祝福論(やまとことばの語源)・「辻が花」5

長くなるけど、先を急ぐのでこのまま載せてしまいます。
村上春樹の「1Q84」という最新作は1980年代という時代がモチーフになっているそうだが、この時代をどう評価分析するか、今いろいろいわれている。
われわれ団塊世代は、この時代を、30代のはじめから40代のはじめという年代を生きた。この世代こそ、この時代の真っ只中に置かれていたのであり、したがって、俺たちが一番よく知っている、という人も多い。
若者は、社会に背を向けたり置き去りにされたりする部分もあるし、社会を担う役目もまだ与えられていない。
それに対して30代40代は、そこにのめりこむにせよ批判するにせよ、避けがたく深くかかわってしまう。
80年代の栄光。バブル景気とともに、いい気になってはしゃいでいる人がたくさんいる時代だった。経済のことだけでなく、「ニュー・アカ」ブームなどといわれて思想や哲学の分野でも大いに活気づき、さらにはビルや住宅もどんどん新しく建て替えられて、時代の空気も町の景色も一新されゆくようだった。
そんな時代で、とりわけ団塊世代がいちばんいい気になっていた。
大人や社会に反抗的な「若者」が、やがて「大人」じしんになって社会に参加してゆくことの「軋み」は、ひとつの通過儀礼であるのかもしれない。
しかし80年代のそういう時期を迎えた団塊世代は、ごくスムーズに「大人」になっていった。気がついたら、自分たちが社会の中心にいた。それはもう、抗しがたい時代の流れだったのであり、彼らは、時代や社会から祝福されるようにというか、おだて上げられるようにして大人になっていった。
その時期に働き盛りの世代であった彼らには、俺たちが時代や社会を担っていた、という自負があるのだが、そうやって時代の流れに呑み込まれていた、ともいえる。
彼らは「大人」になるための「軋み」を体験していない。そしてそれは、いつまでたっても若いつもりでいる、ということでもある。
ともあれ、彼らは、どの世代よりも「80年代」という時代と深くかかわっていた。その時期に、彼らの「大人」としての人格というか、いつまでたっても若いいつもりでいる人格というか、そういう世界や人間に対する感受性が形成されている。
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それが、いったいどんな人格なのか、どんな感受性なのか、めんどくさいから今は問わない。
というか、僕にはそれを語る能力も資格もないのかもしれない。
そのとき彼らは時代にときめいていたし、僕はときめいていなかった。
「80年代」になって、気がついたら僕は、バスから降りていた。
バスがいやだったのではない。バスに乗っていい気になっている自分がいやでいやでしょうがなくなってしまったのだ。
吉本隆明氏が「海燕」という文芸雑誌に「ハイ・イメージ論」という連載をしていたのは、たしか80年代に入ってすぐのころだったような気がする。正確にはよく覚えていない。大体そんな時期だった。
その「ハイ・イメージ論」のなかに「ファッション論」という章があった。
吉本氏は、もともと「起源論」を語りたがる傾向が強い。だからとうぜん「ファッション論」でも、人類史における衣装の起源が語られていた。
吉本氏によると、衣装の起源は「防傷防寒の道具」としてあり、やがてそこに「霊魂」という概念が付与されてゆくことによって「おしゃれ」の機能も持つようになっていった、ということなのだそうだ。
なんだかもっともらしいが、僕は、この説明がどうしても納得できなかった。
そんなことあるものか、と思った。
それ以前まではけっこう熱心な吉本ファンだったのだけれど、読みながら、なんだか知らないが、無性に腹が立ってきた。
くだらないことをいう、と思った。
たぶんこれが、僕にとっての最初の思想体験であり、80年代の始まりだった。
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衣装は、「防傷防寒の道具」として始まったのではない。それは、ことばが「伝達の道具」として始まったのではないのと同じことだ。
それは、二本の足で立っていることの居心地の悪さをなだめようとしたところから始まっているのであり、そこから、見られることの居心地の悪さも生まれてきた。
現在の文化人類学のフィールドワークにおいても、防傷防寒の道具として衣装を着ている未開人などどこにもいない。未開であればあるほど、それは、実用的な意味を持たない。「ペニスケース」しかり、入れ墨や体のペイントだって広義の衣装といえるだろうが、それらは「防傷防寒の道具」ではない。ただの「だて」の衣装だ。
彼らがなぜそんなものを纏(まと)おうとするのかといえば、そうせずにいられない「存在の不安」があるからだ。
そういう原初的な実存感覚を「霊魂」というのなら、衣装の歴史は、「霊魂」から始まっているともいえる。
