証明している。
しかしアフリカからもっと遠い地で発見されたジャワ原人もそれくらいの年代だといわれているから、もしかしたらグルジアにはもっと古い人骨も埋まっているかもしれない。
 ともあれ彼らが猿に近いレベルだったというのなら拡散のスピードもとうぜん緩やかだろうし、それでもそこまで拡散していたということは、二本の足で立ち上がったときからすでに拡散がはじまっていたということを意味する。
 おそらく原初の人類は、4〜500万年かけてアフリカの出口まで拡散していった。
 そして、そのころにはもう、かなり体が大きくなっている種族もいた。とすれば、アフリカで進化した種族はアフリカにとどまり、進化から取り残されたグループが拡散していったことになる。
 人類学ではひとまず、形質の劣った人種はどんどん滅んでゆき、発達した人種だけが生き残ってきたというように考えられているのだが、グルジアの遺跡で発掘されたその骨は、体の大きさも脳容量も猿並みで、明らかに形質が未発達だった。
 それはまあ、とうぜんだ。人類拡散は未発達の人種が追い出されるようにして起こってきたことであり、進化した人種は移住してゆく必要なんか何もない。
 基本的に人類拡散は、いくつかの集団からはぐれてきた者たちが集まってもとの集団の外に新しい集団をつくってゆくということの果てしない繰り返しで実現していったことで、「住みよい土地を求めて」とか「狩の獲物を追いかけて」とか、そういうことではない。彼らが移住していった先はつねに「より住みにくい土地」だったのであり、それでもなぜ移住していったのかと問われなければならない。
 氷河期の北ヨーロッパは、地球上でもっとも住みにくい土地だった。
 はぐれ者は、知らない者と出合ってときめき合ってゆくことができるメンタリティを持っている。というか、人類は二本の足で立ち上がることによってそういうメンタリティを知らず知らず身につけていったわけで、それこそが人類拡散の原動力だった。
 現代社会のお祭りやコンサートやスポーツ観戦にしても、知らない者どうしが集まってきてときめき合ってゆくイベントである。人類は、この心模様によって猿から分かたれた。人々がこの心模様を基礎に持っていないと、そこはとても住みにくいものになってしまう。
 なんのかのといっても人を生かしているのは、他者とときめき合う体験にあるのだ。
 人類は、拡散してゆくほどに、人と人が他愛なくときめき合ってゆく心模様を豊かにしていった。そうして、猿のレベルを超えた大きな集団をいとなむことができるようになってきた。
 人と人が他愛なくときめき合う心模様を持っていなかったら、人類拡散は起きなかった。それは、人類学者がいうような「知能の進化」などという問題ではない。最初にアフリカを出てグルジアまで拡散していったのは、知能も身体ももっとも未発達な人種だった。彼らは、「はぐれ者」だったから、住みにくさを厭わない耐久力と他者に対する豊かなときめきをそなえていた。人類は、拡散してゆけばゆくほどそういう心模様が深まってゆき、ついに氷河期の北ヨーロッパでも住み着いてしまう生態が生まれてきた。
 それがネアンデルタール人で、そのころの地球上で彼らほど住みにくさに対する耐久力と他愛なくときめき合ってゆける心模様を豊かにそなえている人びとはいなかったし、その心模様によって人類の知能や文化が爆発的に進化発展してきた。
 現在の人類社会の基礎は、ネアンデルタール人によってつくられた。

4・命懸けの飛躍
人は、生きてあることにうんざりしながら、それでもというかそれゆえにこそ世界や他者に豊かにときめいてゆく存在なのだ。
「意識はつねに何かについての意識である」……これは現象学のひとつの定理であるかのようにいわれていることだが、このことを裏返せば「何かについての意識は別の何かについての意識になりえない」というこということを意味する。二者択一、意識は同時に二つのことを意識することはできない。たとえば、テーブルの上にリンゴとミカンが並んでいて、視覚の焦点をリンゴに結んでゆけば、隣りのミカンの像はぼやけている。そのようにして「自分」に貼りついている(=焦点を結んでいる)意識は、自分の外の世界や他者の輝きにときめいてゆくことはない。つまり生きられなさを生きていたネアンデルタール人は、自分や自分の身体に貼りついている意識を引き剥がして世界や他者の輝きに憑依していった、ということ。そうしないと生きられなかった。そうしないと発狂してしまう環境を生きていた、ということ。
人は根源において「生きられなさ」を生きている存在であり、心はこの生から離れて「他界=異次元の世界」に飛躍・超出してゆく。それが「ときめく」とか「ひらめく」という心的現象であり、哲学者はこれを「命懸けの飛躍(パラドキシカルジャンプ)」といったりするわけで、まあそのようにして人類の知能は進化発展してきた。
人類が生み出した「言葉」や「貨幣」は、「命懸けの飛躍」の思考の上に成り立っている。これを歴史家は「象徴思考」などといっているのだが、そんなかんたんなことではない。日本国の「象徴」は天皇であるというなら、猿だって自分たちの群れの「象徴」はボス猿であると思っている。国旗が国の「象徴」であるというのなら、動物だって自分のテリトリーの「象徴」としてマーキングをするわけで、そんなことが人間だけの特性にはなりえない。
人類は、猿の延長として進化してきたのではなく、二本の足で立ち上がることによって猿から分かたれたのであり、そこで「命懸けの飛躍」をしたのだ。
「他界=異次元の世界」は、この生やこの世界の「象徴」にはなりえない。そこに飛躍・超出してゆくのが「命懸けの飛躍」である。
 死とは「生きていないこと」であり、死と生は断絶している。その「断絶」を飛び越えてゆくのが「命懸けの飛躍」であり、死と生に橋を架けて繋げることを「象徴思考」という。われわれが死んでゆくことは「命懸けの飛躍」か?それとも天国や極楽浄土に続く橋を渡ってゆくことか?
