美しい人・神道と天皇(156)

仏教伝来以前の日本列島に、呪術=アニミズムの歴史などなかった。これはもう、何度でもいいたい。縄文・弥生時代の社会が原始宗教(アニミズム)の上に成り立っていたという歴史解釈なんか信じない。
日本人がいかに宗教心の薄い民族かということは誰もがわかっていることなのに、それでも古代以前は原始宗教(アニミズム)まみれの生き方をしていたと誰もがいう。おかしいではないか。古代には仏教が伝来し、そのあと仏教がどんどん広がってゆく歴史を歩む中でしだいに宗教心が薄くなってきただなんて、ありえないだろう。われわれ日本人は、仏教のおかげで宗教心を薄くしてくることができたのか。ばかばかしい。もともと宗教心などない民族だったから、お上から仏教を押し付けられてもまるごと宗教に染まってしまうことがなかった、と考えるのが自然な論理の筋道というものだろう。もともと宗教心が薄い民族だったから、仏教も時代とともにどんどん変質し形骸化してきたのだ。
古代以前の日本列島の住民は、仏教の歴史を負ってしまっている現代人よりも、もっと宗教心が薄かったのだ。
また、古代以前にはたんなる祭りの習俗にすぎなかった神道が「国家神道」という宗教に変質してきてしまったのは「神仏習合」というかたちで仏教の影響を受けてしまったからだが、そのあげくに明治政府が「国家神道」を仏教の上位に据えたのは、もともと民衆のたんなる祭りの習俗だった神道が時代とともに国家権力に吸収されながらどんどん宗教化してゆき、仏教は逆に宗教的な性格がしだいに骨抜きになってゆき非宗教化してきた、という歴史がある。
江戸時代に逆転のメルクマールがあったのかもしれない。賀茂真淵本居宣長から平田篤胤にいたる国学の隆盛によって「国家神道」=「日本中心主義」の思想がどんどん強化されていったし、仏教は幕府の庇護に安住しながらさらに形骸化していった。
日本人が迷信深くなるためには「国家神道」のほうが有効だったし、民衆を迷信深くさせてしまう方が国家権力の支配は強化される。江戸時代には、すでに「稲荷信仰」という迷信が流行していた。まあ「稲荷信仰」といっても、その本質は「神仏習合」の思想の上に成り立っているわけで、「白狐」という妖怪はもともと中国伝来のものだった。
とにかく縄文・弥生時代の日本人は、迷信深かったのではなく、仏教伝来以後に少しずつ迷信深くなってきたのだ。
起源としての神道は仏教に対するカウンターカルチャーとしての非宗教的なムーブメントとして生まれてきたのだが、「神仏習合」によって、いつの間にか「国家神道」という仏教よりももっと宗教(=迷信)らしい宗教(=迷信)になってってしまった。

縄文・弥生時代を、原始宗教(アニミズム)で語るべきではない。たとえ世界中の先史時代がそうであったとしても、日本列島の歴史にもそのまま当てはまるとはいえない。
宗教は、文明国家の発祥の副産物として生まれてきた。そのとき人類は「支配する」とか「裁く」ということを覚えたわけで、神を頂点とする支配の構造を持った世界をイメージしていった。そうして王は、神の代理としてみずからの権力を正当化していった。
いまだってアラブ・イスラム社会では、神=宗教が権力の正当性を保証する装置として機能している。国家の権力だけでなく、男の女に対する権力だって、神=宗教によって保証されている。
ユダヤ教徒だって、世界や人を支配することにものすごく熱心だ。彼らは「裁かない=赦す」ということをけっしてしようとしない。何しろ二千年前にイスラエルという国家を追われた恨みを現在まで持ち続けてきたし、ナチスドイツも永遠に許さないに違いない。
宗教とは支配し裁く装置なのだ。四方を荒海に囲まれていた日本列島にはそんな宗教=文明が長く伝播してこなかったわけで、その間に宗教が存在しない集団の文化をそれなりに洗練したかたちで育ててくることができた。
神道の起源を考えるためには、まずそういう問題設定ではじめねばならない。
仏教伝来以前の日本列島に宗教は存在しなかった。宗教が存在しない国だったから、仏教を輸入したのだ。宗教が実際に疫病を鎮めるとか五穀豊穣をもたらすということなどありえないわけで、人々がそれを信じるかどうかという問題があるだけだ。仏教伝来以前に信じる宗教があったら、仏教を輸入する必要なんか何もない。
そのとき権力者は、仏教は疫病を鎮め五穀豊穣をもたらす、といって民衆社会に広めてゆこうとした。しかし民衆はそんなものを信じなかった。もともと「信じる」という宗教的なメンタリティを持っていなかったのだから、信じられるはずがない。
そうして仏教定着のために、それまでの「祭り」の習俗が禁止されたり制限されたりするようになってきた。
古代以前の奈良盆地の都市集落の運営は、世界の原始的な都市国家のような「祭政一致」ではなく、すでに近代的な「祭政分離」でなされていた。世界の古代の王はすべて支配者であると同時に祭司でもあったが、邪馬台国での実際の政治支配は卑弥呼の弟がやっていたし、それは、この国の天皇が歴史のはじめから政治的な支配者ではなかったことを意味する。
つまり、天皇が支配者であるかのような体裁をとりながら、じっさいの支配権力はその下の貴族にあった。だから天皇は、女でもよかった。また、最初は女だったのが男に代わっていったのは支配者であることを偽装するためには男のほうがさまになるし、社会が男中心の構造になっていったからだろう。文明国家の政治や戦争は男が担っているのだし、税を取り立てるためには、民衆社会においても男が中心になって働かせなければ生産性は上がらない。もともと男は農業をすることに熱心ではなかったわけで、だから縄文時代の一万年は大規模な農業が生まれなかった。
古代以前の民衆社会の男たちのほとんどは、ただの風来坊だった。
そして仏教伝来以降は、文明国家としての歴史を歩みはじめるために男が中心の社会に転換してゆく過渡期だったわけで、そのための仏教=宗教だった。