そうして、文明の発達とともに人間の体がやわになってきて、そこではじめて「防傷防寒」という問題が生まれてきたのであり、文明人ほど、衣装に「防傷防寒の道具」としての実用性を意識している。
まあそのほかにも、吉本氏の「ファッション論」は、何から何まで気に入らなかった。衣装の起源から「おしゃれ」とは何かということまで、僕が考えることとはまるで違っていた。
僕は、自分が否定されているような気がした。
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だから僕は、吉本氏に手紙を出した。あなたの「ファッション論」は全部だめだ、考えることの程度が低すぎる、と書いた。書くからにはそのわけを明らかにする義務があると思ったから、便箋50枚くらいになった。
それを、吉本氏が読んでくれたかどうかはわからない。
ただ、「ハイ・イメージ論」が単行本になったときには、かなり書き換えられてあり、「防傷防寒の道具からはじまった」という記述は消えていた。
その単行本を読んだとき僕は、大人に上手に言い訳されているような不快感がこみ上げてきて、その本を壁に投げつけた。
吉本氏は、僕の手紙を読まなかったかもしれない。しかし僕自身は、それを書いたことによって、少なくとも「ファッション論」に関してなら自分のほうがずっと先を考えている、と思った。
少なくとも人類の歴史における「起源」についての思考ならぜったい負けない、と思った。
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「ファッション論」を書いたあとのある対談で吉本氏は、「とりあえずファッションにおける<エロス>の側面は外して考えた」、と語っていた。「エロスの側面」とは「実存の側面」ということだ。しかし「愛」の問題として「対幻想論」を主張した人が、そんなことをいっていいのか。そういう「エロス=実存」の問題を抜きにして「ファッション」は語れるものなのか。つまらな言い訳しやがって、と思った。
吉本氏は「ファッションは身体の霊性の表現である」といった。だから僕は、「そうじゃない、それは他者に見られるために着られているのではなく、すでに見られている他者の視線をどう処理するかとして按配されているのであり、そうやって身体をなだめているのですよ。あなたみたいなダサい<イモ>が<身体の霊性>を表現しようとするのだ。<ファッション>であろうとあるまいと衣装は、<すでに見られている>という前提の上に成り立っているのであり、おしゃれなファッションなら、なおさらその問題を切実に抱えているのです」、と書いてやった。
むこうは、ことばでかっこつける芸を持っているだけじゃないか、と思った。
まあ、出版文化においてはそれがすべてなのだろうけど。
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これが、僕にとってのほとんど唯一の「80年代」を感じる体験だった。
80年代に入って僕は、時代や社会に対する反応をどんどん失っていった。
だから、80年代がどんな時代であったのかということは、よくわからない。
ただ、直立二足歩行のことがますます気になってきた時代だった、といえるだけだ。
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「時代と寝る」、という。
そのとき団塊世代の多くは、時代の新しい景色、新しい空気、新しい思想にときめいていた。
そしてそれが俺たちの人生や人格を豊かで充実したものにした、と彼らはいう。
そうだろうか。それはただ、彼らがそれほどにやすやすと時代にたらしこまれていたというだけのことかもしれない。
どんな時代だろうと、時代などというものに興味があろうとなかろうと、そこで人は飯を食ったり恋をしたりセックスしたりという「生きる」といういとなみを繰り返し、そして死んでゆく。そういう生きるいとなみさえあればそれでじゅうぶんだという人格は貧しいのか。ただ生きていただけ、という人生や人格は貧しいのか。
ただ空気を呼吸していただけです、というような極めて限定的な生存の仕方のほうがかえって豊かな人格をはぐくむということはある。
この世の中にはいろんな女がいると舌なめずりして吟味してゆくことは、「あなた」だけが女であり女のすべてだと思う感受性より豊かだといえるのか。
「今ここ」においては、誰にとっても「あなた」が女のすべてであり、人間のすべてなのだ。団塊世代は、果たして「他者」に対するそういうタッチを持っていただろうか。
彼らは、どの時代のどの世代よりも豊かに充実して生きた、といううぬぼれがあるらしいのだが、それはあくまでそういううぬぼれがあるというだけで、絶対的に彼らの人生や人格が豊かで充実していたとはいえない。
80年代は特別な時代だったといわれても、だからどうなんだ、という話でもある。