 「彼は猿のようだ」というのは両者に橋を架ける「直喩=象徴思考」であり、「彼は猿だ」というのは「命懸けの飛躍」としての「暗喩」である。猿ではないのに「猿だ」といってしまう。そしてそれで、なんとなくニュアンスがわかる。
 原始人の言葉の世界は、「暗喩」が基本だった。
 人類最初の言葉は思わず発せられる音声だったのだから、そこにはなんの意味も込められていない。なのに聞くものは、そこになんらかの意味が宿っていることに気づいていった。それは、音声を発したものが遭遇している事物のことではない。事物に対する「感慨」である。熊と出会って「きゃあ!」と叫んでも、それは熊のことではない。熊に対する「感慨」である。そのようにして「言葉=音声」は、事物の名称としてではなく、あくまで「感慨」の表出として進化発展してきた。したがって古代人や原始人は、すべての「言葉=音声」に「感慨」が宿っていることを自覚していた。
というわけで彼らが「彼は熊だ」といえば、「彼は怖い」ということの暗喩であることがかんたんにわかったし、そういう表現の仕方しかできなかった。
 万葉集の初期はほとんどが「暗喩」で、後期になってから「……のようだ」という「直喩」が使われるようになってくる。たとえば初期の歌で「くま川」といっても、べつに実際の川の名ではなく、「怖い」ということの「暗喩」としてそういう表現をする技巧があったというだけのこと。「くま川を渡ってあなたに会いに行く」といっても、じっさいにそういう名の川があったわけではなく、「勇気を振り絞ってあなたに会いに行く」といっているだけなのだ。初期の万葉集には、こういう表現がとても多い。
 「暗喩」というのは一般的には高度でモダンな表現のように思われがちだが、じつはそれこそが原始的な表現だった。
 すなわち人の心の「原始性=自然=本質」は「命懸けの飛躍」をすることにあり、それによって人類の知能(知性や感性)は進化発展してきたわけで、そうやって現代社会で暮らすわれわれもときめいたりひらめいたりしているということだ。またそれは、原始人は天国とか生まれ変わりのような死後の世界をイメージしていたのではなく、死と生の断絶を自覚しつつその越えられない川をジャンプしてゆくようにしながら死に対する親密な感慨を抱いていた、ということを意味している。
 人の心の「命懸けの飛躍」は、「死に対する親密な感慨」から生まれてくる。そしてそれは、生きられなさの極限を生きていたネアンデルタール人のところで極まったのであり、そこから人類の知能の本格的な進化発展がはじまった。
 誰もが、その無意識の中に、生きてあることに対する嘆きを抱えている。そうでなければ、人間的なときめきなど起きてこない。

5・はぐれてゆく
「憂き世」という。
 あなたがもしも生きてあることやこの社会に対するいくぶんかの違和感や疎外感があるのなら、それは自然なことだ。
 人類はもともとこの生からも集団からもはぐれてしまいやすい生態を持った存在だった。だからこそ、地球の隅々まで拡散していった。
 最初の人類は、アフリカ中央部のサバンナの中の孤立した小さな森の中で発生した。そこはサバンナに囲まれた場所だから、余分な個体を追い払うことができなかった。まあ奥地のジャングルに棲むチンパンジーはそうすることによって群れの個体数や秩序を守っているのだが、そのときの人類にはそれが不可能だった。まわりはサバンナなのだから、たちまち肉食獣の餌食になってしまう。そこにはもう、追い出す場所がないし、誰もが追い出されるまいとした。もしかしたらそのころチンパンジーと同じような生態を持った猿だったのかもしれないが、もはや追い出そうとする衝動も起きてこなかった。
 ひとまず食料となる木の実だけは潤沢にあったのかもしれない。そうして集団は、無際限にふくらんでいった。
 気がついたら、限度を超えてふくらんでいた……これが、人間の生態の基礎のひとつになっている。人間は集団をつくろうとする存在ではない。すでに集団の中に置かれている状態から生きはじめる。そのふくらみすぎた集団の中の生きにくさをやりくりしたりはぐれてしまったりして生きている。
 集団をつくろうとする衝動を持っていないから、現代社会のように無際限に大きな集団になってしまう。猿のようにつくろうとする意図でつくれば、ちょうどいい規模が保たれる。しかし人にあるのは、「すでに」存在する集団をやりくりしようとする衝動だけで、根源において集団をつくろうとする衝動は持っていない。人類史は、はじめに集団の鬱陶しさがあり、それをやりくりしようとするところからはじまっている。そうやって、二本の足で立ち上がった。
 人類の二本の足で立ち上がる姿勢は、集団の鬱陶しさから逃れる姿勢であると同時に、集団をやりくりする姿勢でもある。これが、人類の集団に対する意識の基礎であるらしい。
 原初の人類は、もっとも弱い霊長類の猿として、ライバルの猿から追われ追われしながら、サバンナに接したジャングルの隅に生息していた。そしてそのころの地球気候は寒冷・乾燥化が進み、サバンナがさらに広がってゆくとともに、人類が生息していた森はジャングルから切り離され、サバンナの中の小さな孤島のようになってしまった。そうなったらもう、猿の群れの習性としての、余分な個体を追い払うことも逃げ出すこともできないし、彼らの集団はどんどん密集していった。
 もうみんなで仲良くやってゆくしかなかった。
