感想・2018年12月27日

<世界は輝いている>
毎年のことながら、べつにいい一年でもなかった。
あと2・3日のうちに新しい電子書籍を3冊まとめて出そうと思っています。
題材は、「女性論」と「文化人類学的なこと」と「日々の雑感」、です。
やっぱり僕の資質では、タイムリーな政治思想とか社会学的なことはうまく語れません。
僕としては普遍的な「人文知」みたいなことをいつも考えているわけだけど、今どきはそういう基礎的な思考よりも即効的な知識のほうが求められている時代らしい。
まあ、こうして文章をネットに発表し続けているかぎり、できるだけたくさんの人に読んでもらいたいと思っているのだけれど、これじゃあだめかなあという無力感のほうが先に立ってしまう。
とはいえ芸能人の人気ブログだろうと有名知識人の著作だろうと、けっきょくのところ内輪の限られた言論空間で盛り上がっているだけで、人の世全般に届いているわけではない。
世の中は内輪の狭い世界で盛り上がったほうが商売になり、人の世全般を意識しているとかえって人気になれない。
政治商売だろうと経済商売だろうと知識商売だろうと、商売とはもともとそういうものなのでしょうね。
普遍的根源的なところを考えようとしても、なかなか相手にしてもらえない。しかしそれでも、「自分もそういうことを考えている」といってきてくれる人もいるわけで、人が人であるかぎり、そういうことを考えようとする動きが消えてなくなるわけでもなかろうとも思います。
学問の府としての大学だろうと出版業界だろうと、そういう商売にならない部分を守るということをしようとしているのだろうし、そうでなければ世も末でしょう。
あるいは、だんだん世も末になってきているのでしょうか。みんなして世も末だと嘆きながらますます世も末になってゆく、ということでしょうか。
たとえば、直立二足歩行からネアンデルタールクロマニヨン人までの古人類学のことでいえば、東大や京大の研究者だって表面的なデータに踊らされて薄っぺらなことばかりいっている。データなんて、いかようにも解釈できる。「人間とは何か」という基礎的な思考がいい加減なら、データの解釈もまた、かんたんにねじ曲がってしまう。
もっとみんなで「人間とは何か」ということを考えようよ、と僕としてはいいたいわけだが、そんなことは商売にならないらしい。
リチャード・ドーキンスは、「進化はゆっくりと遠回りするように起きてゆく。だからちょっとでも進化すればそれは生き延びるのに有利な個体として子孫を増やしてゆく」といっています。しかし、これは違う。先走ってちょっとでも進化したものほどさっさと死んでいって子孫を残せない。不利な個体も含めてみんなで進化してゆくから、ゆっくり遠回りになるのです。これはもう、最新の数学進化論の分析として常識になりつつあります。キリンの首は、長くないものが多数派を占めながら長くなっていったのだとか。
人類の直立二足歩行だって、もともと生き延びるのに不利な姿勢だから、立ち上がったものから先に死んでゆくのであり、みんな一緒に立ち上がって進化していったのです。現在にいたる歴史においても、いつの時代も支配される弱者としての民衆が多数派を占めながら推移しているではないですか。貧乏人の子沢山というように、生きにくいことの嘆きを抱えている者たちこそより豊かにときめき合い繁殖してゆく。これはもう、キリンの首が長くいったことだって同じだし、人類は二本の足で立ち上がって猿よりも弱い猿になったからこそ、一年中発情しているようになり、圧倒的な繁殖力を獲得していった。まあこれが、古人類学の基本でしょう。彼らは、そういうことをなんにもわかっていない。
「人文知」とは、「生き延びる」ための方法や知識を問うことではない。人類は「もう死んでもいい」という勢いで進化してきたのであり、そこのところが問われねばならない。死に対する親密さの上にこそ「人文知」があり、そこにおいてこそこの生が活性化する。
まあ商売は生き延びるためのいとなみであり、本気で「人文知」を問うていったら商売にならないのでしょうね。
であれば僕が今電子書籍を出そうとすることは、商売にならないことで商売をしようとしているわけで、われながら何やってるんだろう、と思ったりもします。
ぼくの書くものにはマーケットがないのだろうし、全人類がマーケットだとも思う。今回の「女性論」だってそれなりに小難しい屁理屈を並べて書いたのだけれど、それでも15歳のバカギャルとだってコミュニケーションしたいという願いも込めました。生き延びるのに有利な「いい女」について考えたのではない、生きられなさを生きている女の輝きについて考えたかったのです。
人類が生き延びるための叡智……などというものに興味はない、人類滅亡はめでたいことだ、それでも「世界は輝いている」というそのことが気になるばかりです。

蛇足の宣伝です

キンドル」から電子書籍を出版しました。
『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』
初音ミクの日本文化論』
それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。
このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。
『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。
初音ミクの日本文化論』は、現在の「かわいい」の文化のルーツとしての日本文化の伝統について考えてみました。
値段は、
『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』上巻……99円
『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』下巻……250円
初音ミクの日本文化論』前編……250円
初音ミクの日本文化論』後編……250円
です。