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80年代は、繁栄する社会のそうした「システム」から個人がからめ取られ追い詰められていった時代である……たぶん村上春樹はそういいたいのだろう。そしてそこからの救済の道を探ろうとして、オウム真理教の問題にかかわっていった。
で、今回の「1Q84」はどのような救済の道が提示されているだろうか、と注目されているらしい。
しかし僕自身としては、どんな救済だろうと、今となってはあまり興味がない。
「システム」が個人を追い詰めるのではない。「システムに浸された人間」が個人を追い詰めているのだ。
なのに村上春樹は、いつだって「システム」のせいにしてしまっている。それは、ずるい、「システム」のせいにしておけば、個人の心は血を流さない。その身もだえを甘美なものとして描ける。
どうせ娯楽小説なのだからそれでいいのだろうが、しかし現実の精神を病む現場では、心が血を流しているのだ。
もちろんそこのところを村上春樹が書かねばならない義理はない。
しかし、血を流す人間関係を何も書いてないじゃないか、という不満の声は当然あるに違いない。
人間が人間を追い詰めるのだ。怖いのは、そこのところだ。ドストエフスキーはそこのところを書いたし、村上春樹は何も書いていない。
イスラエルのスピーチでも、卵と壁のなんとやらと耳障りのいい比喩を弄して、何もかも「システム」のせいにしてしまっていたじゃないか。
80年代に精神を病んでいった人はたくさんいるだろう。しかしそれは、時代が追い詰めたのではなく、80年代にうつつを抜かしていた人間たちが追い詰めてしまったのだ。
彼が書いたオウム真理教のレポートだって、そこのところをちゃんと書けなかったから、中途半端になってしまったのだ。
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80年代がどんな時代であったかということは、結論ではない。問題はそこから始まるのだ。
そこで新しい文化が生まれたということは、古い文化が滅んだ、ということでもある。しかし80年代を担っていた団塊世代には、自分たちが何を滅ぼしてきたかという自問はない。
いつだって時代にうつつを抜かして生きてきた彼らは、自問することの希薄な世代である。
子供のころの野球に始まり、ビートルズブーム、フォークソング全共闘運動、そしてニューファミリーブームから80年代の繁栄へと、右肩上がりの経済成長とともにいつだって時代に浮かれ自分に浮かれして生きてきた世代なのだ。
だから、自分の子供が引きこもったり精神を病んだりしても、彼らは自問するということをようしない。それもまた、時代のせいだと思っている。
人間が人間を追い詰めるのだということを、村上春樹だろうと僕のまわりの連中だろうと、まるで考えようとしない。
ひたすら時代の分析に熱中して、自問するということがない。村上春樹内田樹先生も吉本隆明氏も団塊世代も、みんなそうやって、自分たちが何を滅ぼしてきたかと問う視線を持っていない。
彼らは、何を滅ぼすべきか、ということばかり問うている。そうやって「システム」の邪悪さばかり問題にしている。
そうじゃない、そういうことをいうあなたたちの存在が邪悪なのだ。
人間が人間を追い詰めるのだぞ。
「システム」に追い詰められているという自覚など、ただのナルシズム(自意識過剰)なのだ。そういうナルシズム(自意識過剰)を、村上春樹は世界中の人々と共有しているし、吉本隆明氏は団塊世代と共有してきた。そして内田樹先生もまた、現代人のそういうナルシズム(自意識過剰)につけこんで、人気者におさまっている。
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団塊世代は、子供のころの「三丁目の夕日」が自分の「原風景」として残っていることを自慢する。
しかしそういう「夕日」をあとの世代と共有できなくしてしまったのは、いったい誰なのか。「システム」じゃない。まさしく彼ら自身なのだ。
彼らが自分の中のそうした「原風景」をうっとりと追憶できるのは、それほどに「滅びる」ということに鈍感だからだ。
そうやって彼らは、滅ぼしてしまったものの特権を行使している。
彼らは自分たちが滅ぼしたとは思っていない、「システム」が滅ぼしたと思っている。
その懐かしく充実した体験によって自分はより豊かな人間になれた、とうぬぼれている。
何が豊かなものか。そうやって他人および他の世代と比べてうぬぼれるということばかりしているのが彼らの思考回路なのだ。
誰だって、「自分」以上の豊かさなんか持つことはできない。
彼らが、他者の中にある何を持っているというのか。誰も、他者の中にあるものまで併せ持つことはできない。それでどうして豊かな人間になったといえるのか。
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人はなぜ直立二足歩行をはじめたのか。
人はなぜ衣装をまとうようになったのか。