 しかし集団が限度を超えて密集してしまえば、集団で行動するときにはおたがいの体と体がぶつかり合って鬱陶しいことこの上ない。それはまあいわば「生命の危機」であり、ネズミの群れだってそんな状態で行動していれば群れ全体で暴走してしまい、次から次へと崖から転落してゆくというようなことが起きる。
 そのとき彼らは、誰もが他者の身体の圧力を物理的にも心理的にも受けながらひしめき合っていた。まあこの時点で、猿の時代のボス制度はすでに崩壊していた。ボスでさえも受難者であり、誰もが受難者だった。その水平の圧力を受けながら、垂直に立ち上がっていった。これはもう物理的にごく自然なことだし、垂直に立っていれば、身体が占めるスペースは最小限になり、たがいの身体のあいだに「空間=すきま」ができる。そのようにして、みんながいっせいに立ち上がっていった。
 つまり、集団の鬱陶しさを極限まで感じていた彼らにとって、しかし集団から逃げて行く先は垂直方向にしかなかった、ということだ。
 そのとき二本の足で立ち上がった彼らは、垂直方向の青い空を見上げた。われわれ現代人だって、見上げる青い空がひとしお胸にしみるときがある。もしかしたらそれは、人としての「原初の記憶」であるのかもしれない。
 原初の人類が二本の足で立ち上がったという「事件」は、集団を安定させることであると同時に、集団から逃げてゆくことでもあった。心理的にそして垂直方向に逃げてゆくことによって安定させていった。
 人類の無意識は、すでに集団からはぐれてしまっている。そうやって人は「憂き世」と嘆いたり、正義ぶって悲憤慷慨したり、自分は世の中の連中よりましな人間だとうぬぼれたり、自分はだめな人間だとひがんだりしている。まあ人さまざまだが、誰もがどこかしらに集団からはぐれてしまっている心を抱えている。
 人がみな われより偉く見える日よ 花を買い来て妻と親しむ(石川啄木
人は、集団からはぐれるようにしながら集団のうっとうしさをやりくりしている存在であって、根源的には、集団にしがみついて集団のすばらしさを称揚してゆこうとしているのではない。
 集団からはぐれてしまう存在だから、人類拡散が起こったし、集団の密集状態に耐えることができる。
 それは、住みよい土地を求めて集団で移住してゆくというようなムーブメントではなかった。集団からはぐれてしまったものどうしが集まって集団の外に新しい集団をつくっていったことの繰り返しで拡散していったのだ。
 人類の集団は、拡散しながら大きくなっていった。なぜなら、集団からはぐれてゆく心を持っているもののほうが密集状態に耐えられるからだ。そして、はぐれてゆく心を持っているから、さらに拡散してゆく。

6・女が先に直立二足歩行に適合していった
 人類拡散のムーブメントはいつごろからはじまっていたかといえば、おそらく、700万年前の二本の足で立ち上がった直後からのことだろう。
 原初の人類の集団は、密集しすぎた鬱陶しい集団だった。そしてそこから二本の足で立ち上がることは、いっときその鬱陶しさから解放されることだったが、それによって集団からはぐれてしまう心も持ってしまった。
 その、くっつき合っている他者の身体から離れてたがいの身体のあいだに「空間=すきま」を確保してゆくというその姿勢そのものが、「離れる=はぐれる」という契機をはらんでいる。
 また、もともと猿のメスは、よその集団に紛れ込んでゆくという生態を持っている。したがって原初の人類の女にだってそういう集団からはぐれてしまう生態は引き継がれていたはずであり、二本の足で立ち上がったことによって、その動きがさらに頻繁になっていったにちがいない。そうして女だけでなく、男にも集団からはぐれてゆく心の動きや行動が生まれてきた。
 そのとき原初の人類が猿にはない旅する習性を持ったとしたら、それは、オスが中心の猿社会とは逆に女にリードされる社会になっていったからだ。
 猿でさえほかの群れにはぐれ出ていってしまう女=メスという存在は、本能的に漂泊の心性をそなえている。だからこの国では「女三界に家なし」などといわれてきたのだが、しかしだからこそ家にとどまることができる存在であり、とどまっても心はすでに漂泊している。漂泊する心を持っているから、家という閉じられた空間の鬱陶しさに耐えることができる。
原初の人類社会は、女が優位だった。
 これは、直立二足歩行の起源によって生まれてきた関係性なのだ。
二本の足で立ち上がれば、女の性器は尻の下に隠れて見えなくなるから、発情していることがわからない。それは男の性衝動に対して防禦がはたらいている姿勢であり、自然にみずからの身体の発情する兆候も薄れてくる。それに二本の足で立つ姿勢は、密集しすぎた集団でみずから体の空間に占める割合を最小限にして体がぶつかり合うことを回避するためのものであり、人類はほかの動物以上に体の接触を嫌がるようになった。ただその「拒否反応」が反転して接触が快楽にもなってもいる。女は、男の体に対して「拒否反応」を持っている。だから人間の男はほかの動物以上に求愛行動に熱心になったし、女が男を許し「させてやる」という気にならなければセックスが成り立たなくなったし、女は「させてやる」ことの快感・快楽を覚えていった。そのような関係のもとで、女リードする社会になっていった。
 まあ女が男の体との接触に対する拒否反応とそれが反転して快感が生じることを覚えていったということは、女のほうが先に二本の足で立つ姿勢に適合していったということであり、女にリードされながらようやく男も適合できるようになっていった。
 ともあれ原初の人類にとっての集団は鬱陶しいものだったのであり、だからもとの集団からはぐれて拡散していったのだ。

7・猿よりも弱い猿