「祭政」の「祭」が「呪術」であるとき、「祭政一致」になる。そのとき日本列島が「祭政分離」であったということは、その「祭」は「呪術」ではなくたんなる「祭り」であったことを意味する。
卑弥呼は祭司であったが、「呪術師」ではなく、祭りの主役としての歌や踊りの名手だっただけなのだ。まあ卑弥呼が実在したという証拠など何もないが、起源としての天皇が祭りの主役としての歌や踊りの名手だったということは想像がつく。
原始的な集落は、宗教(=呪術)など機能していない方がよりダイナミックな集団性が生まれる、ということを前回のこのブログで書いたわけだが、弥生時代奈良盆地で大きな都市集落が生まれてきたことはそれを証明しているのであり、そういう状況から起源としての天皇が生まれてきたに違いないのだ。
人類の原始集落は、支配者の登場によって大きくなってきたのではない。大きくなったことの結果として支配者が登場してくるのだ。
そして、奈良盆地の集落が大きくなってゆくときの人々の心の支えとして祭りの主役が天皇のような存在として祀り上げられていったのだ。
天皇はその本質において支配者ではなく祭司である……ということは誰もがいっていることではないか。祭司になってきたのではなく、最初から祭司だったのだ。そして日本列島では、祭司が支配者を兼ねることはなかった。古代以来、貴族や武士等の実際の支配者によって支配者を兼ねているように偽装されてきたわけだが、まあ古事記は、そのためのプロパガンダであった。

古事記なんかすべて嘘八百のことが書かれてあるのに、それが説得力を持ってしまう精神風土が日本列島にはある。嘘八百であることはわかっているのに、それでもあっさりと騙されてしまう。
天皇の祖先がアマテラスであることなんか嘘に決まっているのに、それでもそういうことにしておこうと納得してゆく。このことは江戸時代の戯作者である上田秋成古事記伝を書いた本居宣長に「嘘に決まっているじゃないか」と何度も食い下がったのだが、そのたびに宣長は「そんな子供じみたことをいってもしょうがない、そのときはみんなそれで納得していたのだ」と答えている。それはきっと、そうだったのだろう。
嘘八百を生きることのカタルシスというものがあるし、それが日本列島の伝統なのだ。
幸せであろうとあるまいと人が生きてあることの「いたたまれなさ」というのはあるわけで、そのことの上に立てばどんな世の中であろうと「憂き世」であるに決まっているし、心がそうした現実のこの生やこの世界から超出してゆき「嘘八百の世界に遊ぶ」ことはもう、普遍的な人間性であるともいえる。
であればそのとき本居宣長は、上田秋成に対して「きみは人が生きてあることのいたたまれなさやなやましさというものが何もわかっていない」といっているのだろう。
嘘八百の世界に遊ぶ」ことは、人間性の切実ないとなみなのだ。そんな「真実一路」で生きたって息苦しいばかりではないか。
今どきの右翼は戦時中のことに関して嘘八百を振り回してばかりいるのだが、それでも真実一路で生きているようなふりをけっして手放さない。そうやってときには不用意にナチズムを賛美したりして世界中から顰蹙を買ったりしているわけだが、彼らはもう、そういうことにしておかないと生きていられない強迫観念から逃れられないらしい。
嘘八百の世界に遊ぶ」ことは人間なのだからしょうがないのだけれど、遊んでいいことといけないことがあるに違いない。遊びを承知でそういうならともかく、それが客観的な真実であるかのようにいうのは、フェアではない。
ひといちばい嘘つきのくせに、どうしてそんなふうに真実一路で生きているようなふりをするのか。
天皇の祖先がアマテラスである」とか「神武天皇が支配者として古代以前の奈良盆地にやってきた」というようなことは、あくまで「遊び」であって「客観的な真実」ではないし、古代人は「客観的な真実」だけを史実として記録してゆくというような習慣はなかった。「嘘八百の世界に遊ぶ」ことのほうが大切だったのだ。
そんな、それが現実のこの生でありこの世界であるかのような嘘をつくべきではない。それは「幽霊を見た」と思い込んでゆくのと同じで、この生やこの世界に縛られて心を病んでゆくことにしかならない。

