「団塊世代論」のあとしまつ

団塊世代論」を書いたら、予想以上に多くの人に見てもらうことになり、中にはまじめに読んでくれた人もいたかもしれないと思うと、そういう人に対しても、自分に対しても、このことをどう収拾すればいいのかと、ちょっと途方にくれています。
このままでは、すまない。
ずいぶんひどいことを書いてしまったらしい。
何言ってやがんだと、腹の立った人もきっといるにちがいない。
今となってはもう、どう罵り返されてもしょうがないのだけれど、わりと正直に書いたような気もしています。
団塊世代なんか野垂れ死にすればいい、と書いたことにしても、僕にとってはごく素直な感想です。
僕にとっての「野垂れ死に」という言葉には、それほど強い否定の意味はありません。子供のころは、まわりの大人たちのあいだでさかんに飛び交っていたし、むしろ親しみすらおぼえる言葉です。
僕は、自分がいつかきっと野垂れ死にするんだろうなと、いつも思っています。生き方は下手だし、さしたる能力もないし、そのうち女房にも捨てられるのだろうし、可能性は大いにあります。
野垂れ死にすることなんか、そりゃあきっとしんどいだろうけど、それほど不幸なことだとも悲惨なことだとも思わない。
わりとまっとうな人間の死に方だ、と思っています。
生きてゆけば人はどんどん汚れてゆくのだから、幸せに死んでゆく資格のある大人なんかいるのかしらん、とも思うくらいです。
まあ僕のように誰も幸せにしてやることのできなかった人間は、幸せな余生とか死に方なんか、考えるのもおそれ多い。
でも、幸せになる資格なんかなくても幸せになりたいと思うのが人のつねであり、ちょっとは幸せな死を夢見ることもあります。
まず、死んでゆくときは、サラ・ボーンの「ラバーズ・コンチェルト」が聞きたいな、とか、そして最後に、誰かにきゅっと抱きしめてもらいたいな(できれば女がいい)、とか。
僕には、息子と娘がいます。
しょうもない親だから足蹴にされても文句は言えないのだけれど、因果なことに二人とも、けっこう仲良くしてくれる。
僕だって子供たちには幸せになってもらいたいのだけれど、どこでどう間違ったか、二人ともずいぶんしんどい生き方をしている。
たぶん、父親を軽蔑して無視できる人間になれば、幸せになれるんだろうと思う。
子供は「しつけ」が大切だ、とは、僕はぜんぜん思わない。食い物さえ与えておけば、勝手に何かを学び、成長してゆく。
ただ、その子供がどこからいちばん多くを学ぶかといえば、親からだ、というところに厄介さがある。
僕は、たいしたしつけもしていないが、僕のような親から何かを学ばねばならなかった子供を、ほんとうに気の毒だと思っている。
団塊世代であろうとなかろうと、大人や老人なんか、みなしょうもない生きものです。
そして子供は、若ければ若いほど素敵な存在だと思うけれど、若ければ若いほど幸せではない。
なぜなら大人に支配されているし、支配されないと生きられないし、何より「わからない」ということをいっぱい抱えて生きていなければならない。よくそんな状態で生きていられるものだ、と思う。
「わかる」ということは、「汚れる」ということです。汚れることなのに、人は、わかろうとする。わかって、幸せになろうとする。「わかっている=汚れている」ことを、自慢したがる。
大人は、わかることの幸せを紡いで生きている。欲しいものが買えるということも、ひとつの「わかる」という観念行為でしょう。
大人と子供とどちらが幸せかといえば、子供のほうだということは絶対にない。
子供は、この世界の不思議と出会って、驚き嘆きながら生きている。
大人は、明日のことも人の気持ちも、なんでもわかっている(わかったつもりでいる)。
僕が全共闘運動に加わることができなかったのは、ようするに大人の社会に興味がなかったからです。彼らは、大人の社会に取って代わろうとしたが、僕にとっては、それじたいがいちばん憂鬱でごめんこうむりたいことだった。
僕は、大人が気味悪かったし、大人になった今でも、大人とか世の中なんてそんなものだと思っている。
だから僕は、大人になったと思ったその日から、電車の中で女子高生の隣の席には座れなくなってしまった。
それでは、よいお年を。