 猿の若いオスは、ボスによっていったん群れから追い出され、衛星のように群れの周囲をうろつくようになる。しかし猿の場合は世代交代の時期がくれば群れに戻ってゆくわけだが、人類は、はぐれたまま、はぐれたものどうしがもとの集団の外に新しい集団をつくっていった。おそらくその動きはもう、二本の足で立ち上がった直後の時期からはじまっていたはずだ。
 群れから追い出された猿の若いオスの場合は群れと付かず離れずの距離でうろついているだけだが、人類の場合は、戻るのがいやになるか戻れなくなってしまうくらい離れてしまった。
 原初の人類の集団は、ライバルの猿の群れに対しても、人類の集団どうしでも、相手と隣接するのではなく、緩衝地帯をつくってできるだけ離れようとした。これが、たがいの身体のあいだに「空間=すきま」をつくって立ち上がっている人類の本能だ。チンパンジーの群れどうしは、くっつくどころか、一部が重なり合ってそこで殺し合いになったりする「オーバーラップゾーン」という場所まであるが、二本の足で立っている弱い猿である原初の人類にはありえないことで、緩衝地帯があるところまで逃げて行かないと安心して暮らせなかった。
 そうやってできるだけ離れて集団をつくろうとする生態とともに、地球の隅々まで拡散していった。
 人は、根源的に集団からはぐれてしまう無意識を持っている。このことを抑えておかないと、人類拡散は説明がつかない。原初の人類は、猿と違ってもとの群れには戻ることなく、はぐれてしまったものどうしがときめき合っていつの間にか新しい集団になってしまう生態を持っていた。

8・ときめきの水源
 人類が地球の隅々まで拡散していったのは、より住みよい土地を見つけていったからではない。移住していった先は、いつだってさらに住みにくい土地だった。それでも住み着いていったのはそこにときめき合う人と人の関係があったからであり、もとの集団に戻れないほど離れてしまっていたからだ。
嘆きは、けっしてこの生を妨げる感慨ではない。嘆きを共有しながら人と人はときめき合ってゆく。嘆きこそが、ときめきの源泉なのだ。
 より嘆きの深い者たちが集団からはぐれて移住していった。
 知能的にも体力的にもより進化していた者たちが拡散していったのではない。それは考古学の証拠として残されていることで、進化できないまま嘆きを深くしていった者たちが拡散していったのだ。そしてそれでも人類の集団はつねに離合集散の動きをはらんでいるから、文化や遺伝子はたちまち世界中に伝播してゆく。そうやって拡散していった者たちもやがて知能的にも身体的にも進化してゆく。そうして、さらに住みにくい土地にも住み着いてゆける能力を身につけていった。
 で、とうとうネアンデルタール人が氷河期の北ヨーロッパにも住み着くようになっていった。そのとき彼らはすでに知能的にも身体的にも同じころのアフリカ人よりも劣っていたわけではない。
 たとえば、人と人がときめき合う関係性や住みにくさを厭わず住み着いてゆく耐久性の伝統は、ネアンデルタール人のほうにこそあった。人類は、その生態を進化させながら地球の隅々まで拡散していった。つまり拡散の能力はそのまま住み着く能力でもあり、アフリカのホモ・サピエンスの場合は、拡散できない拡散したくない拡散しないでもすむ、というようなかたちで進化してきたのだ。

9・定説を疑う
 ひとまず現在の人類社会が成熟しているといえるのなら、その基礎は氷河期の北ヨーロッパに移住していったネアンデルタール人のところにある。それは知能の問題ではなく、これまで書いてきたような人間的な生態やメンタリティがネアンデルタール人のところで極まったということだ。
 われわれがスタジアムに10万人も集まってスポーツやコンサートを楽しむことができるのは、集団からはぐれた原初の人類がどこからともなく集まってきて新しい土地に新しい集団をつくっていったという歴史の上に成り立っている。知能の発達がそういう生態をつくったのではない。他愛なくときめき合うメンタリティこそ人間性の基礎であり、人類の文化はそこから生まれ育ってきた。さまざまな困難に分け入って学問の探求をすることだって、原初の人類がどんどん住みにくい土地に住み着いて拡散していった歴史が基礎になっている。
 そして言葉の進化発展もまた、人と人のときめきあう関係によってもたらされた成果であって、単純に知能の進化ということだけで説明がつく問題ではない。
 知能のレベルというなら、ネアンデルタール人も現代人も大差ないし、そのころの世界中の原始人にも差はなかった。ただ、そのような人間的な生態や心模様がネアンデルタール人のところで極まっていたというだけのこと。
 まあ知能の問題はともかく、人の探求心や感動する心は人類拡散とともに育っていった。それは、アフリカ人がいきなりヨーロッパに移住していって得られるようなものではない。人類700万年の拡散の歴史とともに長い長い時間をかけて育ってきた生態であり、心模様なのだ。
 なのに人類学の世界では、4万年前のアフリカ人がヨーロッパに移住していって原住民のネアンデルタール人と入れ替わったという「集団的置換説」がいまだにかまびすしく合唱されている。
 そのころヨーロッパに移住していったアフリカ人などひとりもいない。そう考えないと、状況証拠的につじつまが合わないのだ。
 おそらく現在のヨーロッパ人の思考や行動のかたちは、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの遺伝子を取り込んで形質を変化させていった結果として成り立っている。