嘘をつくなら、この生やこの世界から超出してゆくような異次元的で奇想天外な嘘でなければ、ときめいたり心を洗われたりする体験にはならない。そういうことを古事記の物語が教えてくれている。
人は、嘘を信じる。これはもうしょうがないことで、人はこの生やこの世を嘆いている存在であり、この生やこの世から異次元の世界に超出してゆきたいのだ。嘘を真実にしてしまってはいけない。
古代人は、嘘を嘘として抱きすくめていったのであり、嘘であるからこそ大切にしたのだ。
たとえば、ヘイト感情をむき出しにしながら嘘をほんとうのように偽装する今どきの右翼の「フェイクニュース」を垂れ流すやり口は卑劣だ。しかも彼らはそれが正義のつもりでいるのだから、その愚かさと醜さはほんとうに手に負えない。まあ、支配者がそのお手本を示しているのだから、彼らだって正義だと信じ込んでしまうのは当然のなりゆきかもしれないのだが。
日本人はいつからこんなになってしまったのか。伝統というものが、ちゃんとわかっていないのだ。支配者とは別の自分たちだけの世界をつくるのが日本列島の民衆の伝統のはずなのに、支配者の後追いばかりしている。させられている、というべきか。そうやって今どきは、右翼と呼ばれる人体がいちばんよくわかっていない。
なぜか?
おそらく、明治維新から敗戦までの帝国主義軍国主義の歴史こそ、この国の伝統からもっとも遠いものだったからだ。彼らの思想は、この非伝統的な時代を伝統と妄信して回帰したがっている。

明治維新のことを「王政復古」といったりする。しかし、日本列島の歴史で「王=天皇」がじっさいの政治権力を握っていた時代が果たしてあっただろうか。
権力者はいつか必ず必ず滅ぼされるのが歴史の法則であり、天皇は権力者でなかったから1500年以上続いてきたのだろう。その起源から現在まで、じっさいの権力はつねにまわりの豪族や貴族や武士や政治家のもとにあった。天皇が17歳だった明治維新のときだってそうだったのだろうし、まわりの権力者はつねに天皇が権力者であるかのように偽装してきた。まあ天皇がそれを逆手にとって権力を持とうとすることもあっただろうが、そんなときは必ず首をすげ替えられたし、じっさいに殺された天皇だっているに違いない。
天皇なんかその起源から現在まで権力者が権力をふるうための道具として機能してきたのだが、とはいえ民衆にとっては心のよりどころだったし、日本列島の文化の伝統の上に成り立った存在というか、その体現者として機能してきた。そして天皇を利用してきた歴代の権力者である貴族や武士たちだってそのことは自覚していたし、天皇を最高権力者として偽装することは何も明治にはじまったことではない。江戸時代からじつはすでに「王政」だったのであり、薩長をはじめとする下級武士たちが幕府との権力闘争に勝っただけなのだ。江戸幕府だって天皇をそれなりに敬っていたし、そういうことを説く「国学」も幕府に規制されることなくどんどん広まっていった。
日本列島の民衆は、権力に対して従順だ。そのことは、江戸300年の歴史でみごとに証明された。だから明治政府も、それを踏襲し、さらには国家神道によって徹底的に民衆を洗脳していった。さすがに江戸幕府はそこまではしなかったから、それなりに民衆文化は花開いた。
神道は日本列島の伝統だが、国家神道はそうではない。国家権力が民衆を洗脳するなんて、日本列島の伝統ではない。民衆は民衆だけの文化を持っていて、それがむしろ権力社会に影響をおよばしてゆくのがこの国の古代以来の伝統なのだ。
古代の権力社会は仏教で民衆を洗脳しようとしていったが、けっきょくその民衆社会から沸き起こってきたカウンターカルチャーとしての古神道のムーブメントを取り入れ、「神仏習合」というかたちにしてゆくしかなかった。
ほんらいの神道は、宗教ではない、たんなる文化であり習俗なのだ。そしてそれは、それ以前の日本列島に宗教など存在しなかったことの証しにほかならない。
宗教の本質的なコンセプトは、この世界の構造を決定し、この世界を裁き支配することにある。しかし、宗教心が希薄な日本列島の民衆の伝統は、この世界を「混沌」のままに受け入れ、すべてを許し支配しないことにある。
なのにいまどきの右翼は、明治以降の国家神道の上に立って、この世界の構造を決定したがり、この世界を裁き支配したがっている。そんな宗教的思想は、権力社会と結託して生まれてきたものであって、少なくとも民衆社会の伝統ではけっしてない。日本人がすっかり権力社会に洗脳されてしまった明治維新から敗戦までの歴史の余韻に頭を冒されている彼らは、ほんらいの日本列島の全歴史を通じた民衆社会の伝統がなんにもわかっていない。彼らのいっている歴史伝統など、1868年から1945年までのたったの80年弱のことにすぎない。