これは、80年代の僕にとっての大問題だった。ただそれが、80年代という時代とどういう関係があったのかはよくわからない。
それ以外に時代の印象なんて、とくにない。
ポストモダンなんかよくわからないし、新鮮でもなんでもなかった。
80年代に何かが滅びていったという印象しかない。
何より僕自身が滅びていった。
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たぶん、やまとことばの何かもまたそこで滅んでいったのだろう。
「すべては両義的相対的である」というポストモダンの思想が幅を利かせていた80年代、吉本氏はそれを「重層的な非決定」といった。つまり、吉本隆明浅田彰柄谷行人もたいして変わりゃしない同じ穴のムジナだった、ということだ。
それに対してやまとことばは、「今ここが世界のすべてだ」という感慨のうえに成り立っている。この生の「外部」には何もない、という感慨。
そして辻が花の「空白」の花は、そういう感慨とともに、とろりとしたあでやかさを匂わせていた。
「空白=何もない」から「今ここが世界のすべてだ」という感慨に浸ることができる。それは、「すべては両義的相対的である」ということの重層性や多様性よりももっと豊かなのだ。
辻が花のコンセプトは、ポストモダンの思想なんかより、はるかに深くこの生に錘を垂らしている。
何が「両義的相対的」か、何が「重層的な非決定」か。そんな安っぽい思想・思考でいい気になっている連中がのさばっていたのが80年代だった。
それは、友禅染に席巻されて辻が花が滅んでいった江戸中期と同じような時代模様だったのかもしれない。
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何が滅びつつあるのかということも気づかずに、新しいものが出現してきたことに浮かれていた時代。
吉本氏は、「死が露出してきた」といった。これが、80年代を語る「ハイ・イメージ論」の主題だった。
しかしそうやって死に「物性」を与えて露出させるということそれ自体が、ほんらい「空白」であるはずの死のイメージを滅ぼしてしまうことにほかならなかった。
けっして露出しないものを「死」というのだ。
吉本隆明というおしゃれの何たるかもよくわからない鈍くさい運動オンチの鈍くさい思想家が「死が露出してきた」とはしゃぎながら、「死」を滅ぼしてしまったのだ。
それは、やまとことばの何かを滅ぼしてしまうことでもあった。
そしてそうやって「死」を滅ぼしてしまうことによって、それ以後のうつ病認知症や自殺やらの増加という社会病理があらわれてきた。
吉本さん、あなたはそうやって「死が露出してきた」と騒ぎながら、今日の社会病理を予見できていたのか。「それは資本主義の死が露出してきたということである」などというくだらないレトリックをもてあそんでいい気になっていただけじゃないか。それによって資本主義は死にはしなかったし、それ自体が資本主義の原動力になっているということがわかってきただけじゃないか。
「死が露出してきた」なんて、死を見つめていないことと同義なのだ。
80年代は、死を露出させることによって、死との和解を喪失していった時代だったのだ。
吉本氏に比べたら、「寂滅」とつぶやいて死んでいった植谷雄高氏のほうが、ずっと深くたしかに死を見つめていた、と思う。
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団塊世代は、あとの世代が「夕日」を体験する機会を奪っておきながら、あれが私の「原風景」だったと、うっとりと懐かしがって悦に入っている。自分たちは気持ちいいかもしれないが、はたで見ていてその表情は醜悪以外の何ものでもない。俺はこんな連中と一緒に生きてきたのかと、悲しくなってしまう。
そのようにやまとことばのタッチ(日本列島の歴史)を不用意に屠り去って生きながらあとの世代を追い詰めてしまったくせに、自分には豊かな世界観があるとか、充実して生きてきたとか、よくそんなくそあつかましいことがいえるものだ。
その薄っぺらな思考の、その無傷なあほづらは、いったい何なのだ。
現在の若者たちの多くは、新しいものが出現したと浮かれてなんかいない。団塊世代が傍若無人に滅ぼしてしまったこの国の歴史の「原風景」をけんめいに探そうとしている。
何が「両義性」か。何が「重層的な非決定」か。何が「リゾーム」か。何が「外部」か。ああ、くだらない。
彼らのようにたくさんのカードを集めていい気になるというような生き方は、現在の若者はもう、ようしない。彼らが探しているのは、大切な一枚だ。そしてそれは、大切なものなど何もないという、その「空白」の一枚のことだ。
彼らは、原風景など何もないという原風景を「原風景」として生きてゆかねばならない。
団塊世代をはじめとする戦後世代の通ったあとにはもうそんな風景しか残っていなかったし、しかしその「空白」の風景こそ、やつらが見たどんな風景よりも豊かであでやかなのだ。
希望は、ある。