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初音ミクの日本文化論』前編
はじめに
日本文化の基礎は、箸の上げ下ろしから芸能・芸術まで、「喪失感を抱きすくめてゆく」ことにある。心は、そこから華やいでゆく。そしてそれは原初の人類が二本の足で立ち上がったとき以来の人類史の伝統でもある。
現在の「かわいい」の文化が日本列島の伝統の上に花開いてきたことは識者の誰もが指摘するところであるが、それが世界中で「ジャパン・クール」ともてはやされているのは、人類史の普遍とも通底しているからではないでしょうか。
日本文化の伝統は、その本質において国家制度からも宗教からも切り離されている。そこが、外国人には「クール」と映る。
それは、日本人の集団性の問題でもある。この国には、国家制度から切り離された民衆だけの「無主・無縁」の集団性の伝統がある。
国家の法律の基礎は、「神の裁き」にある。それが人類史における文明国家の伝統で、だから人は法律に従おうとする。しかしこの国には、そういう国家制度や宗教の規範とは別に、民衆社会だけの「無原則」の調停のための習俗がある。たとえば村の「寄り合い」とか「若衆宿」のように、善悪とか正邪という「神の裁き」のような絶対的な基準はなく、みんなの話し合いでなんとなくの落ち着き先を見つけてゆくという習俗、「なりゆき」の文化、このことは現在のアメリカのエール大学でも研究されているらしい。なぜならそれは、民主主義の未来、という問題でもあるわけで。
日本列島の文化の伝統は、「喪失感」の上に成り立っている。まあ、そうやって「あはれ・はかなし」とか「わび・さび」という美意識を育ててきた。「神の裁き」とか「生きがい」とか、そんなこの生の価値を失って「異次元の世界」にさまよい出てゆく。しかし心は、そこから華やぎ活性化してくる。日本人はそうやって旅に出るのであり、現在の若者たちは、その「異次元の世界」で「初音ミク」と出会った。
日本列島の歴史は、この生の価値に執着してこなかった。それを「喪失」したところから生きはじめるのが、おそらく縄文時代からずっと受け継がれてきたこの国ならではのこの生の流儀なのです。
バブル経済の崩壊後の時代の「喪失感」とともに「初音ミク」のムーブメントが盛り上がってきた。そしてそれは、人類普遍の「処女崇拝(ロリータ趣味)」や「女神」の文化の問題でもある。
日本文化は、けっして特殊(オリジナル)なものではない。それは、とても原始的であるとあると同時に、世界中で共有されている普遍的無意識的な感性でもある。だから、「初音ミク」をはじめとする「かわいい」の文化が外国人にもわかってしまう。
このレポートは、そういう視点で日本文化について問い直そうとする試みの批評、あるいはエッセイです。


第一章・喪失の果て

1・初音ミクはもう古いか?
 そのバーチャルアイドルの立体映像によるコンサートが熱狂的に受け入れられてから、すでに十年以上経っている。
 AKB48はメンバーが入れ替わりながら新陳代謝を続けているが、初音ミクのまわりのボーカロイドのシーンでは初音ミクだけがつねに主役であり続けてきた。初音ミクは歳を取らないし、そのキャラクターにも何か普遍的な魅力があるのかもしれない。
 たとえば文楽人形のように、初音ミクはもう、「古典=伝統」になりつつあるのかもしれない
 少なくとも「楽器」としての初音ミクは、すでにポップミュージックの一ジャンルとして定着している。
 また、そのバーチャル性ゆえに、「かわいい」の文化のエッセンスは初音ミクで極まっている、ともいえる。
 「かわいい」とは、ひとつの「非日常性=異次元性」にほかならない。

2・新しいコミュニティ
「さびしい」とか「せつない」とか「かなしい」とか「いたたまれない」とか「途方に暮れる」とかという感慨こそ、思春期の大切ないろどりに違いない。その「喪失感」を水源として「かわいい」というときめきが生まれてくる。
古いやまとことばの「かなし」は、「愛らしい」という意味もあった。
初音ミク」は、「かわいい」の文化のひとつの達成として登場してきた。
今や誰でも、パソコンのキーボードを叩くだけで、作詞・作曲・演奏から歌手に歌わせるまでのことができてしまう世の中になった。
で、ネットユーザーによる、「初音ミク」という少女の声を模した電子音ソフトを使って思春期の少年・少女の心象風景を表現した無数の曲がネット社会に拡散している。
その電子音ソフトは、最初は大人の女のきれいな声で売りに出されたのだが、あまり流行することもなく、思春期の少女のちょっと舌足らずの声にした途端、一気に盛り上がった。たしかに、それでなければ「かわいい」の文化にならない。
なんのかのといっても、彼らは「ときめき」や「癒し」を求めているのであり、幸せ感に浸りたいわけではないし、人間の代用品を欲しがっているのでもない。
大人たちはよく「ロリータ趣味のマンガやアニメを愛好するオタクたちは生身の女が怖くてその代用品にしている」などというが、そうではない。初音ミクというバーチャルアイドルはその代用になりえないし、なりえないというその不可能性こそより濃密な「かわいさ」の本質になっている。
マンガやアニメだろうとオカルト趣味だろうと、同好のオタクどうしほどなれなれしい関係もない。そこでの彼らは、生身の女などまったく怖がっていない。
ともあれ初音ミクはもう、たんなる一過性の流行、という解釈だけで片付けてしまうことはできないレベルで支持され続けている。