何も決定しないし何も裁かない……そうすれば、この世界のたくさんの「不思議」と向き合うことができる。そうやって人の心は、なやましく活性化してゆく。この世の中に不思議でないものなんかない。だから「無常」とも「幽玄」ともいうわけで、まあそうやって今どきの変幻自在で「クール」な「かわいい」の文化が生まれてきている。基本的にそれは「弱いもの」の文化であり、人は根源において「弱いもの」であると同時に、「弱いものになる」存在でもある。右翼たちには、そういうタッチが決定的に欠落している。
「正しさ」は人格ではない。彼らには、それが人間的な魅力なるという幻想があるが、そうやって人を裁き支配したがる人間なんか、最終的には嫌われ者になるだけだろう。そうして、自分が好かれないのは不当だ、と憤懣=ルサンチマンを募らせている。
「弱いものになる」とは「情がある」ということ、「情がある」とは「人恋しさを持っている」ということ、おそらく人間性の基礎はそのようにできているのであり、それによって人類の歴史は進化発展してきた。「正しさ」によってではない。
国を愛そうと愛すまいと、人の勝手ではないか。日本人として支配は甘んじて受けるけど、それでも国を愛せといわれても困る。非国民といわれようと、こちらだって彼らに負けないくらい「伝統とは何か」と問うている。国なんか愛していないのが日本人であり、われわれは、日本人や日本列島の自然風物を愛しても、国家などというものはよくわからない。
まあ、日本人の宗教心が薄いということは、国家という存在に対する実感も薄いということで、少なくとも現在の日本列島の民衆の多くは、国家神道という宗教なんか信じていない。江戸時代までは、国家神道よりももっと神聖で純粋なほんらいの神道を守って歴史を歩んできた。そういう歴史の無意識は、たかだか80年の明治以来の記憶よりももっと濃くわれわれの中に残っているはずだ。
ともあれほんらいの神道は無主・無縁で人と人が他愛なくときめき合う祭りの文化習俗であって、人を支配し裁くための政治とも宗教とも無縁のものである。日本列島の民衆の集団性のダイナミズムは、そのようにしてときめき合い連携してゆくことにある。縄文以来の日本人は、「混沌」とした集団におけるそういうときめき合い許し合う関係性を育ててきたのであって、明治以来の国家神道による帝国主義のように、国家を中心にした「秩序」を志向する制度の下で人と人が裁き合い支配し合う関係性で歴史を歩んできたのではない。
関東大震災のときの在日朝鮮人大虐殺という民衆暴動など、まさに人を支配し裁きたがる衝動が爆発したものであり、それほどに人々は国家神道帝国主義プロパガンダに洗脳されてしまっていたわけで、その余韻として現在の。在特会等のヘイトスピーチが起きてきている。もともと日本列島の民衆社会にそんな伝統はないはずなのに。
とはいえ日本人であれ外国人であれ、人間なんて基本的には他愛ないときめきを持った生きものであり、人はいつだってそういう関係性を生きたいと願っている。それこそこの世界の片隅にはそういう関係性がたしかに息づいているのであり、おそらくそれが人類史の最終的な着地点になるのだろう。新しい時代は片隅からやってくる。そのようにして古代王制から現在の民主主義へと歴史は流れてきたわけで、人類史をリードしているのは、じつは権力者でもインテリでもないのだ。
よりよい社会をつくるためとかなんとかと偉そうなことをいってもしょうがない。新しい社会は、名もない民衆のときめきやかなしみを起点にして生まれてくる。すべては、そこからはじまる。そしてけっきょくはそこに落ち着いてゆく。
この世にあなたが存在することのときめきとかなしみ、人間社会の基礎はそこにあり、そのことを味わい尽くして生きているのは誰か……?それが問題だ。もちろんそれは僕ではないが、そこを問わなければ歴史や伝統を考えたことにはならない。
「美しい人」が歴史を変えるのではない。「美しい人がいる」と思うところから歴史が変わってゆくのだ。つまり、そう思うことのよりどころとして古代以前の奈良盆地の祭りから踊りの名手としての「巫女」が生まれ、それが天皇制へとつながっていったということ。