初音ミクの立体映像に歌わせるという仕掛けのコンサートがはじまって10年が過ぎ、今や幕張メッセを満員にし、世界中に進出してもいる。そして、これでブームの盛り上がりが一段落してこれからだんだん下火になってゆくのかといえば、そんな気配ではない。
まだはじまったばかりだ、と思っているファンや関係者も多い。
何しろ今までになかったかたちのアイドルであり、ファンや関係者たちの目指しているところも、既成の関心とはちょっと違う。
それは、企業によるたんなる商業活動というより、思春期の少年少女を巻き込んで人類の未来の理想が発信されているというか、一種の平和運動のような現象でもある。
初音ミクの歌の作者はこれからもどんどん登場してくるだろうし、発表の場はネット社会に広く開放されていて、プロ・アマ問わず誰でも参加できる。そうして魅力的な曲は、必ずファンによる反応が起きて広く拡散してゆく。
ファンどうしによる、作詞・作曲・動画等々を分業した発表のためのチームもつくられている。
初音ミクのキャラクターや音源の商標権の縛りは、営利目的でないかぎりほとんど解放されているらしい。
しかも初音ミク以外のキャラクターもさまざまに発表されているのだが、おもしろいことに初音ミクを超える人気キャラクターはあらわれていない。
初音ミクは別格なのだ。それはまあ、キャラクターデザインのオリジナリティもさることながら、ファンたちが初音ミクは別格だとあらかじめ決めているふしがある。
AKBなら競争があり、センター・ポジションの交代も起きて、それが全体の人気を維持するための新陳代謝になっているのだろうが、初音ミクの周囲ではそういうこともなく、ひとつの初音ミクのコミュニティであるかのような世界を形成している。
誰もが初音ミクが好きで、つねに初音ミクがムーブメントの持続のエネルギーを背負っている。
それは、たとえばバブル時代のような新しい車を次々に買い替えてゆく消費欲とは根本的に違う。異次元の世界の象徴(アイコン)=女神は初音ミクで極まっている、という認識がある。
それはちょっとこの国の天皇制にも似ている。
ここで天皇論を語りだせば話は長くなってしまうのだが、とにかく天皇であることの本質は、その起源のときから、現実世界に君臨する支配者ではなく、「異次元の世界」に「隠れている」存在であることのその「神秘性」と「生贄的な性格」にあった。
古代の天皇の住居のことを「内」の「裏」と書いて「内裏(だいり)」といった。天皇は「他界=異次元の世界」の住人であり、だから「神」のように祀り上げられてきた。
初音ミクだって、まあそのような対象である。
初音ミクの「アイドル性」は、けっしてAKBと同列には語れない。新しくはないが、古くなってしまうものでもない。
初音ミクのファンにおいては、かわいいアイドルは初音ミクで極まっている、という合意がある。天皇と同じように、永久にアイドルであり続ける気配を漂わせている。まあ、千年たっても初音ミクは十六歳の少女のままであるわけだし。
恋人であれ、恋人代わりのAKBのセンターポジションであれ、いくらでも取り換えることができるが、「異次元の世界の象徴」はそうはいかない。初音ミクはもう、その大げさなツインテールのヘアスタイルはもちろんのこと、その衣装も声もダンスも、すべてが「異次元の世界の象徴」になっている。

3・喪失感を抱きすくめる
現在の時代というものを考えるなら、われわれはたとえばあのオウム事件バブル経済の崩壊や秋葉原通り魔事件や東日本大震災などのことをどのように総括しているのだろうという問いが浮かんでくる。
楽しいことはすぐに忘れてしまうが、いやなことはなかなか剥がれないかさぶたのようにいつまでも覚えている。時がたてば忘れるというなら、まあそうなのだけれど、それなりの後遺症は気づかないところに残っている。
戦後は右肩上がりの経済成長が続いてきたといっても、あのひどい敗戦からはじまって、時代の変わり目には、多かれ少なかれつねに何かを喪失するという体験があった。そしてじつは、その喪失感こそが新しい時代を切り開くエネルギーになる。心に空虚な部分ができれば、そこに新しい何かが入ってくる。
泣いて泣いて泣ききってさっぱりし、そこから出直す。日本列島には、喪失感を抱きすくめてゆく精神風土の伝統がある。それがまあ、平安朝の「あはれ・はかなし」の美意識になり、「無常」や「わび・さび」へと引き継がれていった。「別れのかなしみ」というテーマにこだわる癖は、万葉集から現在の演歌の泣き節まで続いている。そしてその喪失感が、日本人の新しもの好きな「進取の気性」の源泉にもなっている。
人間存在の悲劇性……このことも話せば長くなってしまうのだけれど、そもそも原初の人類が二本の足で立ち上がったことは、猿としての生きる能力を喪失してしまう体験だった。それは、きわめて不安定で敏捷性を失うと同時に、胸・腹・性器等の急所を外にさらして攻撃されたらひとたまりもない姿勢だった。それでも立ち上がったのは、それが密集した集団で行動するためには体をぶつけ合わずにすむ唯一の方法であり、二本の足で立っていれば体が占める空間のスペースが最小限で済むからだ。まあ、押し合いへし合いしながら行動しているうちに、気がついたら誰もが二本の足で立ち上がっていた。なんだか簡単なことのようだが、それは猿としての生きる能力を失う決定的な事態であり、地球の歴史でたった一回だけ起きたことだったし、それでも人類が生き残ってくることができたのは、それによって一年中発情している猿になり、圧倒的な繁殖力を獲得したからだった。二本の足で立てば体の負担は大きくなって寿命は短くなり、天敵の餌食になる機会も増えたのだが、それ以上にたくさんの子を産んでいった。
というわけでそれは、猿としていったん滅亡し、人として再生してゆく体験だった。
滅亡と再生……日本列島は気候は温暖で水も豊かだしとても住みよい土地のようだが、地震や台風に遭遇すればあっという間に地域が全滅してしまうという、災害のとても多いところでもある。それでも人々は、その「世界の終わり」を受け入れ、そこから生き直すということを果てしなく繰り返しながら歴史を歩んできた。まあ、海に囲まれた島国だから、どこにも移住してゆくところがないし、どこからも侵略される心配がないから、あわてる必要もなかった。
原初の人類が二本の足で立ち上がったのも、サバンナの中の孤立した森で、ライバルの猿も大型肉食獣もやってこない場所だった。
人は、「世界の終わり」の「喪失感」を抱きすくめながら生きはじめる。その悲劇性と同時に、それとは裏腹な楽天的なダイナミズムによって人間的な知能や文化が進化発展してきた。
ともあれ日本列島には、「喪失感を抱きすくめてゆく」というメンタリティの伝統がある。喪失感を抱きすくめながら、心は「異次元の世界」に超出してゆく。その悲劇性と、その楽天性。現在のこの国の若者たちだってそのようにして「かわいい」とときめいているのだし、それはまた、人類の普遍的なメンタリティでもある。

4・ポップカルチャーの賑わい
90年代初頭のバブル崩壊直後に大ヒットした『高校教師』というテレビドラマは、教師と女生徒が心中するという、救いようがなく暗いストーリーだった。日本人にとっては、喪失感を抱きすくめてゆくのがひとつの総括の作法であり、そこから生きはじめることによって新しいムーブメントを生み出してゆく。
終戦直後であれ、オウム事件であれ、バブル経済の崩壊であれ、秋葉原通り魔事件であれ、東日本大震災であれ、「世界の終わり」という気分はひとつのカタルシスになる。そういう気分に浸ることを、昔の人は「みそぎ」といった。日本人は、そういう気分を共有することによって前に進んでゆく。
喪失感に浸された若者たちがいる。彼らによる「かわいい」のポップカルチャーのブームはバブル崩壊を契機にして本格化し、外国からは「クール」ともてはやされるようになってきた。
しかしその他愛ないときめきの上に成り立った文化は、この国の伝統である「喪失感を抱きすくめてゆく」ということがなければ豊かに花開くということはない。そして現在の初音ミクというボーカロイドの命を持たない異次元の声と姿を祀り上げてゆくムーブメントはもう、そうした「喪失感」の必然的な帰結だともいえる。彼らは、異次元の世界にさまよい出てしまうその「喪失感」と戯れている。
人の心の「喪失感」なしに初音ミクというアイドルは成り立たない。
「あはれ・はかなし」の伝統なのだ。
「生命賛歌」は文明社会のひとつの制度的な思考であり、この世に生まれ出てきたことは取り返しのつかない過ちである、という思いもまた、人間なら誰の中にも潜んでいる。母親の胎内にいたとき、世界は完結し充足していた。とすれば、生まれ出てくることは「世界の終わり」であり、人はそこから生きはじめることを余儀なくされる。
 この世に生まれ出てきたことの喪失感。人は、存在そのものにおいて、すでに喪失感に浸されている。生きてあることは、喪失感を抱きすくめてゆくことだ。
いつの時代も、幸せ感に浸りきっている若者なんか、そうそういない。能天気なようでも生きてあることのいたたまれなさとかなしみを避けがたく抱え込んでしまっているのがこの世代で、彼らの「かわいい」の文化の底には「喪失感」が息づいている。そうして他愛なく「かわいい」とときめいてゆく。
若者が幸せ感に浸っている時代なんて、若者文化が低調であることの証しでしかない。いや、いつのときもそんな時代などあるはずもないし、とくに現在のこの国の若者文化の賑わいが世界をリードしているとすれば、それほどに彼らは深く喪失感に浸されているということの証しでもある。
バブル崩壊以後の大人たちが仕掛ける消費文化は停滞気味であるとしても、若者たちのあまり金のかからない文化運動は、けっして低調ではない。そりゃあ、マンガ喫茶でマンガを読みふけることなど日本経済の活性化には何ほどの役にも立っていないのだろうが、世界に誇る「ジャパン・クール」のマンガ文化はそうやって支えられている。
そしてここで問おうとしているネット社会での「初音ミク」現象の盛り上がりも、「世界の終わり」の「喪失感」が共有された文化以外の何ものでもない。

5・世界の終わり
若者が喪失感や飢餓感なしに生きていられる時代などない。彼らはバブル崩壊のそのとき、国家や社会を恨むというようなことはなかった。バブルの余韻を引きずっている大人たちに対する深い幻滅とともに、時代の喪失感をそのまま抱きすくめていった。
秋葉原通り魔事件が起きたのが2008年で、バブル崩壊以後の「失われた二十年」を総決算するように起きた事件だった。
そのころ初音ミクを中心にしたボーカロイドを使った曲で盛り上がっていたネット社会に、まるでこの事件を予言しているような『忘却心中』という曲が大ヒットしていた。
いや、具体的に事件のことを歌っているわけではないのだが、まず「たとえば明日君が死ぬとしたら、今日のうちに何がしたい?生きた証を残そうか」という歌詞ではじまり、「世の中は勝ったものが正義の歴史とともに何もかも忘れて動いてゆく、だから忘却心中しようか」というふうに続いてゆくわけで、喪失感と人恋しさの果ての心中、これは事件の犯人の気持ちにピッタリではないかと思える。彼がこの歌を知っていたのかどうかは知る由もないが、彼には自殺願望がつねにあり、世の中の愛する人たちと「心中」したかったのだ。いやなやつを殺したいのではない、愛する人と死にたかった。つまり、そういうかたちで「世界の終わり」を迎えたかったのではないだろうか。
因果なことに「世界の終わり」は、人類普遍のカタルシスなのだ。
この歌の最後は、「ありがとう、私の血のぬくもりと、覚えています、あなたの手のぬくもりを」と結ばれているのだが、犯人が切に願ったのも、そういう体験だったのかもしれない。
彼はべつに世の中を恨んでいたわけではなく、わりと社交的で誰よりも人が好きだったし、ただもう人と一緒に死にたかったらしい。
それは人類滅亡を夢見た、いわば無理心中だったのであり、その夢をネット社会の若者たちが共有し祀り上げていった。現在ボーカロイドの音楽シーにはたくさんの人類滅亡賛歌が発表され支持されているし、そのテーマはもう現在のアニメやマンガの一ジャンルとして定着してもいる。
彼は死に損なったが、その人生はすでに終わっている。
彼が絶望したのは、むしろネット社会だった。いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる他人を誹謗中傷ばかりしている人たちがいて、彼のネット社会での会話ツールがさんざん邪魔されていた。マンガやネット社会での会話は生きる励みになるというのが彼の持論で、それが叶わなくなったことが事件の引き金になったのだとか。そしてそういう嫌がらせに対する幻滅や人恋しさや死にたくなるような喪失感はネット社会の若者たちにもよくわかるらしく、一時期はまるで英雄か神のように持ち上げられたりしたわけだが、とにかく初音ミクを中心にしたネット社会では、他愛なく人と人がときめき合うことができるコミュニティが目指されていた。それができればわれわれは生きてゆくことができる、と。
犯人の喪失感と人恋しさの闇は深く切実だった。彼は、そういうかたちで「世界の終わり」の「喪失感」を抱きすくめようとした。ともあれ喪失感のない若者なんかいないのだし、それは時代の影が引き起こした事件だったともいえる。世間では、これを契機にして若者たちは凶悪化してゆくだろうといわれたりもしたが、そうはならなかった。むしろ逆に「草食男子」という言葉が流行してきた。「草食」でも生きられるような若者だけの文化がさらに成熟していったからだ。
日本列島の文化の伝統は、「喪失感」を抱きすくめてゆくことにある。
その草食男子現象は、彼をして犯行に走らせた契機が、人生の「負け組」であることの鬱屈とか社会に対する怒りとか、そういうことではなかったことを意味している。たとえ負け組であっても、若者たちが共有しているのはそうした鬱屈や怒りではなく、「どうして生まれてきてしまったのだろう」という「かなしみ=喪失感」であり、彼がそれを抱きすくめてゆくには、その闇はあまりに深すぎた、ということだろうか。抱きすくめてゆくことができずに、いつも自殺願望を募らせていた。若者はその喪失感を抱きすくめたところから生きはじめるしかないのだが、彼にはそれがついにできなかった。
喪失感は、勝者になれば胸の奥に封じ込めることができるが、この世に生まれ出てきてしまったこと、すなわち生きてあること自体が敗者だともいえるわけで、その喪失感を抱きすくめてゆくところでこそ人類の文化は進化発展してきた。
「産んでくれと頼んだ覚えはない」というのが若者たちの常套句で、この世に生まれ出てくることの喪失感こそ人の人たるゆえんなのだし、それなしに人間的な知性や感性が育ってくることもない。少なくともこの国の伝統はそういうことの上に成り立っているわけで、そのように「世界の終わり」の「喪失感」を抱きすくめるようにして、今、初音ミクというボーカロイドを祀り上げるムーブメントが世界中に広がっている。
 この世に人類滅亡ほどめでたいことはない。人は、その「世界の終わり」から生きはじめる。そのとき秋葉原事件の犯人とネット社会の若者たちは、「人類滅亡の願い」共有していた。世の評論家たちはこの事件の総括をきちんとできないままで終わってしまったが、ボーカロイドの音楽シーンでは、『千本桜』をはじめとして、以前にも増して「人類滅亡の歌」が花盛りになっている。
人の心は、「人類滅亡」を抱きすくめながら華やいでゆく。少なくともこれは、この国の伝統的な世界観であり美意識でもあり、だから憲法第九条などというきわめて非現実的な思想が戦後ずっと支持されてきた。
 初音ミクはもう古い、といっても、そのブームが世界中に広がっているということは、世界から風が吹き返してくるということもある。
 初音ミクブームはもう、世界レベルで考える段階にさしかかっている。
 何より初音ミクは十七歳から年をとらないのであり、初音ミクもふけたなあという感想は持ちようがないわけで、この年代の少女の普遍的な魅力は初音ミクで極まっている。
 初音ミクの人気を支えていたのは、最初は二十代から三十代にかけての若者が中心だったが、今や中学生にまで年代が下りてきている。そうやって、ファン層がどんどん世代交代しはじめており、普遍的なひとつの通過儀礼のようにもなっている。
初音ミクはもう古い」といいたがるのは、あなたが年をとったというだけのこと。とにかく現在の初音ミク人気は、一過性のブームではないところの、人類史的な普遍性を獲得できるかどうかという段階にさしかかっている。
 初音ミクは、他愛ないときめきと人類滅亡の夢を携えてこのあとの時代も駆け抜けてゆくことができるか。